古今東西、世の行く末を憂えて悲憤慷慨の意気に燃える若者は一定数おり、それが社会問題を改善する原動力となることも間々あるものです。
しかし中には血気に逸り、手っ取り早く「世の害悪を除こう」と、暗殺という手段を選んでしまう事例も少なくありません。
今回は明治時代、自由民権運動の闘士として立ち上がった一人の青年を紹介したいと思います。
伊藤博文、討つべし!
青年の名は杉山茂丸(すぎやま しげまる)。幕末の元治元年(1864年)、九州福岡藩士・杉山三郎平(さぶろべい)の子として生まれました。
明治時代に入って父が帰農するも上手くいかず、貧乏暮らしの中で政治意識に目覚めると明治13年(1880年)に上京。山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)に師事します。
およそ1年半の留学を終えて帰郷した茂丸は、同志学友らと交わる中で、次第に伊藤博文を敵視するようになっていきました。
「伊藤こそ、西洋文化にかぶれて日本の伝統を踏みにじり、藩閥政治によって私腹を肥やす逆賊である!」
藩閥政治とは、長州とか薩摩など、明治維新において討幕の功績を上げた一部の旧藩が政治を私物化する状態。畏れ多くも政治の大権は徳川幕府から朝廷すなわち天皇陛下へ奉還(大政奉還)されたと言うのに、これはとんでもない不敬に当たります。
「伊藤、討つべし!」
明治17年(1884年)、21歳となった茂丸は伊藤博文の暗殺を決行するべく上京……したかったのですが、先立つものがありませんでした。
「カネを借りようにも、誰から借りたものか……そうだ!」
茂丸は熊本にいる佐々友房(さっさ ともふさ)を訪ねます。面識?そんなものはありません。ただ、日本国を憂える同志として(多分ダメ元で)すがったのでしょう。
「日本国の未来を賭けて、どうか僕に200円をお貸しいただきたい!」
当時の1円は現代の価値でおよそ5,000~2万円(諸説あり)と言いますから、茂丸はざっと100~400万円を借りようとした感覚になります。
「……承知した」
初対面の相手からこれだけの大金を借りようとする茂丸も茂丸ですが、その心意気に感じてポンと貸してしまう佐々も、なかなかの傑物と言えるでしょう(実際には佐々も手持ちがなく、どうにか160円をかき集めて渡したそうです)。
「これだけの大金であるからもちろんタダでとは言わない。僕は今回の借財について、立派な抵当を用意したのだ」
「ほぅ?」
佐々が訊くと、茂丸はニヤリと笑って自分の首をさすります。
「人間の生首二つ。一つは僕の首と、もう一つは政府高官の首である。もしカネが返せず、君が入用な時はいつでも言ってくれれば、これら二つを進呈しよう」
要するに借金は踏み倒し、伊藤を暗殺したら自分もすぐに自決つもりでいる……そんな茂丸のメッセージを、佐々は快諾しました。
「よかろう。ただし、それらの抵当が僕のものとなった以上、君がカネを返すまで、勝手に処分などすることはならないよ」
「相分かった」
もちろんそんな約束を守るつもりはありませんでしたが、茂丸は160円を受け取ると一路東京を目指したのでした。
ついに伊藤博文と対面!
さて、東京に着いた茂丸はさっそく同志を募り、フランス革命で活躍したジャコバン派に倣って「首浚組(くびさらいぐみ)」を結成。腐敗した役人や政治家の首を浚う(奪う、暗殺する)心意気を示しています。
彼らは伊藤博文の暗殺を成功させるため、東京じゅうを隈なく探索してその行動パターンや移動ルート、警備体制などを調査しましたが、いかんせん素人集団なので、間もなく暗殺計画が当局にバレて、いっそう警備が厳重になってしまいました。
なかなか手を出せずにいる内に佐々から借りた160円も底を尽き、瓦版を売るなど生計を立てるだけで一杯々々になる始末。
「このままではいかん、何とか起死回生の一手を……!」
茂丸は決死の覚悟で厳重な警備をくぐり抜け、伊藤の屋敷へ忍び込むことに成功しますが、その夜に限って伊藤はあいにくの留守。
幸い捕まりはしなかったものの、侵入の痕跡が見つかったため、屋敷の警備はより厳重になってしまいます。
「こうなったら、最後の手段だ!」
もはや万策尽きた茂丸は、かつての師であり、伊藤と交流のあった山岡鉄舟に紹介状を書いてもらうことにしました。
本心を隠して「伊藤卿に教えを乞いたい」とか何とか、必死に演技した茂丸ですが、そんなものはお見通し。それでも鉄舟は思うところがあって紹介状を書いてやります。
「これを持っていくがよい」
「ありがとう存じます」
受け取った紹介状を見ると、普通ならしてある筈の封がきちんとしてありません。
(先生が書状の封を忘れるなどと言うこともあるまい……これは俺に『中を見ろ』というメッセージを発しているのだろうか……?)
気になった茂丸は伊藤邸へ向かう道中、鉄舟の手紙を読んだところ、こんなことが書いてありました。
「これなる杉山茂丸は大変正直者であるが、偏った政治情報に惑わされ、貴公に敵意を抱いている。判っているなら即刻逮捕すべきだとも思うが、こういう前途ある青年は後々国家の役に立つ人材となるから、どうか教え諭してやって欲しい。ただし、こういう動機で訪ねている以上、武器などを隠し持っている可能性が想定されるため、そのつもりで面談されたい(意訳)」
「……何じゃこりゃ!?」
とんだ紹介状もあったものですが、書いた鉄舟も鉄舟なら、これをそのままバカ正直に持って行った茂丸も茂丸。
そして、こんな紹介状を読んだ上で茂丸に会ってやろうという伊藤も伊藤……さすが激動の幕末維新を駆け抜けた男たちは、よくも悪くも器が違うと言ったところでしょうか。
(何だ、伊藤とはこんな小男……これなら素手でも殺せる!)
持参した短刀もピストルも必要ないと見くびった茂丸でしたが、伊藤に完全論破されてしまいます。
「……僕が君に殺されて、それで日本がよくなると言うなら、喜んで殺されようじゃないか。しかし、必ずしもそうならないのは、いま延々と説明した通りだ。若さに逸る気持ちも解らんではないが、とにかく今は自重してくれ。僕の命と同じように、君の命も日本のために大切なのだから(意訳)」
「……ぐぬぬ……」
誰か一人を殺したくらいで、日本の問題は解決しない。返す言葉もない茂丸は、魂が抜けたようにフラフラと家路を辿ったとのことでした。
終わりに
その後、官憲に追われる身となって各地に潜伏する茂丸の元へ、佐々友房から書状が届きます。
「先日の借金についてであるが、その返済は出世払いで結構。また、抵当物についても貴殿の首一つで十分だから、僕が必要とする時まで大事に保管しておくように(意訳)」
つまり「とうぶん返せないのは解っているから、気にしなくてよい。それよりも、自暴自棄になって命を粗末にしないように」とのメッセージでした。
「あのハゲめ、要らぬ情をかけおって……きっと利息をつけて返してやるから覚悟しておけ!」
気を取り直した茂丸は心機一転、縦横無尽の活躍を見せて借金を利息つきで返済。後世「政界の黒幕」と恐れられるまでの成長を遂げるのですが、そのエピソードはまたの機会に。
※参考文献:
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論第一部 巨傑誕生篇 上巻』小学館、2014年1月
西原和海 編『定本 夢野久作全集 (第5巻)』葦書房、1995年2月
堀雅昭『杉山茂丸伝―アジア連邦の夢』弦書房、2006年2月
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