映画などで、茶道が取り上げられると、どんな魅力があるのかと注目を浴び、さまざまなメディアで紹介されて、再評価されます。
しかし、その評価や評判などを目や耳にすると、中には、先入観として一人歩きしているように感じられるのも確かです。
それは、お嬢様が礼儀作法を学ぶべきためのものとか、高貴で、優美な、金持ちたちだけが楽しむべき、贅沢な趣味という印象です。
映画などでは、そればかりが描かれている訳ではないですが、その方向に目が奪われてしまいがちな印象です。
しかし、その評価には首をかしげてしまうのです。
それは、筆者自身が、数年前から、茶道に関する文献資料に触れたり、幾つかの流派での体験したりなどの経験があるために、感じることなのです。
今回は、これまでの、その経験から得られた、筆者自身が感じた、茶道の魅力について、記したいと思います。
是非、ご一読頂き、茶道の魅力を再発見してみてください。
魅力 その一 「 音を楽しむ」
茶道は、五感を研ぎ澄ませ、それぞれの感覚で感じることを楽しむものと言われています。
そして、特に、五感の中でも、主に使うのは、聴覚 と言われています。
奥田正造の著作の『茶味』に以下のような文面があります。
「その中でも耳の力が最も強い。主人は客の一挙一動から出る音に心の耳をすまし、客は主人の働きから出る音に心の耳を洗う。」
「手水鉢の水を改めんとて、さっとうつす水の音は馳走の最初の響きである。」
茶室に入る前に、門前からそれは始まります。庭の砂利道を歩く音、木扉や襖を明け閉めする音、畳の上を摺り足で進む音、湯釜のお湯が沸く音、柄杓でお湯や水を器に注ぐ音、茶筅でお茶をたてる音。
それらの音を全て楽しむことを、茶を味わうことになるのでしょう。
魅力 その二 「陰を楽しむ」
そこから感じられるのは、
目を極力使わないということです。
茶室とは、特に、茶道の創始者とされる千利休が好んで利用したものは、 二畳や一、五畳で狭く、しかも窓は北側に設置されていて、光を極力取り込まない設計になっています。
僅かに入る光で、茶碗や花を愛でるのです。
特に、利休が好んだ茶碗は、黒っぽい物が多かったとい言いますから、この暗がりの中では、ほとんど見えなかったと言えるでしょう。
つまり、わざと見えない茶碗で、茶を飲んでもらい、味覚や聴覚で楽しむことを勧めたのです。
それは、まるで盲目になることを想定し、疑似体験させるためだったとも言えるかもしれません。
又、目に頼らないで心の休養を取らせようにとする、粋な計らいであったという見方も考えられます。
ここで、
作家の谷崎潤一郎による評論の『 陰翳礼讃』には、以下のような文面があります。
「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うよう陰翳を利用するに至った。」
「われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」
日本人の特質の、陰や影を好みやすい文化は余儀なくして創られたものですが、そこからいつしか芸術性を見出だされたのです。
さらには、精神的な安らぎを与える効果も見込めるようになったと考えられます。
つまりは、盲目が 余分な物を見えなくさせ、余計なことを考えさせないようにすることです。
それは、精神医療の一環でもあるとも感じられます。
目が見えない世界は、眼前は暗くても、 別の世界が開けて、明るく見えてくる。
目を中心に使って、世界を味わうだけでは勿体ないということでしょうか。
魅力 その三 「一期一会という覚悟を楽しむ」
さらに、江戸時代の幕末の大老として有名な井伊直弼(いいなおすけ)が書き記したとされる、『茶の湯一会集』に、次のような文言があります。
「そもそも茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざることを思えば、実に我一世一度の会なり。
去るにより、主人は万事に心を配り、聊(いささ)かも麁末(そまつ)なきよう深切実意を尽し、客にもこの会にまた逢いがたき事を弁(わきま)え、亭主の趣向、何一つもおろかならぬを感心し、実意を以て交わるべきなり。これを一期一会という。」
一期一会という四字熟語を広めたのは、井伊直弼と言われています。
初めに使ったのは、千利休らしいですが、定かなことは分かっていないそうです。
再び会えるかどうか分からない。
人の命は、いつ 消えていくか分からない。
しかし、例え、同じメンバーで、今後も幾たびも会えたとしても人の心は移り変わるものなので、前と同じ気持ちで会うことはないということでしょう。
茶の湯での出会いとは、その日限りの出会いと思い、臨むべきだと、諭しているのでしょう。
目の前にいる人との出会いをかけがえのない出来事として大事にするという精神なのです。
命も時も、惜しむことのないようにと、その心がけを教えてくれているものだと考えます。
魅力 その四 「和敬清寂の精神」
そして、最後に、茶道の精神を一言で表すと言われているのが、和敬清寂 (わけいせいじゃく)という四字熟語です。
奥田正造の著作の『茶味』によると
「和は和合の和、調和の和、和楽の和」
「敬とは自己に対して慎み、他人に対して敬うという心持で」
「清はいう迄もなく清廉潔白である」
「心のおちつきを宿すことを要求する。これが即ち寂である。」
和をもって尊し、礼に始まり、礼に終わること。
どんなに古く欠けた茶器であっても、清潔な茶巾と茶筅で、拭われて、点てられることは清い心があってこそなのです。
最後に、静寂を大切にする事。これが茶道の基本中の極意ということになります。
それは、静かなる命の流れを大事にすることでしょう。
まるで、山奥の湧水が僅かに滴り、あらゆる生命を生かせてくれていると感じる、命の源だと教えてくれているようです。
あとがき
如何でしたか?
皆さんの頭に描いていた茶道の絵面と違っていたでしょうか?
それとも描いていた通りだったでしょうか?
皆さんの目に新たな世界の息吹を吹きこめて、少しでも興味が沸いたなら 幸いです。
とても分かりやすい文で助かりました。参考にさせていただきます