西洋史

残虐な王妃として名高い カトリーヌ・ドゥ・メディシス

フランス王妃カトリーヌ・ドゥ・メディシスは、死者1万人を超えるサン・バルテルミの虐殺の首謀者として歴史にその名を刻み、世界の残虐な王妃の一人として、必ずといっていいほどその名が上がる。

しかし、彼女がサン・バルテルミの虐殺の首謀者だったということは多くの歴史家の見解ではあるが、確たる証拠はない。

果たして彼女は、本当に歴史に名を刻むほどの残虐な王妃であったのであろうか?

悲運に耐え忍ぶ賢き女性

残虐な王妃として名高い カトリーヌ・ドゥ・メディシス

※カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Médicis

カトリーヌは、フェレンツェの名家メディチ家唯一の後継者として生まれた。

男性であれば、家督を継ぎ、ルネッサンスが花開いたフェレンツェの、事実上の支配者(当時は共和制)になれた身分であった。

しかし、彼女は生まれてまもなく両親が死去し、孤児となる。

女性の身分では家督を継げなかったこと、すぐに両親が亡くなり温かい家庭を知らずに育ったことは悲運である。

その後、教皇クレメンス7世が彼女の後見人となり、後にフランス国王となるアンリ2世と結婚。

フランス王妃という華々しい未来が、それまで不幸だった彼女に訪れると思いきや、両親に続きクレメンス7世までもその直後に亡くなる。

フランスにとって二人の結婚は、教皇庁からの莫大な利益を得るためであったので、教皇クレメンス7世が死去したとなれば、カトリーヌはフランスに何の利益も生み出さない存在となり、宮廷で蔑まされることとなる。商家出身(メディチ家は王族ではなく商家)という身分も、蔑みに拍車をかけた。

そして何より悲運なのは、唯一味方になってくれるはずの夫アンリ2世は、カトリーヌよりはるかに歳上の愛人ディアヌ・ポワティネに夢中だった。

※ディアーヌ・ド・ポワチエ wikiより

カトリーヌは王妃としての切り札“世継ぎ”にも、長い間恵まれなかった。

肉親もなく、異国の地で、愛した夫からは愛されず、誰からも必要とされない……まさに不幸のど真ん中。

しかし彼女は、そうした生い立ちと立場の中でも自暴自棄にならず、夫とディアヌとの間を上手く取り持ちながら耐え忍び、王妃の役目を果たしていく。

芸術家の支援や、宮殿の造営にも積極的に力を注いだ。

フランスの食文化に大きく貢献

前述したように、カトリーヌは当時のフランス王家に直接的な利益を生み出さない存在であったが、カトリーヌが嫁いだことにより、フランスにもたらされた物が、実は数多くある。

その一つが食文化だ。

中世から、フランスは相次ぐ対外戦争により情勢は安定せず、文化的には他国より大きく遅れており、ルネッサンスの中心はカトリーヌの実家、イタリアフィレンツェだった。

カトリーヌはフランス宮廷にナイフやフォークを使った食事作法を伝えた。当時のフランスは国王でも手掴みで食事をしていたからだ。

商家の娘とバカにしていたカトリーヌから、世界最先端の文化を教えられ、さぞやフランス貴族は悔しかったに違いない。

そしてもう一つ特記したいのが菓子(アイスクリーム、マカロンなど)文化を持ち込んだこと。

以後、フランス菓子は洗練され確立されていくこととなり、パティスリーの世界ではカトリーヌを「氷菓の母」「カトリーヌ姫」と呼んでいる。

女官スパイ部隊

もしも彼女がこのまま生涯を終えていたら、後世は「悲運の王妃」として同情を集めていたかもしれない。

カトリーヌが「残虐な王妃」として語り継がれる理由には、サン・バルテルミの虐殺女官スパイを起用していたところによる。

女官スパイ隊というのは、カトリーヌの命令に応じて男性に近づき、情報を引きだす役目を仕事にする女性たちのことだ。
発足時は80人で、その後200人まで増えたと言われている。

簡単に言うと、カトリーヌは男性たちにハニートラップを仕掛け、様々な情報を得ていたという話だ。

しかし、場所は権謀術数うごめくフランス宮廷。

その激しい権力闘争の中で、ひとりの味方もなく生き抜かねばならなかったカトリーヌと、一国の政の中心で働く男性たち。

いくら美女に迫られたからといって、大事な情報を簡単に漏らしてしまう男性たちにも落ち度があったのではなかろうか?

