欧米のビジネス界で注目され、多くのCEOたちが実践している禅。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブズや、X(旧:Twitter)の創業者であるジャック・ドーシ―が禅を日常に取り入れていたことは有名です。
どうして禅はこれほどまでに、海外で広がったのでしょうか?
今回の記事では、禅を欧米に広めた日本の立役者と禅を受け入れた欧米の事情に迫りながら、なぜ海外の人々が禅に魅了されるのかを探っていきます。
「禅を海外に広めたい」禅を欧米に伝えた立役者
禅の基本的な思想は中国で生まれましたが、欧米に伝えたのは日本です。
当時「禅を海外に広めよう」と非常に熱心な僧侶が居ました。その僧侶は釈宗演(しゃくそうえん)。
臨済宗本山の円覚寺の管長だった人物です。
1893年、シカゴで万博が開催され、同時に万国宗教会議も開かれることになりました。
そして釈宗演(しゃくそうえん)は、この会議に招かれました。
この会議は、さまざまな宗教の指導者たちが一堂に会することが目的で、シカゴ万博に付随したイベントでした。
日本の仏教界はこの会議への参加には慎重な姿勢を示していましたが、釈宗演は『仏教の要旨ならびに因果法』という講演を行いました。
釈宗演は江戸時代の生まれですが、福沢諭吉の慶応義塾大学で学んだこともあり、非常に聡明で現代的な人だったようです。
ちなみに「吾輩は猫である」で有名な夏目漱石は一度、禅の道に入って修行をしたことがありますが、その時の師匠が釈宗演です。
漱石の葬式でも、本人の希望でお経を読んだと言われています。
そしてこの釈宗演の弟子に、鈴木大拙(だいせつ)という英語が堪能な仏教学者がいました。彼も禅を欧米に広める立役者となります。
アメリカの哲学者で仏教学者のポール・ケーラスが、釈宗演の講演を聞いて深く感銘を受け、後に「英語に堪能な者を派遣して欲しい」と宗演に依頼しました。そこで宗演は弟子の鈴木大拙を渡米させたのです。
大拙はその後、ケーラスの下で翻訳等の仕事を手伝うことなりました。
大拙自身は僧侶ではありませんでしたが、釈宗演の禅の考えを広めたいという思いに感銘を受けて禅を猛勉強していました。
渡米後、禅に関する本をなんと英語で次々と出版します。
彼が居なかったら、禅は今ほど欧米に広がることはなかったかもしれません。
アメリカのヒッピー文化にうまく馴染んだ禅
アメリカ側にも当時、禅を受け入れる土壌がありました。
それは1960年~70年代にかけてのヒッピー文化です。
ヒッピー文化とは、既成概念や伝統に反発し、自然や自由を愛する生活を求めた社会運動で、アメリカを中心に広まりました。
物質主義を否定し、精神的なものに重きを置く傾向があったため、アートや瞑想が重視されたり、精神を高揚させるためにドラッグが蔓延しました。
そんな中、日本からやってきた禅も「なんかスピリチュアルでイケてる」と受け入れられることになったのです。
そんなきっかけから受け入れられた禅ですが、アメリカで流行した最も大きな理由は「禅が宗教らしくなかった」からとされています。
禅は仏教から派生した思想ですが仏の教えはほとんど出てきません。ヒッピー文化は宗教を否定していましたが、「精神的な拠り所としての宗教的なもの」を必要としていました。
そこで宗教でありながら教えがどうこう言わない禅は、ヒッピー文化に受け入れられやすく流行していったのです。
その後、ヒッピー文化は衰退していきますが、禅は定着してアメリカに残ることになりました。
禅がアメリカに定着した理由は様々ですが、誰もがすぐ実践できるという点が最大の要因と考えられています。
禅は行動が主体なので、日本語や中国語を学ぶ必要もありません。
シンプルでありながら奥が深い「禅」は、日々の忙しさに忙殺されている人々からの需要が高かったのでしょう。
ヨーロッパでも受け入れられた禅
禅は、アメリカだけでなくヨーロッパでも普及していきました。
フランスでは「彼女はZENな人ね」「この場所はZENとしていて落ち着くね」といったように「ZEN」は「静かな様子、シンプルな美しさ」という意味で、形容詞として受け入れられているほど日常に浸透しています。
ヨーロッパで禅が普及した背景には、キリスト教の信者が減少傾向にあることも一因とされています。
おわりに
禅が多くの人たちに愛されている理由はさまざまです。
深い思索と精神の安定をもたらす禅の考え方は重宝され、今でも大きな影響を与えています。
今後も禅が世界に広がり、日常生活でさらなる変革を起こすかもしれません。
参考 :「ZEN」は欧米でどのように進化してきたか?海外の「禅の本」をひもとく | ENGLISH JOURNAL
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