「故事成語」とは
筆者は中国に在住していたことがあるが、中国では日常会話や文章の中で「成語」という4文字の漢字から成る慣用語句が多く使われている。
若い人からお年寄りまで、出来事の概要を4文字に集約させまるで決め台詞のように言い放つのである。
故事成語とは、故事をその語源とする一群の慣用語句の総称である。
本来の中国語ではただ「成語」というが、日本では故事を語源とするその他の熟語や慣用句と区別するためにそう呼ぶようになった。故事とは、大昔にあった出来事であり特に中国の古典に書かれている逸話のうち、古事成語として日常の会話や文章で繁用されものをいう。
物事のいわれ(由来)や、例え(比喩)おもい(概念)いましめ(標語)など、面と向かっては言いにくいことを遠回しに示唆したり、複雑な内容を端的に表したりする便利な語句である。中には完全に日本語の単語として同化したものもある。
今回は、日本でも多様されている面白い故事成語をいくつか取り上げてみた。
「矛盾」
「韓非子」に出てくる故事である。
楚のある男が、矛(ほこ:今で言う槍のような武器)と盾(たて)を売っていた。
男は言う「この矛はどんな盾をも突き通す矛だ」そしてさらに「この盾はどんな矛をも防ぐ盾だ」
客は尋ねた「ではその最強の矛で最強の盾をつくとどうなるのか?」男は返答できなかった。
もし矛が盾を突き通すならば「どんな矛も防ぐ盾」は誤りであり、もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤りとなる。
したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
つまり「矛盾」とは、辻褄が合わない出来事や道理に対して使われる故事成語である。
「馬鹿」
一説には史記の「指鹿為馬:鹿を指して馬と為す」が語源と言われている。
秦の時代。権力を振るった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するために一策を案じた。
彼は宮中に鹿を曳いて来させ「珍しい馬が手に入りました」と皇帝に献上した。皇帝は「これは鹿ではないのか?」と尋ねた。
趙高は左右の廷臣に「これは馬に相違あるまい?」と聞くと大半は黙り込み、彼を恐れる者は馬と答え、彼を恐れぬ気骨のあるものは鹿と答えた。その後、鹿と答えた者は全て殺されたという。
このことから「権力をいいことに矛盾したことを押し通す愚かな行い。」を指して「馬鹿」というようになった。
「逆鱗」
逆鱗とは伝説上の神獣である竜の81枚の鱗のうち、顎の下(喉元)にあって1枚だけ逆さに生えている鱗のことである。
竜は人間に危害を加えることはないと言い伝えられているが、喉元にある「逆鱗」に触れられることを非常に嫌い、触れられた場合は激昂し、触れた者を即座に殺すという。
このため「逆鱗」は触れてはならないものを表現する言葉となり、主君の激怒を呼ぶような行為を指して、「逆鱗に触れる」と比喩表現される。
「杜撰」
「杜」とは宋の国の杜黙(詩人)のこと。「撰」とは詩文を作ること。
宋の国の杜黙の作った詩は、その多くが詩の規則にあっていなかったという。
このことから「杜撰:ずさん」は、詩文や書籍の内容に誤りが多いこと。物事がおおざっぱで、粗末なことを指して使われる。
「蛇足」
中国の楚の国で、祠の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。
しかしみんなで飲むには酒が足りなかったので、召使達は「地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もう」と提案し、早速皆は蛇の絵を描き始めた。
そしてある者が最初に絵を描き上げたが、自分の速さを自慢するために「ついでに足まで描けるぞ」と描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪いとった。
その者は「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、酒を全部飲んでしまったという。
このように私たちが普段使っている言葉には古代中国に起源があるものが多く、言葉は「意味を伝える」だけでなく「生きた歴史」でもある。
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