戦国の世にあって、一風変わったその名を耳にした人も多いだろう。
悲劇のキリシタン「細川ガラシャ」。
娘として、妻として、なにより女性として激動の人生を送ったガラシャとはどのような人物だったのか?
キリスト教の支え
ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢)とはカトリックにおける洗礼名である。
ラテン語で神の恵みを意味するその名は、彼女が何より求めていたものだった。本名は「たま」もしくは「たまこ」といったが、明治になり彼女を讃えるキリスト教徒が「細川ガラシャ」の名を広めた。
当初は夫である細川忠興からカトリックの話を聞き、その教えに惹かれるものを感じていたが、とてもその気持ちを表に出すことなど出来る身分ではない。なぜなら、ガラシャは織田信長を討った明智光秀の娘であったからだ。世は豊臣の時代に移り変わるも、忠興はガラシャを大坂の細川低になかば幽閉していた。
その息の詰まる生活において、唯一の支えとなったのがキリスト教である。
本能寺の変
※細川忠興
夫の細川忠興は、織田信長の家臣である細川藤孝の嫡男であった。
15歳のときに信長のはからいにより、細川家へ嫁入りすると翌年には長女を、翌々年には長男を出産している。ガラシャはなかなかの美人で、忠興との夫婦仲も良い。細川家は主君・織田信長に重用され、それこそ順風満帆ともいえる人生を送っていた。
父・明智光秀が、本能寺の変で信長を討ち取るまでは。
「逆臣の娘」となったガラシャは、忠興により丹後国(現・京都府北部)に逃されるが、事実上の幽閉である。本来ならば離縁されて当然であったが、忠興はガラシャを手放せずに匿ったのだ。そのような生活の支えとなったのは、わずかな侍女たちだったが、そのなかには後にガラシャに洗礼を授ける清原マリアもいた。当然、この間にもすでにカトリックについての話を聞かされていたことだろう。
やがて、豊臣秀吉の取り成しにより、ガラシャは免罪され大坂の細川低に移ることになる。
洗礼とバテレン追放令
忠興は小牧・長久手の戦いにも参戦し、秀吉から羽柴姓を与えられるほどの武将であった。
そのため、秀吉の九州征伐にも出陣することになる。この機会を逃さずにガラシャは行動を起した。生まれたばかりの子・忠利が病弱だったことなどの心配が募り、身分を隠しつつ教会へと向かったのである。そこでガラシャは教会の修道士にいろいろな話を聞いている。
身分を明かせぬ身のために、洗礼こそ受けられずに一度は屋敷に戻るも、その後は侍女たちを通じて教会と連絡をとるなどをして信仰心を深めていった。
しかし、またしてもガラシャにとって希望を奪われる出来事が起こる。
九州に出征している秀吉が発した『バテレン追放令』であった。このことを知ったガラシャは、大坂を離れる前のイエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデス神父に取次ぎ、自邸で密かに洗礼を受けたのである。
人生の壁
※旧細川低の跡地に建てられた大阪カテドラル聖マリア大聖堂。大聖堂内にはガラシャを描いた画が飾られている。
九州から戻った忠興は、人が変わったようにガラシャに対して厳しく接するようになっていた。もともと気性の荒い男であり、史料にも「天下一気が短い人」などと書かれている。明智光秀からも「降伏したものを無闇に殺さないように」と釘を刺されるなど、武人としての能力とは別に人間性には問題があった。
そのため、側室を5人も持つなどガラシャを苦しめる。ガラシャは夫との離縁を宣教師に相談したが、キリスト教では離婚はタブーとされており、宣教師はなんとかこれを思いとどまらせたという。
しかし、ガラシャには最後の悲劇が待っていた。
細川ガラシャ 壮絶なる最期
※ガラシャの墓
忠興が徳川家康とともに上杉征伐に出陣するときのことである。
忠興は「もし私が不在の折に妻に危険が及ぶようなことがあれば、まずは妻を殺した後に全員切腹するように」と家臣たちに伝えて出立した。キリスト教では自害が禁じられているため、わざわざそういい残したのである。
その予感通り、石田三成は兵を率いて大坂の細川低を取り囲み、ガラシャを人質にしようとした。それを知った彼女は祈りを捧げた後で屋敷内の女性を集め、自分だけが死ぬ覚悟があると告げ、侍女らを外に出す。
その後、ガラシャは家老の介錯により命を絶った。その家老も遺体が敵の手に渡るのを恐れ、屋敷ごと爆破した後に自刃している。
ガラシャの時世の句は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」であった。「 花も人も、散りどきを心得てこそ美しいものなのです」ということだ。
ガラシャの死に様は三成にも大きな衝撃を与えた。この件以降、彼は諸大名の妻子を人質とすることをやめたという。
最後に
キリストの教えに救いを求め、同時に教義によって自由を奪われた細川ガラシャ。
しかし、彼女は最後まで主の導きを信じその生涯を終えた。洗礼を受けたガラシャは以前よりも穏やかな女性になったといわれている。信仰がもたらす心の強さを、身をもって示したのがガラシャという女性であった。
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