織田信長といえば戦国時代の三英傑の一人にも数えられ、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と詠まれたように、残虐非道なイメージがあります。
そんな信長の家臣たちも有名な武将が多いですが、その中でもひときわ異彩を放っているのは小姓を務めていた「森蘭丸」ではないでしょうか。
今回は、森蘭丸と織田信長の関係や、小姓の役割について解説いたします。
小姓の仕事とは
「小姓」という呼び方は、室町幕府の将軍の近侍に「小姓衆」という記述があることから、室町時代に現れたと考えられています。
小姓は武士の役職の一つで、武将の側に仕えて様々な雑用をこなしていました。
戦国時代になると、小姓は通常時には現在の秘書のような役割を担っており、それがひとたび戦・行軍となると主君の側に控え、時には自分の体を盾として主君を守る役割もありました。
小姓には幅広い知識と教養、作法と武芸が必要とされたため、その後は側近として活躍することも多くありました。
また、戦国時代には「女性は不浄のもの」とされており、戦に女性を連れていくことはありませんでした。
このような背景から、小姓は衆道の対象にもなっていたと言われています。
前田利家や直江兼続、石田三成も、幼い頃には小姓として主君に仕えていました。
森蘭丸とは
「森蘭丸」という名前は、信長が題材として取り上げられているドラマやコミックなどで、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
本名を森成利(もりなりとし)といい、1565年に織田家の家臣である森可成(もりよしなり)の三男として生まれました。
1577年に弟の長隆・長氏とともに信長の小姓として召し抱えられます。「蘭丸・坊丸・力丸」という名前のほうが知られているかもしれません。
森蘭丸は、弟たちと共に1582年の本能寺の変にて討ち死、享年18でした。
森蘭丸の家族
森蘭丸は9人兄弟で、2人の兄と3人の弟、3人の妹がいました。(※妹が4人いて10人兄弟だったという説も)
正室の他に側室がいるのが普通だった戦国時代において、蘭丸の父・可成は珍しく愛妻家でした。
蘭丸の兄弟はすべて父・可成と、母・えいの間に生まれた子供です。
母・えいは、石山合戦の際に石山本願寺との和睦のために奔走した「妙向尼」の名の方が有名かもしれません。
蘭丸の父・森可成は、清和源氏の中の一家系・河内源氏の棟梁で、鎮守府将軍・源義家の七男・源義隆の子孫にあたります。
義隆の孫である森頼定(もりよりさだ)が、森家の始まりとなります。そして頼定の次男・森定氏が美濃に住み、代々土岐氏に仕えていました。
そのため可成も最初は土岐氏の家臣でしたが「美濃のマムシ」こと斎藤道三が土岐頼芸を追放してしまいます。
このことで可成の父・可行は、尾張の織田信秀を訪ね、1554年頃には可成とともに信秀の子・信長に仕えるようになったのです。
そして可成の子である蘭丸は、信長の小姓となりました。
蘭丸の仕事
土岐氏から織田氏に主君を替えた森家ですが、信長のもとで小姓として仕えていた蘭丸は、具体的にどのような仕事をしていたのでしょうか。
蘭丸が実際に行った仕事を、いくつか抜粋してみます。
信長の使者として、塩川長満に銀子100枚を届ける。
信長が河内を平定した後、紀伊国に対する砦として残した河内金剛寺へお使いに行く。
信長の息子たちの信忠・信雄・信孝のもとへ脇差を届ける。
武田の旧臣へ朱印状を届ける。
斎藤六太夫に褒賞として小袖と馬を与える。
信忠に、土蔵の中の鳥目を伊勢神宮に寄進するべきと伝える。
などなど、各地に赴いて信長の手足となっていました。
このように忙しくしていた蘭丸ですが、どこへ行っても「品行方正な人物である」と褒められていたようです。
森蘭丸は、織田信長の自慢BEST3に入っていた
信長は、「自分には自慢できるものが3つある」と豪語していたそうです。
その3つとは
「奥州から献上された白斑の鷹」「悪路でも躓かない青の馬」、最後の一つが「忠臣・森蘭丸」だったそうです。
先述した通り、蘭丸はどこに言っても褒められる有能な小姓でしたが、他にも次のような逸話があります。
不正をしない
ある日、信長は小姓たちを集めて「刀の鍔の部分に模様がいくつあるか当てられたら、太刀を与える」という遊びを行いました。
小姓たちが次々と答えていく中、蘭丸だけは沈黙していました。
信長が「なぜ答えないのか?」問うと、蘭丸は「信長様が用を足しているときに数えたことがあり、答えを知っているからです」と答えたのです。
信長はその正直さに感動し、褒美として太刀を与えたといいます。
細かすぎる気配り
信長が爪を切っていた際の出来事です。
信長は指の爪を切り終わると、その爪を扇子に乗せ、蘭丸に捨てに行くように命じました。
蘭丸は命令に従って次の間に移りましたが、爪が9つしかないことに気づき、もう一つの爪を探し出してから捨てにいったそうです。
髪の毛や爪などは「呪術の道具」として使われることもあり、蘭丸はそこまで気を回していたのです。
信長に恥をかかせない
ある日、信長は蘭丸に「隣の部屋の障子を閉めてくるように」と命じました。
蘭丸が隣の部屋へと行くと、障子は閉まっていました。
そこで蘭丸は障子の一つを開け、わざと音をたてて閉めなおしました。
戻って信長に障子が閉まっていたことを報告しましたが、信長は「それならば、なぜ音がしたのか?」と問いました。
すると蘭丸は
「信長様が障子が開いているといったにもかかわらず閉まっていたとなれば、主君に恥をかかせることになるため、わざと音を立てて周囲に聞かせました」
と説明したそうです。
終わりに
森蘭丸は「信長の小姓として仕え、本能寺の変で信長とともに戦って亡くなった」という印象ばかりが先行しがちですが、武将としても有能な人物であり、あの信長が自慢するほどの逸材でした。
蘭丸は18歳という若さで亡くなってしまいましたが、もし長生きしていれば誰のもとでどんな活躍をしていたのか想像してみるのも一興かもしれません。
参考 : 太田牛一「現代語訳 信長公記」
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