中国に愚公移山(ぐこういざん)という故事成語があります。
今は昔、とある村では険しい山によって道が阻まれ、人々は大きく遠回りしなければ街へと行けませんでした。
これをどうにかしようと思い立った老爺は、一人で山を掘り始めます。「爺さん、いったい何をしているんだ?」村人が聞くと、老爺は答えました。
「見て判らんのか。山を崩して、道を拓くんじゃよ」
その答えに、村人は呆れるやら苦笑するやら。山の大きさに対して一日の作業量はあまりにも小さく、そして老爺の寿命だって、そう何年と持ちそうもありません。
「正気かよ……」
人々は老爺を「愚公(愚か者)」と呼んで嘲りましたが、老爺はそんな声など一切気にせずひたむきに作業を続けるうち、一人二人と手伝う者が現れます。
すると作業スピードは飛躍的に向上し、あれほど大きかった山も、徐々に小さくなっていきました。
堪らないのは山の神様。毎日々々全身を削られ続ける苦痛に耐えられず、天帝様に訴え出て、場所を移動して貰います。
かくして愚公は山を移すという常識外れの偉業を成し遂げ、人々は自由に往来できるようになったということです。
どんなに遠大な事業でも、地道に努力を重ねれば必ず成し遂げることが出来る……以上はフィクションですが、古来「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、愚公と同じようなことを、神様の力はもちろん、人々の助けさえも借りずに成し遂げてしまった男がいました。
かけた歳月22年!たった一人で岩山に道を切り拓く
時は1959年、インド・ビハール州の山村に、ダスラート・マンジという貧しい青年が暮らしていました。マンジ氏には妻がいましたが、ある日、峠道で足を滑らせて険しい崖を転落。瀕死の重傷を負ってしまいます。
「すぐに手当を!」
急いで村の医者に診せたところ、町の医者でなければ治療できない状態でした。
「ここから町までは、55キロもある……」
当時、村と町の間には険しい岩山がそびえており、それを大きく迂回しなければ行くことが出来ません。もちろん、貧しいマンジ氏が自家用車はもちろん、車を手配できるようなおカネを持っている筈もありません。
「妻を!妻を助けなくては!」
マンジ氏は妻を担いで必死に町を目指しましたが、55キロの道のりはあまりにも遠く、とうとう妻は息を引き取ってしまいました。
「あぁ、妻よ……!」
マンジ氏は最愛の伴侶を喪った悲しみに沈んだものの、そんな事で死んだ妻が喜ぶとも思えません。
「そうだ……もう二度と、誰にもこんな辛い思いをしないように……」
明けて1960年、決心を固めたマンジ氏は、鑿(ノミ)とハンマーを手に取ると、村と町の間にそびえ立つ岩山に向かいました。もちろん、岩山を削り崩して道を拓き、村と町を真っ直ぐ通れるようにするためです。
「おいおい、気でも狂ったのか?たった独りの人力で、こんな大きな岩山を崩せる訳がないだろう?」
そう思うんだったら手伝ってくれよ……そう言いたかったところでしょうが、みんな生活に忙しい中、無理強いも出来ません。マンジ氏は黙々と作業を続けました。
ここで、物語だと主人公のひたむきな姿に胸を打たれた人々が一人二人と手伝い始めるところですが、いかんせん現実は厳しいもので、岩山に道が切り拓かれるまでの22年間、マンジ氏はずっと独りぼっちで作業を完遂したそうです。
凄いと言えばマンジ氏はもちろん凄いですが、手伝う義理もないとは言え、公益のために頑張っている者を一度として手伝わなかった村人たちの態度にも、何だか凄いものを感じてしまいます。
(※マンジ氏が日頃から嫌われていたのか、あるいは何かトラブルによって村八分にでもされていたのでしょうか)
ともあれ1982年に岩山の道が切り拓かれ、それまで55キロだった町への道のりは1/3以下の15キロに短縮。26歳で開始したマンジ氏は48歳となっており、まさに青春を奉げた一大ライフワークと言えるでしょう。
実写映画化、そしてSNSでの大反響
その後マンジ氏は2007年、肝臓がんで73歳の生涯に幕を下ろしましたが、その偉業は人々に語り継がれ、2015年には「マンジ ザ・マウンテン・マン(主演:ナワーズッディーン・シッディーキー)」として実写映画化。試写会にはマンジ氏の遺族も招待されたそうです。
このエピソードを2020年6月20日、SNSユーザーが紹介したところ、あっという間に拡散され、大きな反響を呼びました。
「一心岩をも通す。英雄ですね」
「民衆は挑戦者を笑い。民衆は英雄を讃える。とはまさにこの事」
「不屈の精神がなきゃ出来ない、マジ尊敬」
「時代が時代なら神話に載りそう」
「誰かのために!っていうのは もの凄いエネルギー源になるんですね」
※他にも「青の洞門(大分県中津市)」を拓いた禅海和尚や、斎藤隆介の童話『半日村 (創作絵本 36)』のエピソードを思い出す声も多く上がっていました。
最愛の伴侶を喪った哀しみ、救えなかった悔しさを、もう誰にも味わわせたくない……そんな思いで岩山に道を切り拓いたマンジ氏の情熱は、今も人々の胸に響き続けます。
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