家康が、最も戦いたくなかった男
石田三成 いしだ・みつなり
[中村七之助 なかむらしちのすけ]巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる、最高の頭脳の持ち主。家康もその才能に惚れこむが、秀吉亡きあと、太閤への忠義を重んじる三成は家康と対立、激しい前哨戦の末、関ヶ原での大一番に臨むことになる。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
第35回放送「欲望の怪物」にて、いよいよ初登場予定の石田三成(中村七之助)。
徳川家康(松本潤)と天下分け目の関ヶ原合戦を演じる宿敵ですが、予告編を見た限りではとても仲がよさげな感じですね。
なのにどうしてああなった……豊臣秀吉(ムロツヨシ)亡き後、家康が天下取りの野心をむき出しにしたからに他なりません。
当の秀吉はそんな未来を予見していたのかどうか、『名将言行録』にはこんなエピソードが伝わっています。
側近たちとの雑談にて
ある夜のこと。秀吉は側近たちと他愛ない雑談に興じていました。
「のぅ。これは仮にの話しなんじゃが、もし今ここで余が死んだら、次の天下は誰が獲ると思う?」
「「「え……」」」
側近たちはリアクションに困ります。今は豊臣政権に臣従しているとは言え、その気になれば天下を狙える強豪たちはいまだ健在。家臣たちもそのことは百も承知です。
しかし、馬鹿正直に名前を挙げようものなら、その者との内通容疑で処刑されかねません。
「いやいや、あくまで座興じゃ。誰を挙げても咎めやせんから、思いつきでも誰か適当に言ってみよ」
秀吉がそう念押しすると、ようやく側近たちは「ご所望なれば」とめいめい口を開きます。
「殿下の盟友にあらせられる、加賀の前田(利家)様はいかがでしょうか」
「いやいや、中国の覇者たる毛利(輝元)殿ではなかろうか」
……などなど、色んな意見が出された結果、前田利家か毛利輝元のいずれかであろうと結論が出ました。
前田利家は百万石と謳われた大勢力を有し、加賀という畿内に近い場所を治めていることが強み。
毛利輝元も中国各国120万石を領し、これまた畿内からそう遠くありません。
こうした事から、秀吉の次に天下を狙う有力候補として絞り込まれたのでした。
秀吉の見立て
「ふむふむ、そうかそうか」
側近たちの議論が盛り上がり、たいへん満足げな秀吉。実によい退屈しのぎとなったことでしょう。
ただし秀吉の考えは違っており、側近たちに講評を述べました。
「そなたらの意見はもっともである。しかしその見立てには、肝心な点が抜け落ちておる」
確かに、前田と毛利は(1)大勢力を有する(2)畿内の近くに位置している事から、最有力候補であることは間違いなさそうです。
しかし肝心なのは天下を狙える実力以上に(3)天下を狙う意志こそ不可欠と言えます。
条件が良いとか悪いとか言う前に、まず天下を狙う。そのために必要な条件を揃えていき、万難を排して突き進む意志なくしては、天下など夢のまた夢です。
「……わしは、徳川(家康)殿が最も危険と見立てておる」
関東という遠方にあるものの、天下を狙う実力は十分。もし事を起こす時は、あらゆる障害を乗り越えて東海道を攻め上がることでしょう。
「とは言え、徳川は律儀者じゃからなぁ。どうじゃろうか」
家康は手強く老獪ながら、かつて織田信長と結んだ同盟関係をまっとうしました。
一度仲間になった相手は、何があろうと絶対に裏切らない。これは叛服常なき戦国乱世において、実に珍しいことです。
だから秀吉の死後も豊臣家を守ってくれるのか、それとも本性をむき出しにするのか。さすがの秀吉もこればかりは分かりません。
まだ幼い拾丸(後の豊臣秀頼)を守ってくれるだろうか……秀吉は少しでも長く生きねばと思ったことでしょう。
あの堅物が天下を狙う?
「あるいは、治部少(じぶのしょう。石田三成)やも知れんな」
それを聞いて、一同は驚きます。その利発さゆえに幼少時から取り立てられ、以来事務方一筋の三成。
非常に優秀ながら、堅物すぎて人望に乏しく、天下を狙うには明らかな度量不足です。
ましてや秀吉に対する忠義は家中随一。たとえ秀吉が死んだからと言って、秀頼に刃向かうなどとても考えられません。
「だからこそじゃ」
実力も人望も、そして何より野心がない三成が、なぜ天下を争う兵を挙げたりするのでしょうか。
「豊臣を守るため徳川と一戦交える、いや一矢報いるためよ」
もし家康が豊臣の天下を簒奪する野心をあらわした時、たとえ敗れようと死力を尽くして食い止めるというのです。
普通に考えれば、海道一の弓取りと恐れられた家康と戦うなど分が悪すぎます。
次の天下が欲しいと言うなら、さっさとくれてやって、ちぎれんばかりに尻尾を振るのが賢い処世術というもの。
少なくとも、わざわざ真っ向から家康に立ち向かうのは火中の栗を拾うような暴挙に他なりません。
それが分からない三成ではないでしょう。でも、誰かがやらねばならぬなら、万難を排して名乗り出るのが三成という男でした。
かくすれば かくなるものと 知りながら
やむにやまれぬ 大和魂※吉田松陰
家康と戦っても、勝ち目がないのは百も承知。それでも豊臣家を守るため、生命を捨てて立ち上がらずにはいられないのが武士という生き物です。
「まぁ、万に一つ徳川が事を起こしたら、じゃがな。ハハハ……」
笑って雑談をお開きにする秀吉。そんな事態にならねばよいが……側近たちは秀吉の長生きを願うばかりでした。
終わりに
……秀吉夜話の時、我若し死したらば、誰か又天下を治むる者あらん、苦しからざる間、汝等思ふ所を有りの儘に申べしと言はれければ、何れも御意の上は辞するに及ばずとて、各所存を言ふ、或は前田利家と曰ふ者あり、或又毛利輝元と曰ふ者あり、此二人の中たるべしと申ければ、秀吉、否汝等の所存は尤もなれども、夫は悪敷見立なり、此後は徳川家康より外は治むべき人なし、然しながら、家康は律儀なる人なれば、如何あるべきや、若し然らずんば、石田治部少めたるべし、治部少めは天下にはゞかる程の智慧を持たる奴なりと言はれけり……
※『名将言行録』巻之三十六 石田三成
以上、秀吉による家康・三成対決の雑談エピソードを紹介してきました。
(※ちなみにこの『名将言行録』は江戸時代の逸話集であり、史実性については今一つ。あくまで読みもの程度にお楽しみ下さい)
果たして秀吉の死後、天下簒奪の野心をむき出しにした家康に対し、三成は毛利輝元を総大将として決戦を挑むことになります。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、三成の葛藤と決断がどのように描かれるのか、今から注目しておきましょう!
※参考文献:
- 岡谷繁実『名将言行録 5』岩波文庫、1944年5月
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