中国史

『古代中国』消えた謎の民族「僰人」なぜ死者を崖に葬ったのか?

僰人とは

僰人(はくじん)という名前を聞いて、すぐに思い浮かぶ人はあまり多くないだろう。

中国史料に登場するこの人々は、主に現在の四川省南部から雲南・貴州にかけて暮らしていたとされる集団で、古くは周代の記録にその名が見え、明代に至るまで断続的に歴史の表舞台に現れている。

画像 : 僰人イメージ 草の実堂作成(AI)

ただし、僰人は「何千年も同じ姿のまま存在し続けた一つの民族」というわけではない。

時代によって、その中身は少しずつ変化している。

漢代から魏晋期の史料では、僰は氐や羌と並ぶ西方系の古い人々として語られ、勢力は現在の青海省西寧一帯(湟中)にまで及んだと記されている。

一方、明代になると「僰人」という呼び名は、現在の白族につながる人々を含む、より広い人の集まりを指す言葉として使われていた可能性が高い。

本記事では、話を分かりやすくするため、史料に登場する僰人をまとめて「ボー族」と呼ぶことにする。
これは現在の民族分類とは異なり、あくまで歴史上の人々を説明するための呼称である。

このボー族と呼ばれた人々は、今から400年以上前、四川南部一帯で起きた大きな戦争を境に、歴史書の中から姿を消す。

明・万暦元年(1573年)、四川方面の軍事を統括していた地方司令官・劉顕(りゅうけん)率いる明軍による討伐が行われ、その後、生き残った人々は次第に漢人社会へ吸収されていった。

こうして「僰人」という名前だけが、史料上から消えていったのである。

そのため、僰人はしばしば「滅んだ民族」として語られる。

しかし実際には、完全に消え去ったというよりも、名前を失い、他の人々の中に溶け込んでいったと考える方が、現在の研究状況には近い。

ボー族の独特な埋葬方式

画像 : 四川省宜賓市に残る僰人懸棺(崖葬遺構)旅人

2003年、NHKで「天空に浮かぶ棺 〜絶壁に葬られた民族の謎〜」という番組が放送された。

切り立った断崖に、まるで宙に浮かぶかのように据えられた棺の光景は、大きな反響を呼び、この奇妙な葬送文化が改めて注目されるきっかけとなった。

ボー族と結びつけられることが多いこの葬法は、一般に「懸棺(けんかん)」、または「崖葬(がいそう)」と呼ばれる。

四川省宜賓市珙県を中心とする地域に残る懸棺は、特に規模が大きく「僰人懸棺」と呼ばれる。

最大の特徴は、死者の棺を地中に埋めるのではなく、断崖絶壁に設置する点にある。

僰人懸棺には、大きく分けて2つの設置方法が確認されている。

1つは、岩壁に横穴や洞穴を掘り、そこへ棺を差し込む方法である。
もう1つは、岩壁に四角い孔を穿ち、2〜3本の木杭を打ち込んで、その上に棺を載せる方法だ。

後者では、棺の下に無数の杭孔が蜂の巣状に残されており、当時の作業の痕跡を今に伝えている。

このような懸棺の風習は、実は四川省だけに限られたものではない。

福建、広西、雲南、貴州など、中国南方から東南アジアにかけて広く分布している。

しかし、その中でも四川省宜賓市珙県の麻塘壩や蘇麻湾一帯は、現存数が最も多く、保存状態もきわめて良好な地域として知られている。

確認されているだけでも、20を超える崖に数百基の懸棺が集中している。

棺が設置されている高さは、低いもので地上10m前後、高いものでは約110mに達し、人が近づくことさえ困難な場所も少なくない。

さらに、岩壁には赤色や白色の鉱物顔料で描かれた彩色岩画が数多く残されている。

これらの岩画は、長い年月を経てもなお色彩が鮮やかで、円形などの幾何学模様、人物像、武器、動物、踊る人々、騎馬の場面など、多様なモチーフが確認できる。

これらが葬送儀礼とどのような関係を持っていたのかも、懸棺と並ぶ大きな謎の1つである。

清掃修理工事

画像 : 四川省宜賓市・石城山崖墓群(断崖を葬送空間として利用した崖葬遺構。僰人懸棺と同系統の葬送文化を示す例)Nekitarc CC BY-SA 4.0

2002年9月、四川省宜賓市珙県で、僰人懸棺の大規模な清掃・修理事業が実施された。

修理と並行して、約1週間にわたる現地調査と開棺作業も行われている。

開棺調査では、従来の想像を超える成果が得られた。

とくに注目されたのが、金縁を施した7層構造の絹麻織物である。
さらに、元代の青花磁器や牛骨製の装飾品、骨製品、鉄器、陶片なども確認され、懸棺が単なる埋葬ではなく、明確な儀礼性を伴う葬送であった可能性が浮かび上がった。

棺はいずれも楠木をくり抜いて作られており、長年の風雨によって著しく劣化していた。

棺内には砂や小石、樹葉、トウモロコシの皮などが詰められており、遺体の保護や腐敗防止を意図した処置と考えられている。保存状態の良い頭蓋骨が確認された例もあり、人骨資料としても重要である。

一方で、棺内が荒らされた痕跡を残す例も少なくなく、過去に盗掘を受けた可能性が高いと判断されている。

また、棺の内外に火で焼かれた痕跡が残る例もあり、吊り下げ前に火入れを行い、防腐や殺菌を図った可能性が指摘されている。

こうした調査結果から、懸棺の総数が当時の人口規模に比べて明らかに少ない点も改めて注目された。

すべての人が懸棺葬に付されたわけではなく、首長層や有力者など、社会的地位の高い者に限られた葬送であった可能性が高いのだ。

なぜそんな高い場所に死者を葬ったのか?

画像 : 湖北省・神農渓に残る中国の懸棺(崖葬)の一例 Peter Tritthart CC BY 3.0

懸棺という極端な葬送形式が選ばれた理由については、古くからさまざまな説が唱えられてきた。

ただし、後世に語られた民間伝承と、考古学的推定は区別して理解する必要がある。

伝承の一つには、疫病流行の際、神託によって「死者を絶壁に葬ることで災厄を避けられる」とされた、という物語が伝えられている。

ただし、これはあくまで後世の語りであり、史料的に裏付けられた事実とは言えない。

一方、比較的説得力を持つのは、自然環境と信仰観の両面からの説明である。

山や河を霊的存在として敬う意識が強かった人々にとって、断崖は地上と天界の境界に位置する特別な場所であった可能性がある。

また、高所に棺を置くことで、湿気や獣害を避けられるという実利的な利点も無視できない。

いずれにしても、数百キログラムにも及ぶ木棺を、険しい断崖の中腹や上部に設置するには、高度な技術と組織的な作業が必要だった。

具体的な設置方法については、索道、垂索、木桩の併用など複数の仮説が提示されているが、決定的な結論には至っていない。

終わりに

絶壁に据えられた懸棺は、単なる奇異な風習ではない。

そこには、当時の人々が死をどう捉え、自然や祖先とどう向き合っていたのかという、切実な世界観が刻まれている。

僰人、あるいはその名で呼ばれてきた人々は、歴史の表舞台から姿を消した。

しかし、断崖に残された棺と杭孔、岩壁の彩画は、彼らが確かにこの地で生き、死を迎えた証そのものである。

懸棺は今なお多くの謎を残しているが、その沈黙こそが、過去と現在を静かにつなぎ続けているのかもしれない。

参考 : 『太平寰宇記』四川省文物局「珙县僰人悬棺保护与清理调查报告」(2002–2003)他
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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