世界最古の筆記具は瓦に棒状の道具で傷をつけたもので、約8000年前のメソポタミアの時代のものが発見されています。
ギリシャ・ローマ時代には蝋を塗った板に、先のとがったスタイラスと呼ばれる金属でできたペンで、文字を刻んでいました。
そののち様々な筆記具が生まれています。その歴史を調べてみました。
毛筆
秦の蒙恬(もうてん)将軍が紀元前221~207年ごろ、兎の毛を竹の管に挟んで作った筆を始皇帝に献上したのが始まりとするのが有名な話ですが、実際はもっと古くから存在していたようです。
殷時代(前1600~1028年)に甲骨片に筆状のもので描かれた文字もしくは記号のようなものが、さらに新石器時代末期にも毛筆状のもので描かれた文様が発見されています。
現存する最古の筆は戦国時代の楚(紀元前11世紀~前223年)の遺跡から発見された「長沙筆(ちょうさふで)」で16㎝の竹軸を割いてその先に兎の毛を挟み、糸でくくって漆で固めたものです。
漢時代の木簡と共に発見された「居延筆(きょうえんふで)」(前75~57年)は木軸の端を4つ割りにして1.4cmほどの穂を差し込み糸で縛って漆で固めたもので、毛筆としてはかなり完成された形状をしています。
日本における毛筆の歴史
日本に筆が伝来されたのがいつだったのかは、はっきりとわかっていません。
大宝年間(701~704年)の文献によると「造筆手」という役職があったということから、この時代には国内産の筆があったということがわかっています。
812年に空海が唐の造筆法による狸毛の筆4本(楷・行・草・写経用)を嵯峨天皇に奉献したという記録もあります。
このころより日本各地で筆が作られようになり、江戸時代には御家人の内職として高品質の筆が盛んに作られるようになり、その技術は現在まで受け継がれています。
羽ペン
中世になるとスタイラスに代わり、がちょうの羽を硬く乾燥させて先端を削り、インクをつけて筆記具として使用するようになります。
しかし羽ペンは書き味を保つためには何度も羽の先を削り、インクをためる機能がないためにインクを付け足す回数が多いという使いずらさがありました。
1780年ごろになると英国のサミュエル・ハリソンが鋼鉄を曲げてその先端を割った、削る必要のないペン先を考案しました。
鉛筆
鉛筆の原点は4千年前の古代ギリシャです。パラグラフォスと呼ばれる鉛の塊の筆記具で、主に羊皮紙に罫線を引くために使われていました。
その後、鉛の塊はレオナルドダヴィンチの時代などでも、画家がカンバスに罫線を引くときに使われていました。
1560年代にイギリスの北カンパーランドのボローテール鉱山で、良質の黒鉛が発見されてから黒く滑らかな性質が重宝され、細長く切ってひもで巻いたり木で挟んだりして、鉛筆の原型となる筆記具が生まれました。
1565年ごろドイツ系スイス人で博物学者のコンラート・ゲスナーは、木や金属でできた筒状の先端に黒鉛の塊を詰めて筆記具として使用しました。
1760年ごろドイツ人のカスパー・ファーバーは、黒鉛の粉に硫黄を混ぜて固めたものを発明しますが、書き心地は良くありませんでした。
1795年、イギリスとの戦争のためにフランスは良質な黒鉛が手に入らなくなりましたが、画家のニコラス・ジャック・コンテによって黒鉛の粉を粘土に混ぜて焼き上げ、書き味よい製品を作ることに成功します。さらに混合比率を変えることで芯の硬度を変えることにも成功しました。
現在の鉛筆もこのコンテの方法とほぼ同じ作り方で製造されています。
1839年、丸い芯を使用して六角形の鉛筆をデザインしたアメリカのローター・ファーバー社によって鉛筆の長さ、太さ、硬さの基準が作られました。
1858年にアメリカのハイマン・リップマンが、消しゴム付き鉛筆の特許をとります。
日本における鉛筆の歴史
静岡県久能山の東照宮博物館に、徳川家康の遺品として1本の鉛筆の展示があります。
1974年に伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から約7cmの鉛筆が発見されました。日本で初めて鉛筆を使用したのは徳川家康か伊達政宗だったのかもしれません。
学習用の筆記具としては筆が一般的とされてきた日本も、計算に不向きな筆から鉛筆へと移行します。海外で製法を学んだ小池卯八郎が1877年日本発の国産鉛筆を「第1回内国勧業博覧会」で展示しました。
1887年フランスで技術を学んで眞碕鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業。
1913年小川春之助商店(現在のトンボ鉛筆)創業。
万年筆
インク壺にペン先を何度もつけて書くわずらわしさを解消するために、1809年にイギリスのフォルシュが鋼鉄のペン先に空気交代によって軸内にインクを貯蔵するペンを考案して特許を取得。同時期にイギリスのブラマーが軸内にインクを貯められるペンを「Fountain Pen」と名付けて特許を取得します。
1884年にアメリカのウォーターマンが毛細管現象の原理を利用したペン芯の特許を取得、現在の万年筆の基本型が生まれます。
ウォーターマンは保険の外交員でしたが、契約書をペンのインクで汚してしまい契約を逃すという苦渋の経験からインク漏れをしないペンを開発しました。その後さらなる改良でくぼみをつけたペン先やクリップ付きのキャップ、カートリッジなど次々と発明を重ね、現代の万年筆の基礎を築き上げたと言われています。
その後モンブランにより万年筆は大人のステータスアイテムへと成長します。1924年の発売以来万年筆の最高峰と言われる「マイスターシュテック」は不動の人気を誇っています。
日本における万年筆の歴史
1895年丸善がウォーターマンの万年筆を輸入販売
1908年伊藤農夫雄がペン先を輸入してスワン万年筆を販売
1911年坂田製作所(現在のセーラー万年筆)創業。国産初の万年筆の誕生
