幕末明治

『新選組』土方歳三が売りまくっていた謎の薬 「石田散薬」とは?

新選組「鬼の副長」として知られる土方歳三は、新選組を結成する前は、薬の行商をしていました。

土方家に代々伝わる秘薬「石田散薬」は、捻挫や打ち身に効くといわれ、新選組隊士も愛用していたそうです。

江戸時代から第二次大戦直後まで、約250年にわたって製造・販売されていた「石田散薬」とは、いったいどんな薬だったのでしょうか?

営業センス抜群だった?土方歳三

「石田散薬」とは?

画像.土方歳三. public domain

土方歳三は、天保6年(1835)、武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)の農家に生まれ、剣の腕を磨きながら、薬の行商をしていました。

多摩周辺から、遠く相州や甲州まで売り歩き、富山の薬売りと同じ「置き薬方式」での販売でした。得意先は江戸御府内以外だけで400軒以上にのぼり、薬屋のほか、荒物屋、雑貨屋などにも卸していたそうです。

武士を目指し剣の腕を磨く土方は、行商の途中で剣術道場を見つけては他流試合を申し込みました。そして試合が終わると「石田散薬」の売り込みを始めるのです。打ち身や捻挫、筋肉痛に効くとされたこの薬は、道場にうってつけでした。

土方は優れた営業センスの持ち主だったようです。

「石田散薬」とは?独特な服用方法

「石田散薬」とは?

画像. 葛飾北斎『北斎漫画「河童」』. public domain

土方家に代々伝わる「石田散薬」は、ご先祖様の夢枕に河童明神が現われ、薬の処方を授けたという逸話に由来します。

「石田散薬」は、宝永年間(1704年~1711年、徳川綱吉、家宣の時代)から昭和期まで、約250年の長きにわたって製造・販売されていました。
薬事法改正によって昭和23年(1948)に販売中止となっても、多くの愛好家が土方家に買い求めに来たそうです。

「石田散薬」の効用は、うち身・接骨・捻挫・筋肉痛・切り傷・刀傷です。幕末には新選組の常備薬となり、日清日露戦争では大変重宝され、昭和に入ってからは満州事変でも使われたそうです。

薬の定価は明治時代の薬袋によると「一日分 金弐拾銭」で、服用方法は、

大人一包ずつ一日一回。小人半包ずつ一日二回。燗酒にて服用すべし。白湯にても可

となっていますが、「お酒で飲まないと効かない」といわれていました。

実は効果がなかった「石田散薬」

「石田散薬」とは?

画像. 石田散薬製造道具(出典:土方歳三資料館)

第二次世界大戦後の昭和23年、薬事法改正にともなう調査実験の結果、「石田散薬」は無効・無害という結果が国から示されました。

当時の担当官庁からは、「効果のある別の成分を混ぜれば、販売を続けてもいい」という指導通達がありましたが、土方家では代々伝わる家伝薬の原料を変えてまで販売を続けたくないという理由から、製造を打ち切っています。

しかし「石田散薬」の愛用者は多く、販売中止後も、昭和40年代まで買い求める人々が土方家を訪れていたそうです。

なお2003年、一般社団法人北多摩薬剤師会が中心となって復元した「石田散薬」の成分分析では、「石田散薬」にはアスピリンほどの抗炎症作用はなく、炎症を押さえるのは主に日本酒の効果だということが判明しています。

石田散薬の原料と作り方

「石田散薬」とは?

画像. ミゾソバ. public domain

・石田散薬の原料

石田散薬の原料は、タデ科の牛額草(別名牛革草、ミゾソバ)です。

牛額草は、水が豊かな場所に群生する植物で全国各地に見られます。「石田散薬」は、土方家の近くを流れる浅川でとれた牛額草だけで作られました。
牛額草の刈り取りは、「うし」にちなんで「土用の丑の日」に限定されており、石田村の村民総出で刈り取りを行いました。

土方歳三自らが陣頭指揮を執ったということです。

・石田散薬の作り方

「石田散薬」の製造認可証に記載された製造方法をざっくり説明すると、次のような工程になります。

1. 刈り取った牛額草を、目方が十分の一になるまで天日で乾燥させる
2. 乾燥牛額草を黒焼きにして鉄鍋に入れ、日本酒を振りかける
3. ふたたび乾燥させる
4. 薬研にかけて粉末にしたら、できあがり。

前述したように2003年には、一般社団法人北多摩薬剤師会が中心となって「石田散薬プロジェクト」を立ち上げ、「石田散薬」の復元を試みました。

製造方法を忠実に再現し、牛額草の採取は土用の丑の日に実施。振りかける日本酒には、江戸時代の製法で作られた古酒「元禄」(東京都青梅市・小澤酒造)を使用するという念の入れようでした。

※詳しい復元の様子はこちら
一般社団法人北多摩薬剤師会「石田散薬プロジェクト」
https://www.tpa-kitatama.jp/shinsengumi/index.html

おわりに

土方歳三生誕の地に建てられた「土方歳三資料館」(東京都日野市)には、「石田散薬」の実物や行商に使った葛籠(つづら)や薬研(やげん)、行商先の記録である「村順帳」などが展示されています。

土方歳三が売り歩き、今では幻となってしまった「石田散薬」。興味のある方は、資料館へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

※土方歳三資料館
https://hijikata-toshizo.jp/

参考文献
・山崎光夫『薬で読み解く江戸の事件史』.東洋経済新報社
・一般社団法人北多摩薬剤師会「石田散薬」プロジェクト
・土方歳三資料館

 

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草の実堂編集部

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