オーロール・ギャニオン事件とは?
オーロール・ギャニオン事件とは、カナダのケベック州で起こったケベック出身者以外にはあまり知られていない児童虐待事件です。
オロール・ギャニオン(Marie・Aurore・Luciennne・Gagnon)は、1909年5月31日に誕生し、1920年2月12日に、10歳でこの世を去りました。
原因は、父親のテレスフォア・ギャニオンと、継母となった父の従兄妹、ハウデ・ギャニオンからの身体的暴力とネグレクトでした。
オーロールは、父・テレスフォアと実母、キャロンの5人の子供のうちの、次女です。
カトリックを信仰する家庭で育ち、家族で頻繁に教会へ出かけていました。
カナダのケベック州出身の彼女は、普段話す言葉はフランス語でした。カナダは公用語として英語とフランス語が使われており、ケベックでは主にフランス語が使われていました。
母のキャロンが肺結核で入院していたため、オーロールは10才頃まで母方の祖父母に育てられました。
この祖父母は、孫達にとても愛情を注いでいたそうです。
オーロールには、姉のジャンヌ、弟のジョセフ、ジョルジュ、そして2歳になる妹、ルシーナがいました。
その後、母のキャロンが肺結核で死亡。
父・テレスフォアは、従兄妹のハウデと再婚します。
ハウデはこの当時、夫が病死したばかりでした。
しかし、テレスフォアとハウデは、なんとキャロンの葬儀後すぐに、結婚式を挙げたのです。
亡くなったキャロンの親族や出席していた近隣住民は、葬儀の直後に挙式を挙げただけでなく、赤いドレスを纏ったハウデの異常さに眉を顰めていました。
しかし、テレスフォアは既にキャロンよりもハウデを愛していたのです。
非業の死を遂げた10歳
父の再婚以降、オーロールは両親から激しい暴力とネグレクトを受け続けました。
虐待による感染症で、1カ月以上入院したこともありました。
当時は現代に比べると、他の家庭の騒ぎや事件を通報するような人はほとんどいませんでした。
オーロールの凄惨な状況に気づいていても、近隣住民や、教会の司祭は見て見ぬふりをしたのです。
継母のハウデはオーロールを殴り続け、時には火かき棒で大火傷させるなど、目を覆いたくなる行為を繰り返しました。
そして1920年2月12日の早朝、事件が起こります。ついにオーロールが暴力で亡くなったのです。
隣人、医師、警察たちがギャニオン家に駆け付けると、オーロールは階段下で倒れて冷たくなっていました。
ハウデは日常的にオーロールを「悪魔の子」と罵り、自分の虐待を正当化しようとしていました。
この発言に、駆け付けた隣人は怒りに震え、「黙りなさい!」と彼女を一喝。
隣人によると、生前のオーロールは賢明で優しい子供だったそうです。
このことは後の裁判で、小学校の担任も証言しています。
裁判と一家の末路
姉のジャンヌは、当初は両親に妹への虐待をやめるように訴え続けていました。
両親の見ていないところで、こっそり妹に軟膏を塗ってあげるなど看病していたそうです。
しかし、ハウデが家族に支配的だったことや、父からの体罰も常習化していったことで「声を上げられる状況ではなくなった」と裁判で証言しています。
裁判では、父・テレスフォアも虐待に加担したことが証明されましたが、妻からの洗脳状態だったことから過失致死罪の判決が下されました。
一方で、継母・ハウデは一度は死刑が宣告されましたが、乳癌と脳腫瘍により、終身刑に減刑されました。
また、ハウデも虐待を受けて育っていたことから、反社会性人格障害の診断も下されました。
やがてハウデは、拘留中に双子を出産します。
この双子は当時、ハウデが収監されていた警察官の養子となりました。
その後、ハウデは病気を理由に釈放され、従兄妹の家に移住した後、病死しました。
父・テレスフォアは出所して間もなく、新生活のために名前や住所を公にされない手続きを取りました。
その後、3度再婚しましたが、1961年8月30日、喉にできた腫瘍のために78歳で死去しています。
オーロールがケベックのシンボルになった理由
カナダのケベック州では、彼女の短命な人生を題材にした映画が次々と上映されました。
これを機に、オーロールはケベック州のシンボルとなったのです。
オーロールを題材にした劇「Aurore,l’enfant martyre」は、1921年にモントリオールのアルカサル劇場で上演されてから6,000回以上公演され、約180,000人が観劇しました。
1950年と2005年にリメイク版映画が制作され、そちらも大反響となります。
特に、2005年に上映された「Aurore」で、オーロールを演じたマリアンヌ・フォルティエ(Mariannne・Fortier)の演技は称賛されました。
映画の反響を受け、オーロールの家は2023年の現在でも残されています。
オーロール生家の現在
オーロールの生家は現在、親族のパスカル・ギャニオンが所有者で、一般公開されていません。
パスカルは幼い頃、父からオーロールのことを「ご先祖様の話」として聞かされたそうです。
オーロールが監禁されていた屋根裏部屋は、現在、衣裳部屋や物置として使われています。
参考 : Le grenier | lenouvelliste.ca
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