世界各国の歴史において、現代の観点からすると不思議な髪型はとても多い。
「なぜこんな髪形をしているのだろう?」と思ったことがある方も多いのではないだろうか。
日本の侍の象徴「丁髷」
フランシスコ・ザビエルの髪型『トンスラ』
中国清代の『辮髪』
など、世界史の教科書でよく見る変わったヘアスタイルには、実は深い理由や実用性に富んだ物が存在している。
そんな世界史における変わった髪型について、今回は深く掘り下げてみたい。
日本の変わった髪型
『丁髷』(ちょんまげ)
日本の侍の象徴であった丁髷(ちょんまげ)は、16世紀に日本に来た欧米人にとって、とても奇妙なヘアスタイルに映ったようである。
サイドの髪の毛を残し頭頂部はそり落とし髪の毛を高く結い上げる、この特殊なスタイルにもしっかりとした意味がある。
男子は古代から頭に冠や烏帽子を着用するのが一般的であり、その中に髪を纏めて入れたため、髪を纏めたのが髷の原型である。
古代には冠などの中に入れるため、上に立てていた。
武士の時代になると、丁髷の髷の部分を兜に通して兜にひもで縛り付け、重たい兜がぐらつかないように工夫していた。
『日本髪の女性』
日本髪の原型ができたのは、安土桃山時代後期である。
それ以前には、後ろに長く垂らした 「垂髪(すいはつ)」 や「下げ髪」が女性の主な髪型であった。
鎌倉・室町と時代が進むと髪を束ねたり結ぶようになり、16世紀末(天正頃)から結われはじめた「唐輪髷(からわまげ)」が、日本髪の原型といわれている。
唐輪髷は安土桃山時代の天正頃(1573~92)に遊女たちが結いはじめ、中国(=唐)の女性の髷を真似たところから名付けられた。
このころは髪の毛をアップスタイルにするのは奇抜な髪型だったようだが、その後は広く普及して形の違いから身分、職業、結婚をしているかが分かるようになった。
アジアの変わった髪型
『辮髪』(べんぱつ)
辮髪(べんぱつ)は元々は騎馬民族の髪型で、頭髪の一部だけを残して剃り上げた髪型で、残した髪の毛は三編みにして垂らすのが特徴である。これは馬に乗ることを許された男性の髪型であった。
辮髪が登場したきっかけは戦闘時に邪魔であったからで、一つにまとめることで邪魔にならないようにした。
しかし満州族が支配した清の時代では意味合いが異なる。
当時は満州族が漢民族を支配している構図であり、満州族は漢民族に自分たちの文化を強制し忠誠を誓わせており、辮髪にしないものには厳しい罰が課せられた。
『ミャオ族の髪型』
ミャオ族の女性は髪型が特徴的で、木製の大きな櫛に髪の毛と毛糸が巻きつけられている。
この髪型には先祖代々の髪の毛も入っていて、命のつながりを象徴している。
重さは約5kg、長さは約2.5mある。
『ハルハ族の髪型』
モンゴルの多数派民族であるハルハ族の既婚女性は、太いツインテールのような特有の髪型を飾り、頬に小さい丸を描いた。
角の部分は長く伸ばした自分の髪である。
頭飾りの大きさやそこを飾る宝飾品の数などは、地位や財力によって変わる。
「スターウォーズ episode1」に登場したアミダラ女王の髪型はハルハ族の髪型をモデルにしている。
ヨーロッパの変わった髪型
『トンスラ』
トンスラは、カトリック教会の修道士の髪型として知られ、鉢巻をしたような形に頭髪を残し、それ以外の頭頂部および側頭部から後頭部にかけて剃るスタイルである。
由来は定かではないが、キリストの磔刑の際にイエスに被せられた「いばらの冠」を表しているとも、天使の輪「光輪」を表しているともいわれている。
ザビエルの所属しているイエズス会はカトリックであったがトンスラの習慣はなく、あの有名なザビエルの絵は後の時代に書かれたもので、ザビエルはトンスラではなかったと考えられている。
『貴族の巻き毛』
ヨーロッパの貴族の髪型は、長い髪に巻き毛のイメージが強いが、あれは地毛ではなくカツラである。
最初にカツラをかぶったのはルイ13世。
彼は22歳のころから剥げていたようで、そのことを気にしてかつらを日常的に被っていたようである。
フランス王だけがカツラをつけているのは気まずいので、周りの貴族たちもカツラを被るようになり、結果的に貴族の中の正装にまでなったと言われている。
『プーフ』
プーフとは、マリーアントワネットがフランスの宮廷で流行らせた髪型で、非常に高く髪が結い上げられているスタイルであった。
後に宮廷内で髪の高さの競争が始まり、次第に巨大なものとなり、馬車に乗ることも不可能になったほどであった。
中東の変わった髪型
『ペイオト』
聖書の頭の「側面」を剃ることに対する差し止め命令の解釈に基づいて、正統派ユダヤ人コミュニティの一部の男性と少年がしている特徴的なもみあげのこと。
旧約聖書の一部に「あなたは頭のピアを丸めてはならない」と書いてあり、鼻の高さで頬骨の下まで伸びる、耳の前の髪を意味すると解釈された(タルムード– マッコート20a)
ユダヤ教徒にとって聖典「旧約聖書」に書かれていることは「神との約束事」であるため、必ず書かれている内容に従わなければならず、このような「もみあげのみが長い髪型」になったようだ。
最後に
髪の毛はファッションの一部だけでなく民族の象徴であり、地位や権力の象徴であったようだ。
世界的に共通していることは、権力者や貴族は髪型が大きくなるという事である。
様々な角度から髪型を見ることは、その文化を理解するヒントになりそうだ。
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