江戸幕府は、1603年に徳川家康が征夷大将軍に就任し、1868年に15代将軍・徳川慶喜が大政奉還をして王政復古の大号令が発せられるまで、260年あまり続いた。
室町幕府が応仁の乱で求心力を無くし、全国各地で諸大名が乱立した戦国時代を統一し平和な世の中を作った家康・秀忠・家光の徳川3代は、どのような仕組みを作って江戸幕府を260年以上も保つことが出来たのだろうのか?
大名の区分
大名とは
江戸時代の大名とは石高1万石以上の所領を禄として幕府から与えられた藩主のことである。
日本全国にいた諸大名を関ヶ原の戦いの後、徳川家康は基本的に親藩・譜代・外様の3つに区分した。
親藩:徳川家康の男系子孫たち
譜代 : 昔から代々徳川家に使えていた者たち
外様 : 関ケ原の戦い後に徳川家に使えた者たち
将軍には2代・徳川秀忠の直系男子を将軍とする。
直系男子が継げなかった場合は徳川御三家から将軍に。
御三家とは
家康が尾張・紀州からと定め、5代・綱吉が水戸を追加した。
尾張徳川家は徳川義直(家康9男)を初代とする。
紀州徳川家は徳川頼宣(家康10男)を初代とする。
水戸徳川家は徳川頼房(家康11男)を初代とする。
御三家は徳川家康の直系の子孫ではあるが、改易されることもある。
8代吉宗と14代家茂は紀州家からである。
御三卿とは
8代・吉宗が定めた、将軍家や御三家に跡継ぎがいない場合に後継者を提供する家。
田安家は徳川宗武(吉宗次男)を初代とする。
一橋家は徳川宗尹(吉宗4男)を初代とする。
清水家は徳川重好(9代・家重の次男)を初代とする。
御三卿には領地は無く、江戸城内に屋敷があって10万石程度の収入が幕府から支給される。
11代・家斉と15代・慶喜は一橋家である。
御家門とは
徳川将軍家の一族や家康の兄弟の家系の大名家や旗本家であり、家康の元の姓の松平を名乗ることができた。
原則として江戸幕府の要職に就くことが出来なかった。
譜代大名
主に関ヶ原の戦い以前からの家康に従った大名たち。
ドラマで有名な大岡越前のように、功績を上げ旗本から加増されて譜代大名になる場合もある。
老中や若年寄などの幕府の要職に就くことが出来るが、石高はあまり高くなく交通の要所などに配置された。主な大きな役割は外様大名の監視であった。
外様大名
親藩・譜代大名以外の、関ヶ原の戦い以後に徳川家の臣従した大名たちのことである。
前田家や島津家・伊達家など江戸から離れた場所で石高は多いが、幕府の要職には就けない。
旗本と御家人
徳川宗家(将軍家)の直属の家臣として旗本と御家人が江戸に安住していた。
旗本は徳川家の家臣の一族や、旧名家の末裔などたちから構成された。旗本の中でも幕府は昔から続く家柄を重視して、吉良家・畠山家・今川家・品川家・武田家などを高家として官位の面で優遇している。
旗本は石高1万石未満の武士で、主に江戸の警護や将軍の護衛、奉行や目付などの役職につき将軍への謁見も可能であった。
御家人はそれ以下の扱いであり、将軍への謁見はできず、乗り物や馬にも乗れなかった(旗本は騎兵格、御家人は歩兵格)
ただし旗本でも役職につけるのは一部で、無役の者も多く生活に困窮する者も多かった。それ以下の御家人はさらに厳しい生活だったとされる。
大名統制
大名たちの動きを監視し、統制するための決まり事を幕府は制定している。
それは一国一城令 と 武家諸法度である。
一国一城令は簡単に言うと「大名の居城は1つのみで他に作った城は取り壊せ」という命令であるが、前田氏の2城や佐竹氏の3城など領土の広さや当時の情勢などで、例外として複数城認められた大名も多くいた。
武家諸法度は何度も発布されているが、代表的なものとして2代・秀忠の元和令は「幕府の許可なく婚姻の禁止・城の新築を認めない。補修する場合は幕府の許可を得る」というものであった。
実際台風で広島城を改修した福島正則はこのことで改易になっている。
