江戸時代

堀部安兵衛について調べてみた【赤穂浪士の最強の剣豪】

吉良邸討ち入り事件

堀部安兵衛の遺書が発見される

※吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年

元禄15年(1703年)12月14日、赤穂浪士四十七士は、江戸本所松坂の吉良邸に討ち入りを決行して吉良上野介を討ち取った

吉良側の死者は15名、負傷者は23名であったにも関わらず、赤穂浪士47人は負傷者2人のみで死者はいなかったという。

その後、吉良邸から引き揚げ首を亡君の墓前に供えて、幕府の大目付に討ち入りを伝えたのだ。

赤穂浪士らは、4人の大名家に預けられ罪人ではなく武士の英雄として扱われたが、元禄16年(1703年)2月4日に全員切腹、亡君浅野内匠頭と同じ泉岳寺に埋葬されたである。

討ち入りでの堀部安兵衛の活躍

堀部安兵衛は、高田馬場の決闘での体験から四十七士の討ち入りの装束に、鎖や針金を加えさせたとされる。

討ち入りには、大太刀に二尺八寸の樫の木柄をつけた野太刀作りにして、その大太刀を車輪のように振って奮戦したのである。
高田馬場の決闘が、討ち入り成功の鍵となったとも言えるである。

忠臣蔵とは

堀部安兵衛の遺書が発見される

「忠臣蔵十一段目夜討之図」 歌川国芳画。

忠臣蔵とは、江戸城松の廊下の刃傷事件と吉良邸討ち入り事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の通称であり、この事件を基にした様々な作品の総称である。
史実としてこの事件を述べる場合は、赤穂事件と言う。

赤穂浪士の討ち入りを聞いた幕府の老中筆頭の阿部正武は、「このような忠義の士が出たことはまさに国家の慶事」だと称賛。報告を聞いた将軍綱吉も感激して「処分を熟慮の上で決定せよ」と4人の大名家に預けるようしたとされるのだ。

毎年、年末の風物詩となった忠臣蔵の物語は、歌舞伎、舞台、映画、ドラマなど様々な形で語り継がれて来て、中でも堀部安兵衛は四十七士の中で一番の剣豪として語り継がれているのである。

堀部安兵衛の遺書が発見される

堀部安兵衛が、討ち入り前に残した書き置き(遺書)が2018年12月のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」で発見された。

遺書には討ち入り前の心境、自分の死後の家族への想いなど300年以上前の自筆の書き置き3点があった。

2017年11月26日には、新潟県新発田市の長徳寺で堀部安兵衛の墓碑の建碑式が行われた(産経ニュース

赤穂浪士の墓所である泉岳寺から持ち帰った墓の土が墓碑に納骨されたである。

薄桜記の堀部安兵衛

薄桜記とは、産経新聞の夕刊に1958年7月~1959年4月にかけて連載された五味康祐の時代小説である。

堀部安兵衛の遺書が発見される

この小説の簡単なあらすじは、丹下典善と中山安兵衛の2人の剣士が江戸の堀内道場で出会い、友情を深め、丹下典善が片腕になって安兵衛の世話を受け、高田馬場の決闘を経て、安兵衛は赤穂家へ、典善は上杉家へと運命が分かれ、討ち入り前に仇討ちの障壁となる丹下典善を倒すべく2人は決闘となる。その間の2人の葛藤や悲恋、互いに思いやる心が描かれた作品である。

堀部安兵衛の人生

堀部安兵衛は、19歳で親戚を頼って新発田から江戸に出て来て当時盛況だった堀内道場に入門し、すぐに頭角をあらわし免許皆伝となって「堀内道場の四天王」と呼ばれるようになった。

高田馬場の決闘で助太刀として現れるや否や3人を瞬く間に斬り倒す。瓦版が尾ひれをつけて18人を斬ったと江戸で評判となり複数の大名家から士官の口が来たが、赤穂藩に決めて中山安兵衛から堀部安兵衛となる。

赤穂藩士になって7年目に江戸城で刃傷事件が起こり浪人になるが、主君の仇討ちの急進派のリーダー格となり吉良邸討ち入りで大太刀を持って暴れ回り、本懐を遂げて切腹するという人生である。

当時は、江戸一番の剣豪として有名になり、悲運のヒーローとも言える波乱万丈の34年間の生涯を送った人である。

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浅野内匠頭について調べてみた【赤穂浪士たちが忠誠を尽くした藩主】

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コメント

    • カメラ小僧
    • 2022年 12月 01日 7:42pm

    菩提寺に父親の形見の、印籠と石台松と言う盆栽を預けて姉の嫁ぎ先である白根の長井家に世話になっていました。
    江戸では、新発田藩の江戸詰めの従兄弟と仲が良く、赤穂藩おとりつぶしの時は、従兄弟から安兵衛に対して、新発田藩に仕官するようにと再三言われたそうです。
    赤穂藩おとりつぶし後の安兵衛の生活は、従兄弟に助けられていたかもしれません。
    従兄弟をとうして、新発田藩の殿さまは安兵衛の様子を知っていたかもしれません。
    討ち入りのさいの武器や帷子など、新発田藩から出ていたかもしれません。

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    • 2023年 3月 15日 5:08am

    とても貴重な史実を教えてくれてありがとうございます。

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