1918年並木製作所(現在のパイロットコーポレーション)創業。純国産初の金ペン誕生
1924年中尾製作所(現在のプラチナ萬年筆)創業
ボールペン
1884年アメリカで制作されたものが最初のものとされています。当時はインク漏れがひどく普及しませんでした。
1943年ハンガリーの新聞の校正係だったラディスラオ・ピロが、速乾性のある新聞用のインクにヒントを得てボールペンのインクの改良に成功しました。粘度の高いインクを使用して先端のボールの回転でインクを引き出し、インク漏れを防止するという原理でした。
1940年代になると万年筆に代わる筆記具として知られ始め、イギリス空軍に採用されたことがきっかけとなって社会的に認知され量産されるようになりました。
1965年には微小な重力下でも窒素ガスの力で押し出すことによって使用可能なボールペン、「スペースペン」をポールフィッシャー社が開発し、NASAに採用されました。
日本におけるボールペンの歴史
1947年ボールペン普及のキャンペーンとして日本に立ち寄った飛行機から大量のボールペンが巻かれ、これを拾った日本の万年筆メーカーがこぞってボールペンの開発に取り掛かりました。
日本国内で開発されたボールペンは当初インクが滲んでしまったため、公文書では使用できませんでした。本体も金属製で高価なため普及されませんでした。
1960年代になると開発も進みオート社で世界初の水性ボールペンが誕生します。本体もプラスチック化されて大量生産と低価格化を実現します。
1982年にサクラクレパス社が水性と油性のいいとこどりをした水性ゲルインキの開発に成功します。
1980年代から開発が進められた消えるボールペンは、2001年に表面の顔料を削りとることで完全に消すことができるボールペンとして誕生します。
それ以降開発はさらにすすみ、パイロットコーポレーションから摩擦熱によって消すことができるフリクションボールが発売され、消せるボールペンの主流となりました。
日本製のボールペンは書き心地、低価格、機能性において世界トップレベルと言われており、日本を訪れた外国人のお土産として選ばれています。
シャーペン
1822年イギリスのサンプソン・モーダンとホーキンスが、共同で特許を得た繰出し鉛筆がシャープペンシルの元祖と言われています。
1837年アメリカのキーランが「エバー・シャープ・ペンシル」として商標登録し発売したものが実用シャープペンシルの最初とされます。
その後ドイツのクルップ社が大量生産を開始し、日本には1877年初めて輸入されました。
日本におけるシャープペンシルの歴史
ドイツやアメリカからシャープペンシルが輸入されると、その模造品が多数制作され素材も銅、鉄などの金属やセルロイドなどの樹脂類を使用し、軸に山水、花鳥などの彫刻を施した工芸品が多く作られました。
1915年早川金属工業の創業者で錺師(かざりし)の早川徳次が金属製繰出し鉛筆を発明します。金属性で耐久性に優れた「早川式繰出鉛筆」は実用に耐えうるものとなり、初期に1.15㎜とされた太い芯も1916年にはさらに細くして改良します。
このときアメリカ製の「エバー・シャープ・ペンシル」を参考にして名付けられた「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と言う商標が現在のシャープペンシルの名称の由来となっています。
早川金属工業の工場は関東大震災で焼けてしまい、早川徳次は家族と工場を失って、残った負債返済のためにシャープペンシルの特許を日本文房具(現在のぺんてる)に売却し一文無しとなります。
心機一転大阪に1924年に早川金属工業研究所を設立、これが現在の家電製造メーカー、シャープへと成長します。
サインペン
サインペンの発祥はヨーロッパで、18世紀のイギリスの貴族が室内装飾として使用していたフェルトを、細い筒にはめ込んでインクを染み込ませて使用したのが始まりだと言われています。
1940年代後半にアメリカのシドニー・ローゼンタールが、スピードドライ化学製品社からブラッシュペンという名前で発売したのがサインペンの始まりです。
日本におけるサインペンの歴史
ペン先にフェルトを用いた油性マーカーは寺西化学工業から1953年にマジックインキとして発売され、実用化されていました。が、毛先がフェルトで大きいために太い字しかかけないのが欠点でした。これを克服したのが1960年に発売されたアクリル繊維を用いた細いペン先を持つ「ぺんてるペン」です。
当時主流だった裏移りをする油性マーカーを改良、1963年に水性の「ぺんてるペン」が発売されます。
発売当初売れ行きが悪かった「ぺんてるペン」ですが、アメリカの文具国際見本市に出展。このサンプルが当時の大統領リンドン・ジョンソンの手に渡り、書き味を気に入って注文してことが報道され日本でも注目されることとなりました。
日本国内ではぺんてるの固有商標である「サインペン」は一般固有名詞化して、多数の筆記具メーカーからも現在もサインペンとして発売されています。
ガラスペン
ガラスペンはペン先にインクをつけて書く、つけペンの一種です。その美しい見た目から芸術品としての価値も認められています。
1905年の日本の風鈴職人の佐々木定次郎氏によって考案されました。イタリア、ドイツ、フランスといった世界各国に広まり愛好家が多数います。
パソコンや携帯電話の普及よって筆記具の使用や購入が減っている昨今ですが、大事な人や家族に手書きで手紙をしたためることは素敵な習慣です。
愛用品、愛蔵品として美しい筆記具を持つことは大人のステイタス、たしなみとも言えます。
手に馴染む好みの筆記具を見つけてみてはいかがでしょうか?
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