エジプトの荒涼とした砂漠にそびえるピラミッドに対し、ジャングルに覆われた石造のピラミッドはマヤ文明の象徴である。
驚くほど正確な暦、宇宙人の暗号のように複雑でありながら美しいマヤ文字。
こうしたイメージから、マヤ文明はミステリアスで神秘的、謎の多い文明といわれている。
四大文明に比べて特殊な文明と思われているが、そうではないことが近年の調査で判明してきた。
これまでのマヤ文明観
※マヤの建築物でも有名なティカル2号神殿
マヤ文明の発生は西暦250年ころといわれている。
熱帯雨林のジャングルのなかに突如として生まれ、少ない人口で外界とは孤立しながら独自に繁栄した文明といわれてきた。戦争の無い平和な文明であり、天文学や暦、文字などの文化を高度に発展させたにもかかわらず、9世紀から文明の廃退が始まったとされてきた。その後も一部では文明は緩やかに発展していたのだが、16世紀にスペイン人の侵略によって独自の文化はほぼ壊滅して植民地になった。
しかし、これは調査方法が発達していない時期に生まれた大きな誤解がそのまま広まった結果であった。
メソポタミア・インダス・エジプト・中国という、いわゆる古代の世界四大文明は、すべて大河流域で栄えたためにマヤ文明が同じレベルで比較されることは無かった。しかし、マヤとメキシコ高地で発展したアステカなどのメソアメリカ(中米)文明と、インカ文明に代表される南米のアンデス文明は大河が無くても多くの都市が築かれていたことが分かっている。
マヤ文明 の変遷
※マヤ文明の領域
マヤ文明はひとつの大国ではなく、同時期に築かれた都市とそれを統治する多数の王国が、地域間のネットワークを作って共存していた文明であった。16世紀になるまで鉄器を使わず、石器や人の力だけで今も残る巨大なピラミッドを建築し、都市を作りあげている。主に農業を発展させながら、文字や暦、天文学も発展させ高度な文明を築いていった。
その範囲はユカタン半島を中心とする限られた地域である。紀元前1万年から8,000年ころには狩猟を始めており、紀元前8,000年から紀元前1,800年ころには植物栽培が始まった。紀元前1,800年から紀元250年ころにかけて農耕を生業とした定住村落が確立し、その時代には土器も出現している。紀元250年から900年ころには都市が築かれて諸王国が興り宮廷文化が栄えた。
西洋の調査隊がこの地に足を踏み入れたのは18世紀末ごろからだったが、今も残る神秘的なイメージはこのときに広まったものである。しかし、第二次世界大戦後に本格的な科学調査や文字の解読が進むようになり、現在ではマヤ文明の本当の姿が明らかになりつつあるのだ。
マヤ文明の定説が覆る!
文明の起源についても、これまでは西暦250年ころに突如として勃興したとされてきたが、今ではそれより1000年近く昔にまで遡ることが判明している。また、紀元前には社会構造的にも未発達な濃厚村落社会と考えられてきたが、すでに階層化された都市文明社会を構築していることもわかった。周辺地域から孤立していたために戦争のない平和な社会という説も、実際には都市間で交流があったために現在では否定的な見方をされている。
そして、マヤ文明を構成する諸王国は、多くの文化的要素が共通していたため画一的な文化と考えられていたが、文明が分布する場所によって環境の違いも大きかったために地域差も大きかった。
最新の調査が行われるようになり、それまで考えられていたよりも、より多様性のある文化だということがわかってきたのである。
その一例がグアテマラのパシオン川近くの丘陵上に築かれた「セイバル遺跡」の調査だ。
最新の調査で甦るマヤ文明の姿
※セイバル遺跡に現存する神殿ピラミッドの大基壇
2005年から2015年にかけてアメリカ・アリゾナ大学人類学部と日本の調査チームが共同でセイバル遺跡の調査を実施した。その結果、神殿ピラミッドの大基壇(だいきだん/階段状の基礎)などが紀元前1000年ころには築かれたことを発見した。
ピラミッドといってもわずか3段の大基壇の上に設けられた小型の神殿だったが、この発見でマヤ文明の紀元が紀元前800年ころという定説から200年も遡ることとなる。
セイバル遺跡は10世紀に王宮が破壊されるまでの約2000年間、マヤの都市のなかで例外的に長いこと居住していたことが分かっており、そのおかげで古代の建築物が比較的良好な状態で残っていたのだ。
しかも、現在地上に姿を見せている遺跡の下にはさらに古い時代の地層が埋まっていて、それを調べることで、より正確な年代が分かるようになった。
古い地層を露わにして測定するためには地下にトンネルを掘り進めなくてはいけない。マヤでは建物の上に重ねて増改築するため地下からのアプローチが一番適していた。とはいえ、目的のポイントまで到達するには8年もかかったという。さらに2016年には航空レーザ測量という技術により、ジャングルに埋もれた建造物跡を探査した結果、それまで12平方キロといわれていた都市の規模もそれよりはるかに大きいことがわかった。
航空レーザ測量は、レーダーの電波よりも波長の短い電磁波を使うために、密度の濃いジャングルにおいても探査が可能となったのである。その際の調査範囲は計400平方キロだったが、この広さを地上で測量すると20~30年はかかるところをわずか3日で完了してしまった。ただし、データ量が膨大なために分析には約1年もかかったという。
遺跡という性質上、保存を優先しつつ正確な調査結果を出すためには今後も最新技術が不可欠となるのだ。
最後に
同地では2019年まで調査が続くというが、それでも遺跡の多くはジャングルの中に眠っており、未調査の場所も数多く残っている。セイバル遺跡でも調査が進んだのは全体の1%にも満たないというから驚きだ。
しかし、視点を変えれば今後はどんどん新しい事実が判明する可能性があるということである。
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