人物

【世界一有名な女性ガンマン】カラミティ・ジェーンの生涯

カラミティ・ジェーンとは

カラミティ・ジェーンとは

※43歳の時のカラミティ・ジェーン

カラミティ・ジェーン(1852~1903)は、アメリカ合衆国の女性で、おそらく世界でいちばん有名な女性ガンマンである。

彼女は、アメリカ西部開拓時代に生まれ、別名《平原の女王》としてその名を馳せた。

長期間にわたる、開拓民と原住民(インディアン)たちとの戦争に参加し、“カラミティ・ジェーン”とはその時期につけられたあだ名であると言われている。

だが、実は彼女には虚言癖があり、その悪癖は多くのトラブルを巻き起こした。

“カラミティ・ジェーン”というあだ名の由来は、本当は法廷内でのトラブル続きの結果、警告の意味をもってつけられた「法廷の疫病神」という意味だと言われている。

この記事では、カラミティ・ジェーンが本当に「平原の女王」なのか、はたまた虚言癖を持った「法廷の疫病神」なのか、彼女の生涯を追いながら調べてみたいと思う。

西部開拓とは

カラミティ・ジェーンとは

※インディアンを追撃するアメリカ騎兵の想像図

カラミティ・ジェーンの本名は、マーサ・ジェーン・カナリーと言う。(以下、彼女のことをジェーンと呼ぶ)

彼女の生涯をなぞる前に、まずは当時のアメリカ合衆国・西部開拓について説明していきたいと思う。

ジェーンが生まれた1850年代、ヴァージニア州では、当時イギリスから入植がはじまり、多くの原住民たちとのトラブルが絶えず続いていた。

この頃から、アメリカ合衆国ではアフリカ系黒人の奴隷化が始まり、裕福な白人の多くが、合法的に黒人の奴隷たちを所有するようになっていた。

特にヴァージニア州は奴隷制度が一般的に広まっており、その頃アメリカ各地では。多くの奴隷解放運動が行われていたにも関わらず、ヴァージニア州では人口のおよそ31%が奴隷であったというデータが残っている。

アメリカではゴールド・ラッシュと呼ばれる金鉱の開発が行われ、富を求めて、多くの人々が西部へと向かった。
西部劇でおなじみのガンマンやカウボーイなどは、まさにこの頃活躍したのである。

しかし、それは同時に侵略と殺戮の歴史でもあり、多くの先住民たちが自分たちの土地を強奪され、殺戮されることになった。

映画やドラマなどで美化されたガンマンたちのイメージは、侵略者と殺戮者としての側面を持っていることも忘れてはならない。

カラミティ・ジェーンの生い立ち

カラミティ・ジェーンとは

Calamity Jane, c. 1880

ジェーンは、1852年にミズーリ州に生まれた。
彼女は6人姉弟の長女で、ジェーンが14歳の時、一家そろってモンタナ州バージニア・シティへと移り住んだ(その道中で母は病死)。

父・ロバートは6人の子供たちを抱え、新しい土地での農作を開始したが、わずか1年後の1867年、死去してしまう。
ジェーンを筆頭に6人の子供たちは孤児となり、ジェーンは家督を継ぐことになった。

彼女は弟妹を連れ、ワイオミング州ピートモンドへ引っ越すと、そこで弟妹を養うために、さまざまな仕事をしたという。皿洗いやコック、ウエイトレスに踊り子、さらには牛飼いや看護婦まで、さまざまな仕事を引き受けていた。

そんな中、1874年、ジェーンが25歳の時に、ラッセル砦での斥候(せっこう)の仕事に出会う。
斥候とは、軍隊の中でも前衛を担当する部署のことで、基本的には偵察や攻撃、追跡などを行っていた。

女性の身でありながら、戦場での最前線の任務を請け負ったのである。
ここから彼女のガンマンとしての人生が始まっていく。

斥候としての生活

※1885年に撮影されたカラミティ・ジェーン

彼女の伝記によれば、この斥候時代に、カスター将軍という軍人と結婚したと言われているが、この主張は誇張であり虚偽だとして、歴史的には認められていない。
事実、ジェーンにはカスター将軍と知り合う機会がなく、どうやって恋愛関係に発展したのかを証明できなかったのである。

彼女の主張では、ジェーンは多くのインディアンとの戦争に関わり、その戦いのさなか、「平原の女王」という異名をもらったと発言している。

斥候の仕事は1876年頃まで続け、その後は除隊してサウスダコス州に定住したと言われている。

ワイルド・ビル・ヒコックへの想い

カラミティ・ジェーンとは

(ジェーンが心酔したワイルド・ビル・ヒコック)

1876年、サウスダコス州のデッドウッドに定住したジェーンは、友人の頼みでブラックヒルズ内の売春宿の女主人として雇われることになった。

それまでの旅の中で、ジェーンは有名なガンマン・保安官であるワイルド・ビル・ヒコックと知り合い、交友関係を深めた。
彼の生きざまや人生に多いに心酔したジェーンは、彼の大ファンになったという。

同年の夏、ヒコックはひょんなことから、ならず者に殺害されてしまう。

ヒコックの死後、ジェーンは彼と恋愛関係にあったと主張し、さらに2人の間に生まれていたという女の子の存在についても明らかにしたという。
ところが、この事実関係は立証されず、また、ジェーンが生んだとする女の子の存在も確認できなかった。

ヒコックの死後、1880年代になると、彼女はモンタナ州に牧場を購入し、そこで宿屋を経営していた。
クリントン・バークという男性と結婚し、この時に出産したが、この赤ん坊は里子に出されたとされている。

1890年頃からは、ショーに出演し、曲芸ガンマンとして一躍有名になると、そのまま全米ツとアーに参加するなど、忙しい日々を過ごしていた。

1903年、旅行先で肺炎にかかり、47歳の生涯を終えたジェーンであったが、その遺体はヒコックの隣の墓地へ埋葬された。

多くの虚言癖で数々のトラブルを起こし、またアメリカ合衆国内を転々とした彼女の人生であったが、敬愛するヒコックへの気持ちは、生涯を通して変わることはなかったのだろう。

虚言癖の嘘つきなのか?

(カラミティ・ジェーンの波乱万丈な人生は、多くの作品で取り上げられている)

ジェーンの死後、自叙伝『カラミティ・ジェーン』は有名になり、彼女の波乱万丈の人生は映画化・小説化された。

しかし、先ほどから記しているように、彼女の発言には虚偽と思われる点が多く、ジェーンは女王という異名を持つと同時に、「疫病神」とも称されるようになる。

彼女の生い立ちは決して幸せなものではなく、またその人生も、恵まれていたものであったかどうかはわからない。
不幸な境遇で生きざるをえなかったひとりの女性が、夢を見るかのように虚の人生を書いたのかもしれないが、ジェーンを一概に「嘘つきだ」とそしることは出来ない。

ジェーンは敬愛し心酔したヒコックの墓の隣で、ひっそりと眠りについている。

 

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歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
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