サンバルテルミの虐殺

続いてサン・バルテルミの虐殺についてだが、これはフランスのカトリックが新教徒プロテスタント(フランスではユグノーと呼ばれる)を大量に虐殺した事件だ。

※虐殺跡を視察する母后カトリーヌ・ド・メディシス 『ある朝のルーヴル宮城門』 エドワール・ドゥバ・ポンサン画。1880年。

ちなみにこの頃、アンリ2世は死去し、カトリーヌとの間にできた子供シャルル9世が国王に即位。カトリーヌは摂政として国王に助言できる立場になる。

1562年以降、フランス国内はユグノーとの内乱状態にあったが、カトリーヌは彼らと融和を図るため、ユグノーの指導者アンリ・ドゥ・ナバールと、王妹であり娘のマルグリットを結婚させることにした。

二人の婚礼を祝う為、フランス市内には多くのユグノーたちが集まった。そんな中、ユグノーの中心人物のひとり、コリニー提督が狙撃され負傷する事件が起こり、二日後にはカトリック強硬派ギーズ公アンリの兵がコリニーを暗殺。続いてシャルル9世の命令によりユグノー貴族が多数殺害される。

※ガスパール・ド・コリニー

この事態が暴発し、市内でも1万人を超えるユグノーたちが殺害された。

引き金となったコリニー提督の暗殺は、カトリーヌが黒幕とされ、ひいてはサンバルテルミの虐殺の首謀者だという歴史家の見解が多いのは事実であるが、前述のとおり確たる証拠はない。

娘のマルグリットは後にコリニー提督の暗殺は母だと発言しているが、マルグリットはギーズ公アンリと恋仲だったので、カトリーヌにより政略結婚せねばならなかったその腹いせ、あるいはギーズ公にそそのかされて発言した可能性も高く、ギーズ公の陰謀であったという見解もある。

そしてサンバルテルミの虐殺以降、ユグノーとの内乱は泥沼化。世に言う「三アンリの戦い」にまで発展し、1588年、シャルル9世の後を継いだアンリ3世がギーズ公アンリを暗殺。その頃、病床にあったカトリーヌは息子の愚行を嘆きつつ死去したという。

さいごに

カトリーヌは、夫であるアンリ2世が死去してから喪服しか着用しなかった。
そして他の男性との噂が一つもなかった。

容姿が良くないからだと言われているが、一国の王妃とあれば、多少容姿が悪くても、近づいてくる男性の一人や二人いてもおかしくはないが世の常ではないだろか?
つまり、自分を愛してくれなかった男を愛し続ける、いじらしい女性という一面も垣間見えてくる。

もう一度言うが、カトリーヌが首謀者だったという確たる証拠はない。

果たして彼女は本当に残虐な王妃だったのか?

彼女に嫉妬した者やユグノーたちにより、そのようなレッテルを貼られてしまっただけなのかもしれない。

ともあれ、カトリーヌの一番の悲運は、「残虐な王妃」として後世に名を語り継がれてしまったことだ。

関連記事:
「中世ヨーロッパ、貴族の食事、農民の食事」を調べてみた

momora

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コメント

    • Y子
    • 2018年 12月 01日 2:50am

    カトリーヌ王妃が夫の死後、愛人がいなかった理由は、彼女自身の魂が「男性化」したためです。
    キリスト教では同性愛を禁じているので、醜い容姿故に夫に愛されない苦しみから逃れるために、魂を男性化させることで克服したのです。
    アンリ2世は、死に至る原因になった馬上槍試合に臨む直前、「王妃を愛しているから戦う」と言ったらしいのですが、今更アンタ遅いよって感じがしますね。

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    • Y子
    • 2019年 4月 10日 10:10am

    あと、彼女は自分の胆力が強いことに特化したタイプの、ナルシストだったかもしれません。
    普通、ナルシスト=容姿の優れた人の自己陶酔って感覚ですが、カトリーヌ王妃の場合は、他者からの愛情に餓えていた結果、愛が無くても強い自分への自己陶酔に、目覚めた可能性が高いです。
    アンリ2世の臨終間際にディアーヌを遠ざけたのも、ディアーヌがシュノンソー城を差し出してくれることを期待していたからです。
    カトリーヌには夫への未練は残っていなかったから、それを察して、ディアーヌが本妻にへり下り、シュノンソー城を差し出して、アンリ2世に付き添うべきでしょう。
    世の男性方は、不敬な美人に甘すぎですね。
    ディアーヌは最愛の人を手にして、カトリーヌ王妃は最愛の城を手に入れるで、両者がウインウインになっていたら、別の歴史があったかもしれないですね。

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    • Y子
    • 2019年 10月 18日 6:22pm

    最近、アンリ2世が槍試合でカトリーヌを愛していると告白したのは、カトリーヌが他の男性と愛し合うことを、許したからだと思います。
    夫に愛されないことで、夫を含めた全ての男性を愛してやらないが、カトリーヌの信念になっていたでしょう。
    アンリ2世は、自分の妻が間男を持たないことが、忠実な愛の証しではなくて、彼女が愛していない男性達の中に自分も含まれていることが、辛いとか虚しいとか感じていたかもしれないですね。
    ただ、男性と違い女性の40歳は、終末期を覚悟する年齢なので、カトリーヌは夫の押し付け的な愛を、他人事に感じていたかと思います。

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