光る君へ

【光る君へ】 一条天皇(塩野瑛久)は『大鏡』にどう書かれているのか 「母親の方が詳しい?」

六十六代
一条天皇(いちじょうてんのう)
塩野 瑛久(しおの・あきひさ)
66代天皇。道長の甥(おい)で、幼くして即位した。入内(じゅだい)した道隆の長女・定子を寵愛(ちょうあい)するが、のちに道長の長女・彰子も入内し、世継ぎをめぐる政争に巻き込まれる。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より

藤原詮子(吉田羊)と円融天皇(坂東巳之助)の間に誕生した懐仁親王は、成長して皇位を継承。第66代・一条天皇となりました。

のちに母・詮子や叔父の藤原道長(柄本佑)と対立することになる一条天皇について、平安時代の歴史物語『大鏡』にはどう書いてあるのでしょうか。

本人よりも母親の方が詳しい?『大鏡』の記述

一条天皇

画像:一条天皇像(真正極楽寺蔵)public domain

一 六十六代
次の御門、一條院ノ天皇と申しき。御諱懐仁、これ圓融院の第一の皇子なり。御母皇太后詮子と申しき。これ太政大臣兼家のおとゞの第二の御女なり。この御門、天元三年庚辰六月一日、兼家のおとゞの東三條の家にて生れさせ給ふ。東宮に立たせ給ふ事、永観二年甲申八月廿八日なり、御年五歳。寛和二年丙戌六月廿三日位に即かせ給ふ、御年七歳。永祚二年庚寅正月五日御元服、御年十一。世をもたせ給ふ事廿五年。御母は十九にて、この御門をうみ奉り給ふ。東三條の女院とこれを申す。この御母は、摂津ノ守藤原ノ仲正のむすめなり。
※『大鏡』第六十六代 一条天皇

【意訳】
(花山天皇の)次の天皇陛下は、一条院の天皇といった。諱(いみな。実名)は懐仁(やすひと)。円融天皇の第一皇子である。
母親は皇太后の藤原詮子という。太政大臣・藤原兼家の次女であった。
一条天皇は天元3年(980年)6月1日、東三条邸で誕生。永観2年(984年)8月28日、5歳で皇太子に立てられる。
寛和2年(986年)6月23日に7歳で皇位を継承した。
そして永祚2年(990年)1月5日に11歳で元服。在位25年にわたり世を治めたのである。
母親の詮子は19歳で一条天皇を産んだ。円融天皇の崩御後に出家し、東三条院の女院号を贈られる。詮子の母親は藤原仲正女・時姫であった。

……とのことですが、何だか本人よりも母親の方が詳しく書かれているように思えてなりません。

25年間も皇位にあったのだから、その間のことを知りたいですよね。

一条天皇・略年表

天元3年(980年)6月1日 誕生(1歳)
永観2年(984年)8月27日 皇太子に立てられる(5歳)
寛和2年(986年)6月23日 皇位を継承する(7歳)
正暦元年(990年)1月 元服(11歳)
同年1月25日 藤原定子(道隆女)が入内
長徳年間(995年~999年) この頃、日記をつける(現存せず)
長徳2年(996年)7月20日 藤原義子(公季女)が入内(17歳)
同年11月14日 藤原元子(藤原顕光女)が入内
長徳4年(998年) 藤原尊子(道兼女)が入内(19歳)
長保元年(999年)7月27日 中世公家法の祖となる長保元年令を発布(20歳)
同年9月19日 内裏で生まれた子猫(命婦の御許)のために産養の儀を執り行う。先例のないこととして失笑を買う
同年11月1日 藤原彰子(道長女)が入内
長保2年(1001年)12月16日 藤原定子に先立たれる(22歳)
寛弘年間(1004年~1013年) この頃、日記をつける(現存せず)
寛弘5年(1008年)9月11日 敦成親王(後一条天皇)が誕生(母親:藤原彰子/29歳)
寛弘6年(1009年)11月25日 敦良親王(後朱雀天皇)が誕生(母親:藤原彰子/30歳)
寛弘8年(1011年)6月13日 皇太子・居貞親王(三条天皇)に譲位。太上天皇となる
同年6月22日 崩御(32歳)
寛仁4年(1020年)6月16日 父帝・円融天皇の陵墓に改葬される(没後9年)

一条天皇・エピソード集

一条天皇

藤原行成。井上安治「教導立志基 大納言行成」

一条天皇は曾祖父・醍醐天皇(60代)や祖父・村上天皇(62代)のような親政を志し、その治世において藤原行成や藤原実資ら能吏を多く輩出しました。

民に対しても思いやりを忘れず、寒い日は「日本国の人民の寒かるらむに、吾、かくて暖かにてたのしく寝たるが不憫なれば(みんなが寒い思いをしているのに、自分だけぬくぬくと寝るのは忍びない)」とあえて薄着をしたと言います。

また一条天皇は文化方面に感心が高く『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』に詩文を残したり、笛に堪能であったそうです。皇后・藤原定子のサロンで清少納言や和泉式部ら女流文学を花開かせた功績も大きいでしょう。

他にも愛猫家としても知られ、長保元年(999年)には子猫が生まれたお祝いに産養(うぶやしない)の儀を執り行い、命婦の御許(みょうぶのおもと)と名づけました。さすがに実資などは批判的に評しているものの、きっとユーモア精神あふれる人物だったものと察せられます。

終わりに

以上、一条天皇の生涯をたどってきました。『大鏡』ではアッサリと書かれていましたが、32歳の生涯において実に色んなエピソードがあったようです。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どんな一条天皇が演じられるのか、これからも楽しみですね!

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角田晶生(つのだ あきお)

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