「てなもんや三度笠」は、1962年(昭和37年)5月6日から放送されたコメディ時代劇である。
毎週日曜日夕方6時からの30分放送で、放送開始から視聴率はどんどん上昇し、最高64.8%を記録した。
当時はまだまだ娯楽は少なかったとはいえ、とんでもない数字である。
今回は「てなもんや三度笠」が多くの人を魅了した理由を分析をしてみた。
「てなもんや三度笠」のストーリー
「てなもんや三度笠」の内容は、よくある股旅物である。
股旅物とは、世渡人が日本全国各地を回る話を描いたジャンルである。
江戸時代は行動が厳しく制限され、自由に旅に出るのも難しかった。しかも現代のように飛行機や新幹線もないため、庶民は歩いて目的地へと向かうことになる。そんな江戸時代の旅の話を描いた股旅物は、昭和初期に大衆演劇の1ジャンルとして確立した。映像の世界にも影響し「木枯し紋次郎」や「子連れ狼」といった、名作も生まれた。
しかし「てなもんや三度笠」は「木枯し紋次郎」のような渋い話ではない。
主人公は、態度だけは一人前の世渡り人である「あんかけの時次郎」。時次郎のパートナーとなるのは、口は達者で小生意気な小坊主の「珍念」。
2人は東海道を旅しながら、様々な騒動に巻き込まれていく。
旅の途中で出会う、素浪人の蛇口一角や名古屋弁の鼠小僧など、濃い面々とのやり取りも魅力的だった。
生放送で時代劇!?「てなもんや三度笠」
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「てなもんや三度笠」の魅力は、生放送である。
リアルタイムで演者は芝居をし、そのままテレビで放映していたのだ。令和の感覚でとらえると、にわかに信じられない話と言えるだろう。
時代劇かどうかは関係なく、ドラマを生放送で届けるのには無理がある。万が一台詞を間違ってしまったら何もかも全て台無しである。しかも「てなもんや三度笠」にはチャンバラシーンがあり、タイミングがズレると無茶苦茶になってしまう。
大御所俳優でも苦労するほど難易度の高いシーンを生放送でやり遂げてしまった「てなもんや三度笠」は「凄い」以外の言葉は見つからない。
「てなもんや三度笠」が生放送だったのは、当時はまだVTR編集ができるだけの環境が整っていなかったからである。
VTR編集そのものは1900年代から確立はされている。ただし当時のテレビ局にはまだ編集専用の機材は揃っていなかった。単純に「やりたくてもできなかった」から、生放送へと舵を切ったのである。
さらに驚くことに、収録は実際に観客を入れて行われていたのだ。場所はABCホールである。
普段はサラリーマンが行き交う場所で、あんかけの時次郎と珍念は旅をしていたことになる。
舞台セットは全て本物
「てなもんや三度笠」のセットは、あり得ないこと尽くしである。
舞台では「書割(かきわり)」と呼ばれる物を使う。「書割」とは、ベニヤ板や布等に背景や建物を描いて、舞台に設置する舞台装置の一種のことである。現在でも書割は使われており、なくてはならないものになっている。
ところが「てなもんや三度笠」で使われる舞台装置は、全て本物だったのだ。
建物を本当に建築するのは、まだまだ序の口。川が流れるシーンがあれば本物の水を運び、草や木も全て本物を揃えていた。
さらに物語を盛り上げるために本当に大砲を打ったり、爆破だって厭わなかったのである。
繰り返しになるが、収録された場所は観客が目の前にいるABCホールである。令和の時代に同じ事をするのは、もはや不可能である。
出演者全員がレジェンド級
「てなもんや三度笠」に出演した俳優は、あまりにも豪華すぎる。
あんかけの時次郎役は、藤田まことが担当した。後に「必殺シリーズ」の中村主水をはじめ、数多くの映画やドラマに欠かせなかった俳優である。当時は駆け出し中の俳優だったが、初主演となった「てなもんや三度笠」をきっかけに大ブレイクとなった。
小坊主の珍念役は、白木みのるである。彼は「口が達者な子役」を演じていたが当時は28歳で、藤田まこととと同年代であった。彼は大阪で知らない人はいないほどの大スターだったが、東京での知名度はまだまだであった。
蛇口一角役は、財津一郎である。「てなもんや三度笠」では、エキセントリックな笑いを多く届けた。
「てなもんや三度笠」に登場するゲストも凄まじい面々が勢揃いだった。
記念すべき第1回のゲストとなったのは、伴淳三郎である。伴淳三郎は関西喜劇人協会(現:日本喜劇人協会)の会長で、喜劇の歴史を語る上で避けて通れないほどの大物である。藤田まことの父親と縁があったため出演に至った。
他にも、京唄子・鳳啓介・柳家金語楼・芦屋雁之助・南利明・フランキー堺・由利徹も登場。当時は若手イケメン俳優だった里見浩太朗も出演している。
あたり前田のクラッカー!「てなもんや三度笠」が送り出したギャグの数々
「てなもんや三度笠」を語るのなら、ギャグを避けて通るわけにはいかない。
藤田まことの「当たり前田のクラッカー」は、あまりにも有名である。「てなもんや三度笠」という言葉を知らない人であっても、一度は耳にしたことがあるだろう。
財津一郎が甲高い声を上げて「非常にキビシー!」と叫ぶギャグも、元を辿れば「てなもんや三度笠」に辿り着く。財津一郎は刀をペロリと舐め、エキセントリックな姿も披露した。
他にもまだまだたくさんある。鳳啓介の「ポテチン」。芦屋兄弟の「ヤヤヤ」。芦屋小雁の奇声。京唄子の吸い込み芸。伊東四朗の女形言葉。有島一郎のカクカク歩き芸等。
「てなもんや三度笠」は、昭和喜劇の全てが詰め込まれていたといっても過言ではない。
【参考資料】:「伝説日本チャンバラ狂 名作時代劇おもしろドキュメント」
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