世界に一枚の切手
世界には様々な分野のコレクターがいますが、切手という分野は昔から多くのコレクターが存在し、今も貴重な切手は高額な値段で取引されています。
そんな世界各地にコレクターを持つ切手なのですが、実は世界で一枚しか存在しないと言われるものがあり、それが今回紹介する「英領ギアナ1セント・マゼンタ」です。
この切手、ちょっとした手違いから発行されたのですが、どういう風の吹き回しかあちこちと人の手に渡り、そのたびに値段が上昇していってしまい、気が付けばとんでもない値段になってしまったという切手です。
わらしべ長者のようなこの不思議な切手についてお話していきます。
英領ギアナとは
英領ギアナ1セント・マゼンタについてお話する前に、英領ギアナについて説明したいと思います。
英領ギアナは南アメリカ大陸北東部に位置し、現在はガイアナ共和国として存在していますが、かつてはイギリスの植民地でした。
この地はもともとは現地人によって治められていましたが、コロンブスの新大陸発見以後、ヨーロッパ各地から入植が開始され、17世紀初頭にはオランダ西インド会社の管轄下に入ります。
その後19世紀になるとナポレオン戦争による変遷を経て、1814年にイギリスの植民地となり、残りのオランダ領もイギリスの管轄下に置かれ1831年に「イギリス領ギアナ」が形成されます。
英領ギアナ形成後もヨーロッパ各地から移民は続き、同じイギリスの植民地であるインドからも移民が行われますが、第二次世界大戦とその後の混乱を経て1966年にイギリスより独立し「ガイアナ共和国」として成立しました。
切手発行のいきさつ
それでは英領ギアナ1セント・マゼンタが発行された経緯について説明します。
時は1856年。ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた時代のことです。
イギリス領となっていたギアナで3種類の郵便切手が発行されることとなり、イギリス本国で生産が開始されます。3種類のうち4セント・マゼンタと4セント・ブルーは普通郵便切手として使われる予定でしたが、1セント・マゼンタは地元新聞紙に貼って使われる予定でした。
また、これは世界各国の植民地に通ずる話なのですが、生活必需品関係の品は地元で生産されることはほとんどなく、植民地を治めている本国から購入し、輸入するというのが普通でした。
そんなこんなでイギリス本国から切手が送られるはずだったのですが、ギアナ領とイギリス本国とでちょっとしたトラブルがあり、切手を積載した船が出航出来なくなってしまったのです。
それを知って焦ったのはギアナ領の郵便局です。このままでは郵便物の配送に支障が出てしまい、ギアナ領内で配達の混乱が起こることを懸念したのです。
ギアナ郵便局長のE・T・E・ダルトンは急遽現地にて3種類の代替切手を作らざるを得なくなり、地元の印刷場にて製造を開始。デザインはダルトンが直々に書き下ろし、印刷業者はそのデザインに船の絵を付け加えて粗末ながらもなんとか切手を完成させます。
1セント切手はマゼンタ(赤紫色)の用紙に八角形のデザインが施され、値段と発行国のギアナの文字が示されています。
こうして何とか最低限の代替切手を生産することに成功したダルトンたちでしたが、悪魔でもその場凌ぎの切手であったため、後に正規の切手がイギリス本国から届くとすぐさま代替切手の使用を禁止するよう命じます。
そのため、この切手が英領ギアナ内で流通することは全くなかったのです。所持していた人たちも使えない切手と知ると、何の抵抗もなくこの切手を捨ててしまいました。
しかし、この代替切手英領ギアナ1セント・マゼンタは数奇な運命を辿ることとなります。
人から人へと渡って
そんな代替切手が英領ギアナで発行されていたという事実も忘れ去られて17年後のある日のこと。
12歳のスコットランド人の少年ルイス・ヴァーノン・ヴォーンが、英領ギアナの街デメララにて、叔父の手紙の中からこの切手を発見します。
ヴァ―ノンは手紙から切手を綺麗に剥がすと、持っていた切手カタログでこの切手のことを調べますが、記載されていなかったため数週間後に地元の切手蒐集家であるN・R・マッキノンにこの切手を6シリングで売ってしまいます。(当時の6シリングは約1万円程度)
しかし、買いとったマッキノンもこの切手の価値が分からなかったため、1878年にリヴァプールの切手商人トーマス・リドパスに120ポンド(当時で約700万円ほど)で売却。
その後、トーマスはこの切手が何なのか調査を開始。調査の結果これが英領ギアナにて一時的に使われていたものと知ると、著名な切手蒐集家であるフィリップ・フォン・フェラリーに150ポンド(当時で約1000万ほど)で売却します。
1917年にフェラリーが亡くなると、5年後に切手はオークションに出され、ニューヨークの資産家であるアーサー・ハインドが約30万フラン(当時で約5000万ほど)で競り落としますが、1933年にハインドが亡くなると、その後切手は様々な人の手を渡り歩きます。
1940年にはオーストラリア出身のフレッド・ポス・スモールが4万ドルで購入するも、1970年にスモールは切手を出品したのでペンシルベニア州の投資組合がこれを28万ドル(約1億8千万ほど)で落札し、見世物として世界に公開展示されます。
しばらく投資組合に管理されていた英領ギアナ1セント・マゼンタでしたが、10年後の1980年にデュポン財閥のジョン・デュポンが93万5千ドル(当時で約3億円)にて落札。
しかしデュポンは持病である強迫性障害が悪化し、1996年に友人を殺害したため逮捕されてしまい、コレクションもほとんどが押収されてしまいます。
2010年にデュポンが獄中で亡くなると、コレクションはオークションに掛けられるのですが、英領ギアナ1セント・マゼンタは凄まじく値段が暴騰し、2014年のニューヨークサザビーズにて靴デザイナーのスチュアート・ワイツマンが948万ドル(約10億円ほど)で競り落としました。
その後
スチュアート・ワイツマンの手に渡った英領ギアナ1セント・マゼンタでしたが、2021年にこれを再びサザビーズにて出品。更なる暴騰が期待されましたが、落札値は830万ドルに止まり、新記録どころか前回の落札額にも届きませんでした。
落札者であるイギリスの老舗切手商であるスタンレー・ギボンズは英領ギアナ1セント・マゼンタの所有権を証券化して一般に販売すると発表しています。また、今まで何度もこの切手の2枚目が発見されたとの報告があったのですが、残念ながら全て偽物であると結果づけられています。
もし、どこかで2枚目が発見されれば一体いくらなのでしょうか?
2枚目は案外あなたの近くに存在しているかもしれませんよ!
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