江戸時代

徳川埋蔵金伝説を生んだ幕臣・小栗忠順(おぐりただまさ)

徳川埋蔵金

現在でも、世界各地に様々な形で伝えられている伝説のひとつに「埋蔵金」があります。

最近でもお隣の韓国で、日露戦争で沈んだロシアの軍艦に15兆円相当の財宝が積んであった、という話が浮上し、すぐ後には回収に伴う詐欺行為の虚偽であったと報じられていました。

日本でもかつてはテレビ番組として、その発掘を進める番組が作られていた「徳川埋蔵金」の伝説が伝えられています。

この伝説の元となった幕臣・小栗忠順について調べてみました。

開国の推進

徳川埋蔵金

※小栗忠順

小栗忠順(おぐりただまさ)は、文政10年(1827年)に2,500石取りの大身の旗本・小栗忠高の子として江戸に生まれました。

小栗は幼き頃より文武に優れ、後に剣術においては直心影流の免許皆伝を得たほどの腕前でした。

17歳の天保14年(1843年)から江戸城に出仕しましたが、才気煥発故か、度々役を変わることになったと言われています。

小栗は嘉永6年(1853年)、アメリカのペリーが浦賀に来航した際に、その艦隊に対する詰警備役となったことで外国との国力の差を間近に感じることとなります。

以後、開国を進めて日本も大型の軍艦を持つべきだと考えるようになりました。

外国奉行への就任

※左から村垣範正、新見正興、小栗忠順 1860年

小栗のその後に多大な影響を与えた出来事が、、安政7年(1860年)にアメリカへの使節団の一員として渡米したことでした。

この中でワシントンの海軍工廠を訪問した小栗は、そこでの金属の加工技術の高さに感心し、記念にねじを持ち帰りました。その後日本へ戻った小栗は、外国奉行へ抜擢されます。

その時、文久元年(1861年)にロシア軍艦が対馬に出現してその地を占領する事件が発生しました。

外国奉行としてこれに対処した小栗でしたが、江戸の老中に対して行った提言が受け入れられなかったことから、その役を辞することとなります。

勘定奉行への就任

小栗は、文久2年(1862年)には勘定奉行に任じられ、幕府の財政再建にあたりました。

このときの幕府は、海防強化の一環として多数の艦船の調達を外国から行っており、これに多額の費用を必要としていたためでした。

また小栗は、翌文久3年(1863年)には製鉄所を建設する案を提言し、これを実行に移します。

これは慶応元年(1865年)に横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠)として建設されました。

この製鉄所こそが、後の日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎提督をして、その最大の勝利の要因と言わしめました施設でした。

幕府の終焉

小栗は文久2年(1862年)12月には銃砲製造の任にもあたり、日本で最初の西洋式の火薬工場を設置しました。

更に、幕府陸軍の強化策として製鉄所と同様にフランスの支援を得て、慶応2年(1867年)には軍事顧問団による部隊の指導と、新式の銃火器の購入を行いました。

しかし、慶応3年10月(1867年11月)追い詰められた将軍・徳川慶喜大政奉還を行います。

翌慶応4年(1868年)1月には、官軍となった薩長軍との間で、鳥羽・伏見の戦いが勃発しました。

※榎本武揚

慶喜が大阪から江戸へと退くと、江戸城では評定が行われました。ここで小栗は、榎本武揚(えのもとたけあき)らと同じく抗戦を主張しました。

小栗は

「薩長軍が箱根を越えたところに陸軍を差し向け、同時に榎本の率いる幕府艦隊を駿河湾に進めて、海上からの砲撃で薩長軍部隊を孤立させて殲滅を狙う」

という策を提示したとされています。

後日この作戦を耳にした薩摩の大村益次郎は「その作戦が行われていたら我々は壊滅していた」と語ったそうです。

しかし慶喜は抗戦を避けて、勝海舟の主張した恭順策を採り、この作戦が実行されることはありませんでした。

伝説の発生

慶応4年(1868年)1月15日に小栗は、老中から罷免を言い渡され上野の群馬郡権田村へと移り住みました。

その地の東善寺に入ると、農業用水の整備を行い、また私塾を開くなどの生活をしていました。

※東善寺(群馬県高崎市)

しかし同年4月4日、やってきた新政府軍によって現在の群馬県高崎市の東善寺で小栗は捕えられました。

そしてその2日後には取り調べもされないまま、斬首に処されました。享年42歳の最期でした。

巷説では、線政府軍は小栗が江戸城から御用金を持ち出し秘匿したと考えており、捕縛してその在りを詰問しましが、口を割らなかったため処刑したと言われています。

これが今日まで続く徳川埋蔵金の伝説となって流布したものと考えられています。

関連記事:
徳川埋蔵金は現代の価値に換算するといくらだったのか?
榎本武揚について調べてみた【蝦夷共和国樹立から明治新政府へ】
日本陸軍の創始者・大村益次郎

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