
画像 : イメージ 草の実堂作成(AI)
男性器は生殖を担う器官であり、しばしば男性性の象徴とも位置づけられてきた。
それゆえ、男性器を失った時の肉体的・精神的ダメージというのは、計り知れないものがあるだろう。
神話や幻想の世界では、この男性器が崇拝の対象となる場合もあり、いわゆるファリシズム(phallicism)と呼ばれる観念が存在する。
一方で、その破壊や切断をめぐる物語も各地で残されている。
今回は、古代文明に伝わる「去勢の神話」を紹介していきたい。
ヒッタイトにおける去勢神話

画像 : ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャのライオン門(前14~13世紀頃)Bernard Gagnon CC BY-SA 3.0
ヒッタイトとは、アナトリア(現在のトルコ)にて発展した古代王国である。
その遺跡から出土した粘土板には、血の気が引くような痛ましい伝説が記されている。
(意訳・要約)
かつて、ヒッタイトの天空には多くの神々が住んでいた。
最初の天空の支配者は「アラル」という神だったが、9年経ったころに「アヌ」という神が下剋上をし、アラルは王座から引きずり降ろされた。
さらに9年後、今度は「クマルビ」という神が王者の座を狙い、アヌに戦いを挑んできた。

画像 : イメージ クマルビのローブローがアヌに炸裂! 草の実堂作成(AI)
そしてあろうことか、クマルビはアヌの股間を攻撃し、なんと噛みちぎってしまった。
地獄のような激痛に、アヌは悶え苦しんだ。
しかし、アヌの性器そのものを飲み込んだことで、クマルビはその内に創造の力を取り込み、妊娠してしまった。(ちなみにクマルビは男神である。)
それからしばらくすると、クマルビの頭蓋骨を突き破り、天候の神である「テシュブ」が生まれた。
テシュブからすれば、クマルビは父親(アヌ)の仇も同然であり、クマルビからすればテシュブは、望まぬ妊娠から生まれた忌み子である。
互いに争いは避けられなかった。
激しい戦いの末、テシュブはクマルビを打倒し、新たに天空の支配者となったという。
ギリシャにおける去勢神話

画像 : 『ウーラノスと踊る星々』カルル・フリードリッヒ・シンケル(1834年)public domain
世界的に有名なギリシャ神話にも、身の毛がよだつような去勢伝説が残る。
詩人ヘシオドスが著した『神統記』には、次のような伝承が語られている。
(意訳・要約)
大地は「ガイア」という女神の化身である。
ガイアは無性生殖で、天と海と山を、それぞれ生み出した。
そのうち、天はウラノス(Uranus)という男神であり、宇宙の星々をも司る偉大な神であった。
さらにガイアは息子であるウラノスとまぐわい、「タイタン」という12人の巨人、「サイクロプス」という単眼の巨人、「ヘカトンケイル」という100の手を持つ巨人を、それぞれ儲けた。
しかし、サイクロプスとヘカトンケイルの異形さに嫌悪感を示したウラノスは、彼らを奈落の底に幽閉してしまった。
この暴挙にガイアは激怒し、ウラノスを断罪することに決める。
彼女はタイタンの末っ子である「クロノス」に、「ウラノスの男根を切り落とせ!」と命令した。
いわれるがままクロノスは、アダマンタイト(凄まじく硬い金属)の鎌で、ウラノスの男根を一刀両断した。

画像 : ウラノスの股間にクロノスの鎌が突き刺さる! public domain
この世のものとは思えぬ激痛に、ウラノスが悶え苦しんだ。
やがて、ウラノスの傷口から滴り落ちた血液からは、復讐の女神エリニュス、巨人族ギガース、トネリコの精霊メリアスが生まれた。
その後、ウラノスの男根は海を漂い、その周りに発生した泡から美の女神である「アプロディーテ」が誕生したという。
エジプトにおける去勢神話

画像 : パピルス製の巻物に書かれたエジプトの死者の書。オシリスの姿 Hajor CC BY-SA 3.0
ナイル川流域に花開いた古代エジプト文明にも、去勢にまつわる神話は伝えられている。
ピラミッド内部の碑文や、パピルスに書き残された物語をたどると、そこに浮かび上がるのは、王権と血縁をめぐる激しい争いの世界である。
(意訳・要約)
かつてエジプトは、オシリス(Osiris)という神が治めていた。
彼の王政は極めて良好なものであり、国民からの支持も厚かった。
だがそれを快く思わなかったのが、オシリスの弟、セト(Set)である。
セトは部下に命じて棺を作らせ、それをオシリスにプレゼントした。
オシリスがためしに棺に入った次の瞬間、なんとセトと部下たちは棺に蓋をし、そのまま密閉してナイル川へ流してしまった。
そして、哀れにもオシリスは死んでしまった。
追い打ちをかけるようにセトは、オシリスの死体をバラバラにし、その肉片をエジプト全土にばら撒いた。
オシリスの妻である「イシス」は、彼を復活させるべく肉片を必死に集めたが、最も大事な部分である男性器だけは、魚に食われたため見つからなかった。
仕方がないので、イシスは代わりの男性器を作り、オシリスを復活させた。
だが彼は覇気がなくなったのか、再び現世の王として立つことはなかった。
かつて地上を治めた王の威勢はもはや示されず、王権はホルスへと継承される。
その後、オシリスは冥界の王となり、死者を裁く裁判官となった。

画像 : セト wiki c Jeff Dahl
オシリスの死後も、王権をめぐる争いは終わらなかった。
砂漠と戦争を司る神セトは王位を主張し、これに対してオシリスとイシスの子ホルスが父の正統な後継者として立ち上がる。
両者の対立は長期にわたり、神々の法廷での審理や策略を含む激しい争いへと発展した。この戦いの中で、セトはホルスの片目を奪った。
最終的に神々の裁定はホルスに下り、王権は彼へと継承された。
セトは滅びたわけではなく、砂漠や戦争を司る神として存続するが、王座の中心からは退くこととなった。
このように生命を生み出す力は、ときに崇拝の対象となり、ときに奪われ、砕かれ、切り落とされる。
去勢の神話は単なる残酷譚ではない。そこには、王権の正統性、創造の力、そして「男であること」の象徴をめぐる、古代人の切実な観念が刻み込まれているのである。
参考 : ヘシオドス『神統記』プルタルコス『イシスとオシリスについて』 『クマルビ神話』『ベッティ・パピルス』他
文 / 草の実堂編集部
























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