戦国時代

武田信玄の病と死因 「ストレスによる胃潰瘍だった?」

武田信玄の死因

武田信玄の病と死因

画像 武田信玄。Wik c

群雄割拠の戦国の世において最強と謳われた甲斐の虎・武田信玄(たけだしんげん)。

ライバル・上杉謙信と5度に渡った「川中島の戦い」は戦国時代を代表する名勝負と言われている。

甲斐・信濃・駿河・美濃・飛騨と領土を拡大した信玄は、西上作戦でいよいよ天下取りに動き出す。しかし織田信長と直接対決する矢先に病に倒れ、そのまま回復することなく天下取りを目前にして53年の生涯を終えた。

信玄は晩年吐血を繰り返しており、結核だったとされてきた。
しかし結核であれば周りに感染するはずであり、周囲には目立った感染者はいなかったので結核では無かったという説もある。

信玄は胃潰瘍だった?

武田信玄の病と死因

落合芳幾「太平記英勇傳 武田大膳大夫晴信入道信玄」

信玄はストレスによる胃潰瘍だったとも考えられている。

甲陽軍鑑」によると「信玄は非常に行儀が良く細かいことに気を配り過ぎるので、もっと心穏やかにのんびりとした方が良い」といった旨の記述がある。

真面目で几帳面だった信玄は、ストレスを感じやすかったと思われる。

信玄の大きなストレスの要因としては、不遇な運命となった息子たちの存在が考えられる。

信玄には7人の男子がいたが、嫡男・義信は信玄の命令に背いて2年間の幽閉の後に自害。
次男・竜芳は生まれつき視覚障害があり、三男・信之は11歳で亡くなっていた。

信玄はやむなく四男・勝頼を後継者に定めたが、実はその能力をあまり認めていなかったという説がある。
信玄は遺言で「勝頼の嫡子・信勝が16歳になったら正式に武田家を継がせる」と言っている。

つまり四男・勝頼は正式な後継者というより、信勝が16歳(成人)になるまでの後見役のような形だった可能性がある。信玄は勝頼では織田信長や徳川家康には勝てないと考えていたのだ。

他に、信玄は「温泉」に足繁く通っていたことは有名である。信玄の隠し湯と言われる温泉が数多くあった。

また、6畳ほどの信玄専用のトイレを作り、その中には常に香炉が置かれていた。信玄はこのトイレで戦の作戦を考えていたという。
こういったことからも、信玄が普段の生活環境に気を使い、とても繊細な性格だったことがうかがえる。

戦のストレス

武田信玄の病と死因

画像 : 三方ヶ原の戦い wiki c

1571年、信玄のもとに将軍・足利義昭から信長討伐の御内書が届いた。

信長討伐の大義名分を得た信玄は「今こそ天下取りの好機である」と全軍を率いて出陣した。
信玄は立ちふさがる信長軍を蹴散らし、三方ヶ原の戦いでは信長と同盟を結んでいた徳川家康軍に圧勝する。
初めての大敗を喫した家康は命からがら敗走している。

残すは信長のみ、信玄は意気揚々と兵を整備していたが、信長を挟み撃ちにしようと同盟を結んでいた朝倉義景が突如兵を引いてしまった。
これにより信長包囲網が崩れ、信長を討つ最大のチャンスを逸してしまったのである。

戦はただでさえ心身に負担がかかるものだが、当時の信玄はさらに大きなストレスを受けたであろう。

そのまま胃潰瘍が悪化し、出血し亡くなったという。
※信玄の他の死因としては「胃がん」「食道がん」という説もあり、近年の研究では「日本住血吸虫症」という寄生虫によって起きた病気だという説もある。

信玄の死の知らせを聞いた食事中の上杉謙信は「英雄・人傑とは信玄のことだ。関東の弓矢・柱亡くなり、惜しきことなり」と箸を落として号泣したという。

 

  • Xをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。

rapports

投稿者の記事一覧

草の実堂で最も古参のフリーライター。
日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 池田せんのエピソード 「女性鉄砲隊を率いて一万石を勝ち取った戦国…
  2. 武田信玄(晴信)の初陣に敗れた豪傑・平賀源心(玄信)。その子孫は…
  3. 【山城国一揆】 教科書の内容が変わる!?大量の古文書発見で学界が…
  4. 水野勝成・戦国最強の武将で傾奇者【ドラマ化されないのが不思議な武…
  5. 実在した? 最強と謳われた忍者・5代目風魔小太郎の伝説
  6. 尼子晴久の残念な最後 「戦の天才・毛利元就を何度も破るも、水浴び…
  7. 大久保忠世 「信玄、信長、秀吉に称賛された徳川十六神将」
  8. 北政所・ねね 【当時は珍しい恋愛結婚で天下人豊臣秀吉を支える】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『縁結びスポット』淀殿も通った大阪・生国魂神社(鴫野神社)に行ってみた

大阪市天王寺区にある生国魂神社は、「いくたまさん」の愛称で広く親しまれています。その境内末社…

青木昆陽とは ~庶民を飢饉から救った「甘藷(かんしょ)先生」

青木昆陽とは青木昆陽(あおきこんよう)とは、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の「米以外の穀物…

戦国時代の火縄銃による暗殺の逸話 「信長を狙った杉谷善住坊、宇喜多直家の日本初の狙撃暗殺」

「暗殺」は、古来より世界中で多く行われてきた。日本においても、古くは飛鳥時代に中大兄皇子…

『明治にバズった現代風美人』 洗い髪のお妻(安達ツギ) 〜女好きの伊藤博文もフラれる

明治時代初期の日本では、写真技術の普及により美人の写真を撮ることが流行した。その中で…

「創造科学」とは〜 科学と名のついた疑似科学の代表

創世記をまるごと信奉「創造科学」はダーウィンの「種の起源」に代表される「進化論」に異議を…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP