「飛ばねぇ豚はただの豚だ」
スタジオジブリ製作の宮崎駿監督作品「紅の豚(1992)」の主人公、ポルコ・ロッソの有名なセリフである。
当時は前作の「魔女の宅急便」に続いて興行成績日本記録(劇場用アニメ)を更新して、宮崎駿の監督としての実力は誰もが認めるようになり、次回作の「もののけ姫」へとステップする切っ掛けともなった。
糸井重里の「カッコイイとは、こういうことさ。」というキャッチコピーとともに、豚なのに、いや、豚だからこそカッコイイ男らしさを匂わせる作品として、今でも人気が高い。
宮崎駿監督作品においては、珍しく時代設定もハッキリしているが、現実では「豚が雲を引いた」時代というのは、どのような時代だったのだろうか。
戦後の経済
劇中での舞台設定は1929年頃のイタリア。
1914年に勃発した第一次世界大戦では、ドイツを中心とした中央同盟国に勝利した連合国の一国として、1918年の終戦を迎えた。表向きは戦時特需によって国内総生産が上昇するも、戦時中の無理が祟り、経済は混迷。インフレーションが労働者階級を襲った。
政治的には、大戦によってアルプス山脈の東にあるチロル地方、アドリア海の奥にあるイストリアを半島領土するなど、「遅れた先進国」として植民地の拡大に乗り出すが、中途参戦の条件としてダルマチア(現・クロアチア)を割譲したのだが、1919年のパリ講和会議で、これを正式に手放すことになり、これが、国民の不満にさらなる拍車をかける。
こうした情勢のなかで歴史の表舞台に躍り出たのが「ベニート・ムッソリーニ」だった。ムッソリーニはイタリア人による社会主義を目指して「イタリア戦闘者ファッシ(集団)」を結成したが、当初は思うような活動が出来ずにいる。過激な活動には暴力的な対処を受けることもあった。
ファシスト党の台頭
【※ベニート・ムッソリーニ】
だが、経済の悪化が続いていけば、地主や資本家は小作人のことなど構っていられない。そうした地方の力を束ねるようにして、ムッソリーニは中央集権化を図り、1921年までに10万人まで党員を増やし、同年に「全国ファシスト党」を結成する。当時のイタリアは王制だったため、一気に国家のトップに立つことはなかったが、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はムッソリーニ内閣の組閣を命じた。
しかし、ムッソリーニも首相で終わる気などない。徐々に力を付け続け、1926には議会でファシスト党だけを残して、他の党はすべて解散させ、1928年にはファシスト党の内部機関である「ファシズム大評議会」を国家の最高機関として正式に定める。
こうしてムッソリーニによる一党独裁が完成したのだ。
彼の唱えるファシズムとはドイツのそれとは違い、左右の別なく力がファシスト党に集中する独裁体制のことである。やがてファシスト党は、イタリアを警察国家化させ、秘密警察を創設するなど、国民の自由は奪われていった。これでポルコのようなアウトローが国家に追われる身となったことが分かっただろう。
巧みなフィクション
【※アドリア海とその周辺】
話を紅の豚に戻そう。
劇中、ポルコは空賊と呼ばれる飛行艇乗りの強盗集団を叩く賞金稼ぎとして、その筋では有名なパイロット、という設定になっているが、そもそも、当時のアドリア海でそんなことがあったかというと、答えはNOだ。空賊も賞金稼ぎも宮崎監督の空想の産物だが、彼らを登場させるにはこの時代は絶好の舞台であった。
大戦の混乱から立ち直りつつも、暗雲立ち込めるイタリア。人権が守られない世界において、自由に空を駆け巡る熱き男たちの姿が人々を魅了する。弾圧の中にあって、それをものともせずに戦う爽快感。さらにアドリア海の美しい景色と、マダム・ジーナが経営するホテル・アドリアーノのような「中立地帯」などが、暗い世界情勢とは切り離された独自の世界を構築する。
おっと、いけない。考察は今回の目的ではなかった。しかし、これだけは言っておこう。戦闘機乗りの話であっても、死者が出ないのがジブリブランドなのだ。
飛行艇の時代
【※ポルコのライバル、カーチスの愛機のモデルとなったカーチス R3C-2】
主人公のポルコや、アメリカ人のライバル・カーチス、マンマユート団たちが操る飛行艇とは、水上での離着陸が可能な航空機である。1930年代には急速に発達した。大型機の場合は、着陸するときの衝撃に耐えられる強度のランディングギアが製造できないことや、滑走路がなくても着水できるなどの利点から、この時代の主役となった。まさに黄金時代である。
劇中では「シュナイダー・カップ」という飛行艇レースが存在し、そのレース用エンジンがポルコの飛行艇に積まれることになったが、現実には「シュナイダー・トロフィー・レース」として、1913年~1931年まで欧米各地で開催された飛行艇のレースがあった。フランスの富豪が、飛行艇の重要性を見抜いて、技術向上のために開催したレースであり、アメリカ海軍の「カーチス」シリーズも参戦している。
これが、カーチスの名前の由来となったことは間違いないだろう。そして、彼自身も1925年のシュナイダー・トロフィー・レースで優勝した「カーチス R3C-2」をモデルにした「カーチス R3C-0」という架空の飛行艇を愛機にしている。
ポルコの愛機に迫る
【※ポルコの愛機のモデルとなったイタリアのマッキ M.33】
ポルコの愛機「サボイアS.21試作戦闘飛行艇」という架空の飛行艇にもモデルがある。
それが、1925年にシュナイダー・トロフィー・レース専用に製作されたイタリアの「マッキ M.33」だ。実際のレースでは1位のカーチス R3C-2に負けて3位に終わったが、サボイアというメーカーもイタリアの爆撃機メーカーとして実在しており、そうした様々な要素を盛り込んでポルコの赤い飛行艇は完成した。もっとも、サボイアが単葉機だというのも架空のことで、モデルとなったマッキ M.33は複葉機である。
劇中では、カーチスとの決闘で機関銃が故障した挙句にお互いが拳銃で撃ち合うシーンがあるが、あながちフィクションともいえない。というのも、航空機に専用の機関銃が装備されたのは第一次世界大戦が始まってからのことで、それまでの航空機は偵察任務が主な役割だった。やがて、パイロットは拳銃や機関銃を携行して敵機と戦っていた。
さらにポルコが得意とする「ひねり込み」という技も、実在したもので、旧日本海軍の坂井三郎が考案したが、実戦で使われることはなかったという。
最後に
すでに何度もテレビで放映されたために、ストーリーや描写を覚えている人は多いだろう。そこで、今回はそうした部分をカットして、敢えて世界観に迫ってみた。結論としては、現実世界を舞台にしながらも、そこに違和感なくフィクションを織り込んだ宮崎監督の構成が素晴らしい作品を生んだのだということが分かった。
ちなみにポルコ・ロッソとは、イタリア語でそのまま「赤い豚」を意味する。だが、この賞金稼ぎにもモデルがいたことは知っているだろうか?
気になる人は、ぜひ関連記事を読んでいただきたい。
関連記事:紅の豚
「紅の豚のモデル?!レッド・バロンと呼ばれた男【WW1シリーズ】」
Amazon:「飛行艇時代―映画『紅の豚』原作 (英語) 」画像をクリック!
この記事へのコメントはありません。