日本の神社界で頂点に位置する伊勢神宮。
昔から伊勢神宮への参拝は特別なものであり、多くの人が伊勢を目指して旅をしていた。
江戸時代には不思議なことに約60年に一度の周期で「お伊勢参り(お蔭参り)」が流行するという現象も起こっていた。
今回は、伊勢神宮にはどんな神様が祀られているのか、そして「式年遷宮(しきねんせんぐう)」についてもわかりやすく解説する。
伊勢神宮には何の神様が祀られている?
伊勢神宮には天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られていることは広く知られているだろう。
これは正解であるが、伊勢神宮は一柱の神様が祀られているわけではない。
普通の神社でも、主祭神(しゅさいじん)と合わせて複数の神様を祀っている場合がある。
伊勢神宮は、天照大御神を祀る神社というだけではなく複数の神社の集合体であり、125社の神社が鎮座する神社群の総称なのである。
伊勢神宮には内宮(ないくう)と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう)と、外宮(げくう)と呼ばれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つの正宮(しょうぐう)がある。
内・外両宮には、正宮に次いで尊いとされる別宮が計14社、正宮や別宮の神とゆかりの深い神を祀る摂社が43社、さらにそれらの神々とゆかりのある神を祀る末社24社と所管社42社が鎮座している。
この神社群の中心に祀られているのが、内宮の正宮に祀られている天照大御神なのである。
天照大御神は、何の神様なのか?
伊勢神宮に祀られている天照大御神とは、伊弉諾(イザナギ)が伊弉冉(イザナミ)を追って出向いた黄泉の国から帰ってきた際に、穢れの禊(みそぎ)を行ったときに生まれた「三貴子」と呼ばれる最も尊い神の1柱である。
天照大御神は「天を照らす」という通り、太陽を神格化した神なのだ。
天照大御神は孫神であるニニギを地上に送り出すと、ニニギは地上で生活をはじめる。
海幸彦・山幸彦の伝説である山幸彦はニニギの子であり、山幸彦の孫が初代天皇の神武天皇となる。
このことから天照大御神は天皇家の祖先神であり、日本人の氏神といえるのである。
「式年遷宮」とは
伊勢神宮は、天皇家の祖先神を祀る聖域である。
この聖域には「常若(とこわか)」と呼ばれる思想があり、常に若々しい様子を意味している。
そして「式年遷宮」とは、伊勢神宮の内宮・外宮で定期的に行われる遷宮のことである。
原則としては20年ごとに行われることとなっており、社が20年おきに新しくされるのである。
壊してから新しく立て直すのではなく、東西に同じ広さの敷地を持ち、交互に新しい社を造り直し、ご神体が移される。
つまり伊勢神宮自体の歴史は古いが、神社の神殿は古くても20年ということになるのだ。
式年遷宮の歴史は飛鳥時代から
伊勢神宮の「式年遷宮」の歴史は非常に古く、なんと飛鳥時代までさかのぼる。
当初、伊勢神宮における式年遷宮を立案したのは、第40代天武天皇とされている。
天武天皇の発意から、第1回の式年遷宮が行われたのは690年、第41代持統天皇の時代である。
つまり、1300年前の飛鳥時代から現代に至るまで、遷宮は何度も繰り返されてきたのだ。
戦国時代には一時中断されたこともあったが、式年遷宮は20年に1度行われ続け、直近では2013年10月に62回目の遷宮が行われた。
次回は2033年に、第63回の式年遷宮が行われる予定となっている。
この2033年の式年遷宮については、既に動きが始まっている。
2024年4月8日に伊勢神宮の久邇朝尊(くにあさたか)大宮司は、「御聴許」と呼ばれる許可を今上天皇より賜った。
ご神体を新しい正殿へ移す最も重要な儀式である「遷御の儀」を行うことを目指して、正式な準備の第一歩を踏み出すこととなったのだ。
一生に一度は伊勢神宮を参拝してみよう
天照大御神は皇室の祖先神であるとともに、我々日本の人々すべてを守護する神でもある。
神宮には数多くの神が祀られており、日本国中すべての神社の頂点となる聖域であることから、日本人なら一度は参拝したいパワースポットである。
例え20年に一度建て替えられた新しい建物だったとしても、建築様式は1300年間引き継がれてきた飛鳥時代から今に引き継がれたものである。
他の神社や最新の建物とは違う建築様式を、実際に見てもらいたい。
神宮領域に足を踏み入れたときに感じられる神聖な雰囲気を、ぜひ体感していただければと思う。
参考文献
・日本の神社と神様 株式会社宝島社
・ビジュアル百科写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史 西東社
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