3代・家光の寛永令では参勤交代をさせた。
参勤交代は原則として領国と江戸に1年おきに行き来することを義務化して、江戸には正室と世継ぎ(子供)を人質として置き、私的な関所を禁止して500石以上の大船を造ることを禁止した。
武家諸法度に違反した場合と跡継ぎが無いままに大名が世を去ると、幕府は容赦なく取り潰し(改易)にした。
領地を少なくする減封や領地を替える転封も行った。転封は領地が増える場合もあった。
特に参勤交代は大名にとってお金・時間・手間がかかるものであり、大名たちの財政を圧迫した。
他にも御手伝普請(おてつだいふしん)という制度で、幕府が関係する城・土木治水工事などを大名に負担させて財政を圧迫させた。
軍役という一定の武器兵馬を幕府に拠出させる制度もあった。
幕府は大名たちに財政を圧迫させる手段を使って軍備の拡張を抑え、婚姻の禁止によって同盟等を抑圧し、幕府に逆らえないようにしたのだ。
幕府の組織
江戸幕府の組織は3代・家光の頃に基本的な構造が出来上がった。
将軍:幕府のトップ
大老:幕府の最高職。ただし臨時に設置される。10万石以上の譜代大名で酒井・井伊・土井・堀田家から出る。
老中:幕府での基本的な最高職で複数人(3~5人)が任命される。老中のトップは老中首座、基本的は毎月の当番制(月番という)。重要な案件は合議制で決定する。譜代大名で2万5000石以上の大名。大目付・町奉行・勘定奉行等の管理と運営を行う。
側用人:5代・綱吉から設置された臨時職で将軍と老中の連絡を行う。
若年寄:老中の次の重要職で旗本と御家人の管理を行う。定員は3〜5人で1~3万石の譜代大名が就任する。書院番、小姓組、小普請、目付、小十人組などの組織の監督もした。
奏者番:大名・旗本が将軍に拝謁する時などに伝達と礼儀作法を指導する。定員は20~30人が日替わりで担当する。大名の出世の登竜門的な役職である。
寺社奉行:三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)のトップで大名のみが就任できる。1万石以上の譜代大名が奏者番と兼任して就任して寺社の監視を行う。寺社奉行に付けば後に大坂城代・京都所司代という重要職に就ける。
京都所司代:京都の護衛・朝廷の監察と連絡・西国大名の監察を行う。大坂城代:大坂城の守護と西国大名の監察を行う。老中の直属。
大目付:大名の監察を行う。
大番頭:江戸城と江戸市中の警備を行う。
町奉行:江戸の行政・司法・警察・消防のトップで北町と南町奉行の2名が月番で担当する。
勘定奉行:幕府領の民政・財政・訴訟を担当する。
城代:主に駿府城の警備を行う。
遠国奉行:京都・大坂・日光・伊勢など重要直轄地に置かれた町奉行。若年寄の直属。
書院番頭:江戸城の警備と将軍の護衛を行う。
小姓組番頭:将軍の護衛を行う。
目付:旗本・御家人の監察を行う。
郡代:幕府の直轄地のうち関東・飛騨・美濃などに置かれた代官。
朝廷への統制
江戸幕府は天皇・公家・門跡を幕府の統制下におくために、1615年に17条からなる「禁中並公家諸法度」を発布して朝廷を統制下に置いた。
京都所司代らに朝廷を監視させて、摂家に朝廷独占の主導権を持たせ、幕府と朝廷の連絡係の「武家伝奏」を通じて幕府の命令を伝えさせた。
室町幕府から見習った
江戸幕府は室町幕府の仕組みの良い点は踏襲し、悪い点を徹底的に分析して諸国の大名には武家諸法度、参勤交代、朝廷には禁中並公家諸法度、寺社(僧)には寺院諸法度などを発布して統制した。
しかし12代・家慶が重用した水野忠邦の天保の改革が失敗に終わったことで、幕府の諸大名への統制力は徐々に低下していく。
その後、財政面の圧迫を自藩で克服した西国雄藩たちが国力を高めたことによって、明治維新へとつながっていくのである。
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