神話、物語

『パンドラの箱』から飛び出した、災厄の神々たち

パンドラの箱」の伝説は、古代ギリシア神話の中でも有名な物語である。

「パンドラの箱」は、決して開けてはならないと言われた箱(壺という説もある)を、パンドラという女性が開けてしまい、箱から様々な災いが飛び出し、世界が争いの絶えない地獄のようになってしまったという物語である。

しかし、この箱から飛び出した災厄の具体的な内容については、古代の文献ではあまり詳しく言及されていない。
そのため、後世の解釈では、ギリシア神話に登場する人間の負の感情を具現化した神々が、箱の中に封じ込められていた災厄であるとされることが多い。

今回は、そんなパンドラの箱から飛び出したとされる、暗黒の神々について解説していきたい。

ニュクスとエリスについて

パンドラの箱

画像 : ニュクス 草の実堂作成

まずはニュクス(Nyx)と、エリス(Eris)という神について知っておかなければならない。

ニュクスは「夜」を象徴する原初の女神であり、その存在自体が「夜」を体現していると言える。

彼女は「死」「睡眠」「夢」の神を生み出したとされ、さらに「非難」「苦悩」「義憤」「欺瞞」「愛欲」「老い」、そして「争い」を司る神エリスを生んだとされる。

画像 : エリス 草の実堂作成

エリス(Eris)はその後、多くの恐ろしい神々を産み出した。

彼女の子供たちは、「労苦」「隠匿」「飢餓」「悲嘆」「戦」「殺し」「虚言」「不法」「破滅」など、まさに人間の負の側面を象徴する存在である。

これらの神々が、パンドラの箱から世界中に散らばり、人類を困難と不和の世界へと導いたとされている。

ここからは、ニュクスやエリスが産み出した災厄の神々の中でも、特に印象深い3神を紹介したい。

1. モーモス

画像 : モーモス(Momus)イメージ 草の実堂編集部作成

モーモス(Momus)は、ニュクスの子の一人であり、「非難」や「皮肉」を象徴する神である。

他人への文句・口答え・粗探し・逆張りを得意とする神であり、時にはギリシア神話の主神ゼウスにすら反抗したという。

古代の叙事詩『キュプリア』によると、ゼウスが地上に増えすぎた人類を減らそうとした際、モーモスは「洪水などの自然災害を使うよりも、戦争を引き起こして人口を減らすべきだ」と提案したとされる。

こうして起こった戦争が、かの有名な「トロイア戦争」だとされている。

また、古代ギリシアの童話集『イソップ物語』にも、モーモスは登場している。

ある時、ゼウスと他二人の神がそれぞれ、牛・人・家を創造したという。
三人は、どの創造物が一番優れているかで言い争いになった。
そこでモーモスに判定をお願いしたところ、彼は皮肉たっぷりにこう言い放ったそうだ。

「牛の角は目の下に付けるべきだった。敵を突く瞬間が良く見えるように」
「人の心は体の外に付けるべきだった。悪心が垣間見えるように」
「家には車輪を付けるべきだった。嫌な隣人から逃れ、楽に引っ越しをできるように」

あまりの鬱陶しさに、とうとうゼウスは激怒し、モーモスをオリュンポス(神々の住まう地)から永久に追放したという。

2. アパテー

画像 : アパテー 草の実堂作成

アパテー(Apate)は、ニュクスの子の一人であり、「欺瞞」や「不誠実」を擬人化した女神である。

5世紀頃に古代ギリシアの詩人ノンノスにより執筆された、「ディオニュソス譚」において彼女は登場する。

ギリシア神話の主神ゼウスは、大変な浮気者として有名であった。
ある時、ゼウスはセメレという人間の女性と恋仲になり、情事を重ねていた。

これに激怒したのが、ゼウスの妻ヘラである。
ヘラは異常に嫉妬深い神であり、その怒りの矛先はゼウスではなく、常に浮気相手に向けられた。

ヘラはセメレを抹殺しようと画策し、鬼神のごとき形相で天空を駆け抜け、欺瞞の神アパテーの元へ向かい、意見を求めた。
謀り事が大好きなアパテーは喜んでヘラに協力し、身に着けることでどんな相手をも魅了する「魔法の帯」を貸し与えたという。

ヘラはセメレの元へ向かい、「最近、神を騙る者が増えている。逢瀬の相手が本当にゼウスか確かめるため、この帯を使って彼に真の姿を見せるよう頼むべきだ」と巧みに唆した。セメレはその言葉を信じ、魔法の帯を身につけた。

夜、ゼウスがセメレの元に現れると、彼女は「真実の姿を見せてほしい」と頼み込んだ。
魔法の帯の影響でこの願いを断れなかったゼウスは、やむを得ず雷神としての本来の姿を現した。しかし、雷のあまりの高熱でセメレは一瞬で焼き尽くされ、消し炭となってしまった。

こうして、ヘラとアパテーの策略は見事に成功を収めたのである。

3. ポノス

画像 : ポノス(Ponos)イメージ 草の実堂作成

ポノス(Ponos)は、エリスの子の一人であり、「労苦」、すなわち苦しみの擬人化である。

特にこれといった神話が存在しない(もしくは未だ見つかっていない)、いわば設定だけの神ともいえる。

「Ponos」という言葉自体が「苦しみ」を表し、時にこれは「肉体労働の辛さ」と解釈されることがある。

古代ギリシアの上流階級の人々は、労働を卑しいもの、忌避すべきものと考えていた。
しかし現実問題として、働かなければ人は飯を食うことはできない。

彼らにとって、ポノスは労働という辛い現実を象徴する存在であり、同時にその苦しみから逃れるための方便でもあった。

最後に

このように、ニュクスやエリスから生まれた神々は、人間の苦しみや不安を象徴する存在として描かれている。

パンドラの箱から飛び出した災厄が、これらの神々によって世界中に広まったという解釈は、古代ギリシアの人々が持つ人生観や世界観を反映しているといえだろう。

パンドラの箱から解放された邪神たちには、まだ他にも多くの存在がいる。それらについては、改めて別の機会にご紹介しよう。

参考 : 『ギリシア・ローマ神話辞典』
文 / 草の実堂編集部

 

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