幕末明治

かつて台湾を蝕んでいた『アヘン問題』日本はどうやって根絶に成功したのか?

日清戦争の終結後、台湾は日本の植民地として編入された。

しかし、当時の台湾は「アヘン(ケシの実から作った麻薬)の島」と呼ばれるほど中毒者が街にあふれ、住民の反乱が絶えない「難治の地」であった。

台湾統治の最初の障害となるアヘン問題に対して、日本政府は時間をかけて徐々に根絶させる「漸禁(ぜんきん)策」を採用した。

その漸禁策の具体的な立案と実行役を担い、台湾におけるアヘン対策のリーダー的存在となったのが後藤新平であった。

今回は、日本の台湾統治におけるアヘン問題のあらましと、根絶に至るまでの具体的な取り組みを紹介する。

アヘンの島

画像:李鴻章 public domain

明治28(1895)年、日清戦争の講和条約締結によって、日本は清国から台湾を割譲された。

こうしてアジアではじめて植民地を領有する国となった日本であるが、その前途は多難であった。

講和条約の席で清国全権の李鴻章(り こうしょう)は、日本全権である伊藤博文に対して、こう警告したという。

「台湾の統治は容易ではない。台湾人の間ではアヘンの吸引が常習化しており、その対策は大変な難事である。力づくでアヘンをやめさせようとするなら、必ずや台湾人は武力で抵抗するに違いない」

そして、李鴻章の言葉は現実となった。

台湾住民は軍を組織して反乱を起こし、日本軍に対して頑強に抵抗した。
日本軍の台湾上陸から5ヶ月のあいだに、1万人以上の台湾住民が殺された、という記録があるほどである。

台湾住民に対して、反日武装勢力はあちこちに檄文を貼り付けて反乱を煽っていた。

その内容は以下のようなものである。

「日本は弁髪やアヘンを禁じて、一羽の鶏や一頭の豚にさえ税を課すであろう。戦っても戦わなくても死ぬような目に遭うのならば、戦うべきである」

アヘンは薬として使えば、マラリアや結核など、さまざまな病気の症状を鎮静化する効能を持っていた。

しかし、極めて依存性が強く、常習化しやすい。中毒になると禁断症状に悩まされ、常習者は入手のために手段を選ばなくなる。

当時の清国ではアヘン吸引が全国的に広がっていたが、台湾はとりわけ常習者の多い地域として知られていた。

身分や性別、年齢を問わず喫煙習慣が浸透しており、台湾総督府の調査によれば、1900年時点で登録されたアヘン常習者は約16万9000人に達していた。

檄文にも見られるように、アヘンや弁髪の禁止、重い課税への不安は、台湾住民の反発を煽る口実として利用された。

割譲そのものへの反発など複合的な要因があったとはいえ、台湾統治にあたって、日本が真っ先に取り組むべきはアヘン問題であった。

厳禁論と漸禁論

画像:日本軍の台北入城を描いた想像図 public domain

清朝では、道光帝のもとで林則徐が主導する「厳禁策」が実施されたが、アヘン密輸の根絶には至らず、最終的には国際的な衝突を招いた。

日本が台湾を領有した際に問題となったのも、こうした先例を踏まえ、アヘンを一挙に全面禁止する「厳禁」を実施すべきかどうかであった。

だが、実際に統治に取り組む台湾総督府は「今すぐアヘンを根絶するのは不可能だ」という結論に達していた。

仮にアヘンを厳禁すれば、台湾住民の日本に対する反乱はさらに激化するに違いない。

また、その頃の台湾には実際にアヘン患者を治療し、矯正するための医療施設や医療関係者の数もまったく足りていなかった。

台湾総督府はアヘン問題に対して「厳禁主義ではなく、アヘンの専売制による漸禁(段階的な禁止)主義を採用すべき」という仮案をまとめた。

だが、政府や帝国議会はこれに猛反発する。

アヘン問題をめぐって政府と台湾総督府が対立するなか、当時の総理大臣であった伊藤博文は、内務省衛生局長に復帰していた後藤新平に意見を求めた。

意見を求められた後藤は「本来は厳禁が望ましい」という前置きをしたうえで、以下のような漸禁策を主張した。

・アヘンは台湾総督府による専売制を採用し、輸入や民間での製造を禁止する。

・医師の診断によって常習者と認定された者に限定して購入を許可し、販売は特別な許可を得た店舗のみに限定する。

・専売価格を市場価格の3倍に設定することで、若者がアヘン中毒に陥るのを防ぐ。

・専売によって得られた利益は、漸禁策を遂行するための衛生事業の費用とする。

専売による利益の獲得を盛り込んだ後藤の提案は、政府に好意的に受け止められた。

明治29(1896)年2月、台湾統治におけるアヘンの漸禁策が閣議決定され、同年4月、後藤は台湾総督府の衛生顧問に任じられる。

以降、後藤は台湾総督府の衛生行政に深く関与し、漸禁政策の制度設計と運用において中心的な役割を担うことになる。

「漸禁政策」の成功

画像:後藤新平 public domain

閣議決定の直後、台湾総督府は住民に対して、初めて日本のアヘン政策を公表した。

アヘンがただちに厳禁されるわけではない、と知った住民たちは安堵し、アヘン政策に対する不安や不満は一旦鎮静化した。

そして明治30(1897)年1月、台湾総督府は「台湾阿片令」を公布し、同年4月から専売制によるアヘン漸禁策を正式に施行した。

以降、アヘン吸引者として認定された常習者の数は、長い時間をかけて少しずつ減っていった。

明治33(1900)年時点で約16万9000人とされた登録常習者数は、その後も減少を続け、明治43(1910)年には10万人を下回った。

さらに大正9(1920)年には約4万8000人、昭和5(1930)年頃には約2万6000人前後まで減少している。

太平洋戦争中の昭和19(1944)年に台湾総督府はアヘンの製造を中止し、翌20(1945)年に専売制度を廃止した。

後藤は意見書のなかで「アヘン漸禁策は30年から50年くらいの時間がかかるだろう」と書いているが、その言葉通りとなったのである。

専売制度の光と闇

画像:長与専斎 public domain

後藤が提案した漸禁政策は、成功をおさめたといっていい。

台湾総督府が主張していたとおり、アヘンを厳禁していれば住民たちによる反乱はさらに激化し、植民地統治そのものが失敗していた可能性すらある。

しかし、漸禁政策に必要な患者の治療や、密造などの摘発や処罰について、台湾総督府はあまり熱心ではなかった。

アヘン専売にともなう利益は莫大なものであり、今日の日本円にして、年間数十億円とも数百億円ともいわれる収入をもたらしていたからである。

後藤の漸禁策に対して、初代内務省衛生局長であった長与専斎(ながよ せんさい)は「専売制度を採用すると、どうしてもより多く売って利益を出したいと考えるようになるのではないか」と批判を述べたが、その危惧は現実のものとなった。

漸禁政策によって、アヘンという台湾を蝕んでいた悪習は確かに駆逐された。

一方で、アヘンの製造と専売は、日本の台湾統治にとって重要な財源であったことも事実なのである。

参考資料 :
『後藤新平 日本の羅針盤となった男』山岡淳一郎著 草思社
『後藤新平の台湾』渡辺利夫著 中央公論新社
『後藤新平 外交とヴィジョン』 北岡伸一著 中公新書
文 / 日高陸(ひだか・りく) 校正 / 草の実堂編集部

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