西洋史

人を窓からブン投げ続けた歴史を持つチェコ「プラハ窓外放出事件」

プラハ窓外放出事件

第一次プラハ窓外放出事件の現場となった当時のプラハ市庁舎(2014年撮影)wiki(c)Øyvind Holmstad

中欧の一国であるチェコ共和国

この国は今でこそ普通の国ですが、かつては「何か問題が起こるたびに人を窓から投げる」ことでも知られていたのです。

最初の窓投げ【フス戦争の幕開け】

プラハ窓外放出事件

ヤン・フス(Jan Hus)

時は15世紀前半、この頃チェコの原型の国であったボヘミア王国ではヤン・フスよる宗教改革によって国内が二分していました。

フスはキリスト教において腐敗が進んでいたカトリックを批判し、聖書のみを信仰の対象とするプロテスタント運動の先駆者でした。

しかし、宗教改革といえども当時はローマ教皇に逆らう教えを唱えた人は、例えどんな理由があろうとも異端として火刑に処されていた時代。

ヤン・フスも例外ではなく1411年には宗教裁判によって異端者として認定されてしまい、そのまま火刑で処刑されてしまいます。

これに対してボヘミア王国の国民は猛抗議。

当時領内にあった神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントが、ボヘミア王国とローマ教皇との関係改善に動き出しますが、これによって無理やりカトリックに戻されたヤン・フスの支持者はこれに反抗。

プラハ窓外放出事件

投げ飛ばされた役員と取り囲む民衆

怒りに狂った勢力がボヘミア王国の首都であるプラハの庁舎に突入し、庁舎で働いていた役員7名をなんと窓から投げ落としたのです。

そしてこれにブチ切れだ神聖ローマ帝国のジギスムントは、フス派の人々を討伐するために8万の軍でプラハに向かって出兵しました。

これがいわゆるフス戦争の幕開けだったのです。

2度目の窓投げ【三十年戦争の幕開け】

フス戦争がおこってから200年後のプラハ

フス戦争の終結の後、無事に神聖ローマ帝国の領内に復帰したボヘミア王国は、再び宗教改革の波に揺れていました。

プラハ窓外放出事件

マルティン・ルター(Martin Luther)

この当時、お隣の国ドイツではマルティン・ルター がカトリックの批判と共に宗教改革を行い、新たなるキリスト教であるプロテスタントを創始しており、ヨーロッパはカトリックと新しく出来たプロテスタントの対立で混乱していました。

では、ボヘミア王国はどうだったのかというと、もちろん国内がヤン・フスの教えになびきましたからプロテスタントでした。

しかし、困ったことにそ神聖ローマ帝国の皇帝を務めていたハプスブルク家のフェルディナントという国王がとんでもないぐらいプロテスタントが大嫌い。さらにこのフェルディナントがボヘミア王国の国王に即位すると、国内のプロテスタントの教徒をどんどん弾圧。

ここまできたらプラハの市民がすることといえばもうわかりますよね?

そう、プラハの庁舎を襲って5人の役員をまたまた窓から投げ落としたのです。

さらにボヘミア王国の貴族たちは、フェルディナントをボヘミア王国から追放。カトリックへの反抗を始めたのです。

しかしこれはまさしく神聖ローマ帝国への反逆行為。これに大激怒したハプスブルク家はボヘミアに向かい鎮圧。

ベーメンの反乱と呼ばれたこの大反乱は鎮圧はされたものの、後の神聖ローマ帝国領内における宗教紛争の火種となり、ヨーロッパを揺るがした最大の宗教戦争である三十年戦争につながっていったのでした。

3度目の窓投げ【ソ連の衛星国へ】

ヤン・マサリク

三十年戦争から約300年後の1948年のチェコスロバキア

この頃のチェコは1939年からドイツからの支配を受けていましたが、ドイツの敗戦と共に独立。晴れてチェコスロバキアとして独立を果たしていました。

しかしこの頃、東欧に勢力を伸ばしていたソ連が、ついにその手をチェコスロバキアにも伸ばし始めました。

そんな中、チェコ初代大統領のマーシュ・マサリクの息子であったヤン・マサリクがこれに対して反抗。親米派の政治家としてソ連の支配から逃れようと必死でした。

しかし、ソ連からすればこんな政治家邪魔でしかない。そう感じたソ連の国家保安人民委員部(NKGB)はこのヤン・マサリクの暗殺を命令。

ヤン・マサリクはその後、窓から落とされたような形で死体として発見され、その後のチェコスロバキアの共産化を決定づける出来事となりました。

チェコではなぜだか歴史的に大きな動きがあると人が窓から落とされるので、人々は「プラハ窓外放出事件」と呼んでいるそうです。

 

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得意なジャンルは特に明治以降の日本史とピューリタン革命以降の世界史です。

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