地理

東京都の区は「35区」の時代があった

東京都の区は「35区」の時代があった

画像 : 東京都区部 wiki c

東京都区部(とうきょうとくぶ)は、東京都の23の特別区から構成される区域である。

「東京」と聞けば「23区」と連想してしまうくらい定着している東京の「区」であるが、かつては「35区」という時代もあったのである。

東京府、東京市時代

江戸時代が終わり明治に入ると、「江戸」は「東京府」となった。

この時に旧江戸の市域は皇居を中心に50区の区画が制定され、その後44区となった。

1878年(明治11年)、郡区町村編制法が制定され、皇居周辺の都心部に、麹町区、神田区、日本橋区など「15区」が定められた。

東京都の区は「35区」の時代があった

画像 : 1878年(明治11年)の郡区町村編制法によって設置された東京市15区 wiki c Beagle

1889年(明治22年)には、この15区に市制が施行され、東京市となる。

この時期の東京市は、今の千代田区、中央区、港区、文京区、台東区、新宿区・墨田区・江東区の各一部を範囲としており、東京府東部の15区が東京市となった。

東京都「35区」となる

その後、都市化が進み、1932年(昭和7年)には周辺82町村が編入され、面積と人口が一気に増大した。

この時にこれまでの15区に加えて、新たに20区が定められて「35区」となったのである。

その後、1943年(昭和18年)、東京都制の施行により東京府・東京市は廃止され「東京都35区」となった。

そして終戦後の1947年(昭和22年)に35区は再編され、22区になり、同年8月1日に練馬区が板橋区より分離して、現在の23区となっている。

 

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 烏山線を走る国内初の新型車両について調べてみた
  2. 日本の最南端は「沖縄」ではなく「東京」だった
  3. 東京がなぜ首都になったのか?その理由 【遷都ではなく奠都だった】…
  4. 福島県いわき市の観光地について調べてみた
  5. 江戸時代以前の東海道について調べてみた
  6. 日本の県名の由来 「ちょっと面白い成り立ち」
  7. 東京ディズニーリゾートはなぜあの立地なのか?【東京ディズニーラン…
  8. 世界の森林面積は陸地に対して何割なのか?

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

徳川家康は本当に脱糞していたのか? 〜 戦国三英傑の逸話

徳川家康の逸話戦国三英傑(せんごくさんえいけつ)とは、天下人へあと一歩のところまで迫った…

土方歳三の最後 【5倍の敵を打ち破った二股口の戦い ~箱館戦争】

今回は前編に続いて後編である。新選組副長として有名な 土方歳三は、当初は「剣豪」とし…

「板垣退助が討幕のために作った武力集団」 迅衝隊

板垣退助と迅衝隊幕末において有名な「隊」と言えば、長州において高杉晋作が率いた奇兵隊、土…

ロシア軍が「来寇」!? 対馬で起こった 「ポサドニック号事件」を調べてみた

歴史上「対馬」の名を目にするタイミングとしては、1274年、1281年に起こった二度にわたるモンゴル…

小栗仁右衛門 ~「柔術と剣術を合わせた小栗流の祖」龍馬も学んだ剣

小栗正信(仁右衛門)とは徳川家康に小姓として仕え幕臣・旗本となった小栗 仁右衛門(おぐり にうえ…

アーカイブ

PAGE TOP