人物(作家)

「北欧のフェルメール」と称された ヴィルヘルム・ハンマースホイ【ハマスホイとデンマーク展】

ヴィルヘルム・ハンマースホイとは

ヴィルヘルム・ハンマースホイとは

ハンマースホイの代表作『背を向けた若い女性のいる室内』wiki public domain

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi : 1864~1915)とは、デンマークの画家である。

その柔らかな美しい筆使いから、“北欧のフェルメール”とも称された。(姓はハマスホイ、ハメルショイとも表記されるが、この記事ではハンマースホイと統一しておく。)

ヴィルヘルム・ハンマースホイとは

『自画像』wiki public domain

生前にはデンマークを代表する画家として、特に国外で評価されたが、死後には急速に忘れられ、彼の作品は長く眠り続けたままであった。

しかし、彼の作品は20世紀末から再評価され、今日ではふたたび多くの人に愛されている。

今回はそんなハンマースホイについて解説する。

伝統を打ち破った分離派

ハンマースホイは、生前、伝統的な画法を重んじるアカデミーとは違い、「分離派」として仲間とともに精力的な活動を続けた。

分離派とは、過去の歴史様式から“分離して”新しい創造に向かおうとする、芸術革新運動のことで、特に1880年代末期、ウィーンの画家グスタフ・クリムトを中心に生まれた「ウィーン分離派」が有名である。

ハンマースホイの作品は、国内では「陰鬱」と称され、批判を受けることが多かったが、国外、特にヨーロッパでは高い評価を受けていた。

1864年、デンマークの裕福な家庭に生まれたハンマースホイは、15歳のときにコペンハーゲン王立芸術アカデミーに入学した。

アカデミーに通う中で、1882年に設立された自由研究学校に出会ったハンマースホイは、アカデミーの勉強の傍ら、この学校でも勉強を始めた。

自由研究学校は、古典的な教育に反発し、もっと自由な表現を目指す若者たちによって設立され、主にフランスの美術教育のスタイルを目指していたという。

ハンマースホイの独特の作風は、この2つの学び舎に通い、伝統と革新の両面に触れていた経験から誕生したものだろう。

ハンマースホイを取り巻く人々

ヴィルヘルム・ハンマースホイとは

『若い女性の肖像 アナ・ハンマースホイ』wiki public domain

ハンマースホイが21歳になった1885年。

彼は妹であるアナの姿を描いた『若い女性の肖像 アナ・ハンマースホイ』をアカデミーの展覧会に出品した。

しかしながら、黒とグレーを主調とし色彩や、空間表現の曖昧さなどが、当時のアカデミーの審査基準にそぐわなかったとして、この作品は落選してしまった。
ハンマースホイは自分の作風を曲げず、その後もアナをモデルとした作品『若い女性の後ろ姿』などを発表する。

1891年にはイーダという女性と結婚。

彼女もまた、ハンマースホイの作品の中で欠かすことのできないモデルとなった。

ヴィルヘルム・ハンマースホイとは

※『ピアノを弾く妻 イーダのいる室内』wiki public domain

イーダをモデルとした、『ピアノを弾く妻 イーダのいる室内』は、現在、東京都西洋美術館(台東区)に所蔵されており、この作品が日本が所蔵する唯一のハンマースホイ作品である。

ハンマースホイ作品の魅力をいち早く発見したのは、コペンハーゲンで歯科医として働いていたアルフレズ・ブラムスンであった。

彼は熱心な美術コレクターで、作品の購入後はハンマースホイの強力な後援者となり、展覧会をいくつも主催している。

また、ハンマースホイの死後は、目録や伝記の執筆をするなど、ハンマースホイや彼の家族にとって、とても重要な人物であった。

ハンマースホイの作風

『クレスチャンボー宮殿、晩秋』(1890 – 92) wiki public domain

ハンマースホイは創作活動の初期、肖像画や人物画、風景画などに取り組んだが、1890年代からは、室内の風景を描いた作品を中心に創作を始めた。

題材となっていたのは、主に自分自身が居を構えていた住宅内で、その独特の表現は、国内外から高く評価されることとなった。

室内画と言えば、その絵の中には誰かしら人物が存在するのが一般的だが、ハンマースホイの描く室内画には、誰もいない。

そのような作品を描くことについて、ハンマースホイは、「(誰も部屋の中にいないという)このような美を常に思っていた」と発言している。

また、彼の描く人物画も、他とは異なる特徴がある。

読書する若い男のいる室内 (1898) wiki public domain

絵の中に描かれた人物の視線は、決して鑑賞者と視線が合わない

しかし、陰鬱さや重々しさはなく、どこか満ち足りた、静謐な美しさを感じさせるのである。

この美しさとは、ハンマースホイがたどり着いたであろう、“無の美学”なのかもしれない。

ハマスホイとデンマーク展

この記事では、“北欧のフェルメール”と称されたデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイについて調べてみた。

2020年1月21日から3月26日まで、東京・上野の東京都美術館で、『ハマスホイとデンマーク展』が開催されている。

この展覧会は、東京だけでなく、4月から6月にかけて山口県立美術館でも開催されることになっている。

前回、日本でハンマースホイの展覧会が行われたのは2008年のことで、今回はそこから12年ぶりの開催となる。

この展覧会で紹介されるハンマースホイの絵画は40点。

また、日本ではなかなか見ることのできない、デンマークの画家たちの作品を一挙に観ることができる。

幸福の国”と呼ばれるデンマークの美しい作品たちに、ぜひ触れていただきたいと思う。

 

アバター

アオノハナ

投稿者の記事一覧

歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. ナイチンゲールの生涯と功績 「イメージとは違う豪快すぎるエピソー…
  2. 【伝説の美容師】 ヴィダル・サスーンについて調べてみた
  3. 唐の音楽文化について調べてみた【音楽好きだった玄宗】
  4. 北大路魯山人 波乱の生涯「美味しんぼ海原雄山のモデル」幼少期にた…
  5. 指揮者になるための道を調べてみた
  6. 「働いたら負け」を生涯貫いたニートの天才詩人・中原中也 「お金と…
  7. ラスプーチンの怪奇な能力について調べてみた【ロシアの怪僧】
  8. 【近代イギリス長編小説の頂点】ジェーン・オースティンの生涯

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

三国志で「一騎打ち」は本当にあったのか? 【呂布vs郭汜、馬超vs閻行、孫策vs太史慈】

三国志には名場面が多いが、花形なのは「一騎打ち」であろう。特に、三国志演義においては…

ねぇ、空気読も?北条義時の喪明けを一人で勝手に行なった北条朝時【鎌倉殿の13人 後伝】

元仁元年(1224年)6月13日、北条義時(演:小栗旬)が62歳で波乱の生涯を終えました。そ…

スターバックスの成功の秘密について調べてみた

「コーヒー」と「フラペチーノ」ですぐにイメージできる「スターバックスコーヒー」。すでに珍しく…

BL小説も驚く、少年修行僧と僧侶の関係 「稚児に寄せる情愛」

中世では家族を持てない僧侶達が、家族に等しい役割を稚児(ちご : 髪をそり落とさない修行中の少年僧)…

日本の謎の未確認生物【UMA】「ハマちゃん、イッシー、クッシー」

未確認生物【UMA】 とはUMAとは、UMAとも表記され生物学的・科学的に確認されておらず、目撃…

アーカイブ

PAGE TOP