家紋とは何?
日本では、世界的に見てもユニークな「家紋」という文化があり、今でも多くの家に家紋がある。
最近では核家族化が進み「家」や「家紋」を意識する機会は減っているものの、お墓等には家の家紋が彫られていることが殆どである。
戦前は旧民法のもと「家制度」が存在していた。
家の家紋が入った紋付袴が日本の正装とされていたこともあって、家紋付きの着物や羽織、小物などが多く見られ、仏壇に家紋がついている家庭も数多くあったのである。
しかし戦後から西洋化が進んだ結果、家紋は古典的なものとして考えられるようになり、現在家紋が入っている代表的なものは墓石くらいである。
更に昨今ではお墓を持たない人も増えているため、自分の家紋が入っているものを一切持っていなかったり家紋が分からない人も相当いるはずである。
家紋とは先祖代々伝えられて来た家を表す紋章のことで、現代風に言えば「我が家のロゴマーク」的なものである。
だからと言って、例えば「田中」という苗字の人が皆同じ家紋という訳ではなく、同じ苗字でも出身地や家系、家業などによって千差万別の家紋が伝わっており、逆に苗字は違っていても同じ家紋を使っている場合も多くある。
そのようなことから、家紋は苗字と合わせて自分の家系やルーツを実感出来る親しみやすいシンボルとも言える。
家紋の種類は6,000種類以上で、細かく区別すると2万種以上あると言われている。
それでは家紋はいつどのようにして生まれたのだろうか?
家紋の由来・ルーツを探るためには、家紋が生まれる前の文化から目を向けていく必要がある。
日本では家紋文化が生まれる前から「文様(もんよう)」というものが長く使われていた。
一番分かりやすい文様は縄文時代の「土器」で、縄文土器や弥生土器に見られる多種多様は文様・造形はそれぞれに意味があったとされている。
このように家紋が生まれる前の日本には「文様文化」があり、そのことが家紋の発生につながっていった。
公家の家紋のルーツは「牛車の車紋が由来とする説」「衣服の文様を由来とする説」「何かしらの理由やゆかりによる説」の3つの説が有力視されている。
律令国家が成立した奈良・平安時代に、朝廷に仕える貴族(公家)たちが「文様」をあしらった衣服や家具を使い始めたことがきっかけとなったという説が最も有力である。
天皇と皇室を表す紋章で広く知られている「菊花紋」は、鎌倉時代の後鳥羽天皇が菊の花を好み、天皇家のあらゆる調度品に菊の紋を使用したことが由来だとされている。
こうして家紋は自分の権威を示し、持ち物を識別する上でとても便利な目印であった。
また、家紋は1代限りではなく、その家を象徴するものとして子々孫々に受け継がれていくことになる。
ここまでは公家の家紋の由来だが、武家の家紋が生まれ広まった時期には諸説ある。
源頼朝の時代には武家の家紋はまだほとんどなかったが、公家や天皇家と関係が深かった平清盛は家紋を持っていたという。
源平合戦では源氏は白旗、平氏は赤(紅)旗で、敵・味方の区別をつけていた。
武家の家紋の由来も3つの説があり「旗指物を由来とする説」「陣幕を由来とする説」「衣服の文様を由来とする説」がある。
戦いの目印として始まった武家の家紋は功のあった家臣に下賜され、価値のあるものとして広く認められるようになった。
家紋は苗字を表すものだったが、南北朝時代以降はかつて同じ家紋をつけていた同族で戦をすること増え、どちらかが家紋を変える必要があった。こうして武家の家紋の種類は自然と増えていくことになったのである。
そういった理由で、家格が固定されていた公家よりも、武士の方が多くの家紋が生まれることになったのである。
豊臣秀吉の家紋が今の日本政府と私は瓜二つだと思っていた、今回の記事を読んでなにかしら天皇と豊臣家の家紋関係あるんじゃあないですか?
はい、来ました秀吉は天皇家から家紋をもらった?取った?強引に自分のものにしたのですよ。
さすがですね
家康の徳川の葵の御紋や徳川御三家、身内の松平家、他に信長や足利将軍家や天皇家、草の実堂さん、本当は次に出す気満々何でしょう?期待度MAXで、待っています。
最近、大河ドラマ関係多過ぎに加えて細か過ぎない?