メアリー・テューダーとは (1496~1533)は、イングランドを統治した国王ヘンリー8世の妹である。
その美貌とヘンリー8世の妹という身分から多くの求婚者を得たが、フランス国王ルイ12世の王妃となった。
フランスではマリー・ダングルテールと呼ばれているが、ここではイングランド名のメアリー・テューダーで統一したい。
フランス王妃として
メアリー・テューダーは当時ヨーロッパで最も美しい王女と言われていた。
11歳の時にはスペイン王カルロス1世と婚約するが、政治的な理由で彼とは結婚に至らなかった。
メアリーが18歳になった時、兄であるヘンリー8世はフランスとの和解のために、彼女をフランス王ルイ12世に嫁がせることにしたが、18歳のメアリーに対し、ルイ12世はすでに52歳になっていたという。
メアリーはその頃すでにサーフォーク公であるチャールズ・ブランドンと恋愛関係にあり、親子以上も歳の離れた男性の元へ嫁ぐことを断固拒否したが、暴君で知られるヘンリー8世がそんなことを許すわけはなく、泣く泣くフランス王妃として嫁ぐことになってしまったのである。
しかしこの時、彼女は兄に一つの約束をした。
それは、「ルイ12世の死後は、好きな相手と結婚をしてもいい」というものだった。
そして彼女の望みは、すぐに叶えられることになる。
すべてを手に入れたプリンセス
メアリーは多くの侍女を伴いフランスへと嫁いだが、その侍女の中には後にヘンリー8世の2番目の妻となるアン・ブーリンが居たのだという。
これは余談であるが、アン・ブーリンが王妃として成り上がった際、メアリーはアンに対して嫌悪感をあらわしたという。
ヘンリー8世の妻ということになれば、アンはメアリーにとって義理の姉という存在になる。
メアリーはかつて自分の侍女だったアンが義理の姉になったことが不快だったのだろう。
さて、フランスに嫁いだ18歳のメアリーだったが、なんと夫となったルイ12世は結婚からわずか3ヶ月後に急死してしまう。
メアリーは晴れて未亡人になり、初恋の人・サーフォーク公と結ばれるのを今か今かと心待ちにしていた。
しかしヘンリー8世には、妹の願いを聞いてやろうという気持ちはさらさらなかったらしく、約束を無視して次の政略結婚を取り付けた。
それを知ったメアリーは、先手必勝とばかりにサーフォーク公をフランスに呼び出し、2人で結婚してしまったのである。
ヘンリー8世は激怒し、メアリーとサーフォーク公をイングランドから追放したが、のちにメアリーは示談金24,000ポンド(日本円にして346万円。当時の感覚で言えばもっと莫大な金額だろう)をヘンリー8世に支払い、イングランドの宮廷へと返り咲いたのであった。
しかもメアリーは宮廷の中で、サーフォーク公夫人というよりもフランス王妃として待遇されたというのだから、なんとも強い女性である。
さらに、たびたびヘンリー8世とも対立を重ねているというところからも、彼女の強さがうかがえる。
何しろヘンリー8世は6人の妻を持ち、そのうち2人の妻の首をはねるという、恐ろしい王様だったからだ(ヘンリー8世はシャルル・ペローのおとぎ話で、次々と結婚を申し込んでは妻を殺害する『青髭公』のモデルになったとも言われている)。
母娘揃って強い女?
メアリーは歴史上表立った活躍はしていないが、彼女の残した血脈は、イングランド王朝に大きな影響を及ぼした。
メアリーの初恋の相手となり、晴れて夫となったサーフォーク公チャールズ・ブラントンは、騎士の出身でありながら、その功績から爵位を与えられたという人物であった。
そのため、国王の妹であったメアリーとは、たとえ夫婦間であっても絶対的な身分の差があり、宮廷の中で2人が夫婦として対等に扱われることはなかったのだという。
2人の間には4人の子どもが生まれ、その中でもフランセス・ブラントンは、サーフォーク公ヘンリー・グレイと結婚し、ジェーン・グレイを生んだ。
ジェーン・グレイと言えば、王位をめぐる陰謀に巻き込まれ女王となるも、わずか9日間ののちにメアリー1世の命により斬首された、悲劇の女王である。
斬首刑に処されたときにはわずか16歳だったという。
しかし、ジェーンの母であるフランセスは、彼女が殺された後も生き延び、宮廷内でそれなりの権力を持ったまま天寿を全うしたという。
不幸な最期を迎えた女性たちが多いイングランド王室において、母娘揃って幸運に恵まれたのではないだろうか?
最後に
幸せな生涯を送ったメアリーだったが、彼女の一生は意外と短く、37歳のときに病死している。
夫であるサーフォーク公チャールズ・ブラントンは、メアリーの死後まもなく、なんと息子の婚約者であった14歳の少女と再婚してしまったのだそうだ(息子は早世したようだ)。
そんなことはあれど、メアリーはその短い一生の中で、愛した人と結婚し幸せに暮らすことの出来た幸運なプリンセスだったと言えよう。
幸せになるためにただ待っているのではなく、自ら幸せをつかみに行く。
その生き方は、現代の私たちにとっても憧れるものかも知れない。
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