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弟の排泄物を食べさせられ、毒ガスの浴室に閉じ込められる
1960年代のカリフォルニアに、母親から虐待を受け続け、自分の名前すら呼んでもらえず、「あの子」から最終的に「それ」と言われ、物扱いされて育った12歳の少年がいた。
デイヴ・ペルザーは、1960年12月29日、 サンフランシスコで5人兄弟の次男として誕生した。
母キャサリンは、デイヴが4歳の頃から虐待を始め、時にはゲームと称して楽しむ素振りさえ見せたという。
・殴る蹴るの暴力は当たり前
・10日間、絶食させる
・赤子である弟の排泄物やデイヴ本人の嘔吐物を食べさせる
・アンモニアを強制的に飲ませる
・ガスストーブで腕を火傷させる
・浴室を毒ガスで充満させ閉じ込める
・塩酸入り洗剤で掃除させる
・ナイフで腹部を刺す
現代なら確実に犯罪となる非人道的な虐待や、奴隷のような強制労働が日常的に行われた。
デイヴの父でありキャサリンの夫であったスティーブンは、最初はデイヴの味方でいてくれたが、次第にキャサリンにさからえなくなり虐待を黙認。
キャサリンはアルコール依存症を患っていたが、夫婦ともに治療に向き合えず関係が悪化、スティーブンは離婚を選択し、デイヴと兄弟たちの前から姿を消してしまう。
4人の兄弟たちは、いつか自分たちもデイヴのように母から虐待されるのではないかと怯え、時にデイヴの監視役や報告役としてキャサリンの虐待に間接的に加担するようになっていった。
デイヴは母の気持ちを汲み取り、空気を読みながら虐待を受け続けた。
キャサリンに張り倒されると、抵抗していると思われないようにあえて足を踏ん張らなかったり、みすぼらしい服を着せるのは、母が自分に恥をかかせたいからだろうと推測したりと、虐待される自分の気持ちではなく、虐待する母親の気持ちを常に汲み取る努力をし続けたのだった。
デイヴは家でまともな食事を与えてもらえず、飢えを凌ぐために学校で給食泥棒を働くようになり、そのための嘘もつき、問題児扱いされるようになっていった。
虐待トラウマによる精神的苦痛と家族への恋慕というジレンマ
12歳になったデイヴはある時、決められた時間内に皿洗いを終えなかったという理由で、母キャサリンから包丁でお腹を刺されてしまう。
キャサリンは応急処置をして病院の救急にデイヴを担ぎ込んだが、看護師が彼の身体の無数の傷に違和感を抱き、小学校に通報。
担任教師と校長、警察によってデイヴは保護され、母の虐待から逃れられたのだった。
デイヴは里親の元で暮らすことになったが、
「母親から虐待を受けたのは、自分のせいだったのではないか」
と考えるようになり、さらには母親や兄弟たちから愛されていた幼少期の幸せな思い出を忘れられず、本物の家族の愛情を求めて里親との関係をこじらせてしまう。
承認欲求からくる窃盗や暴行、嘘つきなどの問題行動も頻繁に起こし、里親や救護院を転々とすることになる。
その間も、素行不良な同級生たちからの誘惑や、母キャサリンに居場所を突き止められ精神病院に送る目的で執拗に追い込まれるなど、波乱の日々を送ったのだった。
デイヴは10代の間、虐待トラウマによる精神的苦痛と家族への恋慕のダブルバインドで心が引き裂かれ、不安定な精神状態に陥っていた。
人から愛されていると実感することが難しく、健全なコミュニケーションの仕方も親密な愛情表現の仕方もわからないままであった。
何十組か目に里親となったターンバウ夫妻がデイヴに惜しみない愛情を注いだことで、彼は少しずつ他者に心を開き、優しく接することを心がけられるようになっていった。
世界的ベストセラー作家になるも「児童虐待実業家」と揶揄される
1995年、34歳になったデイヴはトラウマを乗り越え、幼少期の虐待経験を綴った自伝『“It”と呼ばれた子』を出版。
世界中で1,000万部を売り上げるベストセラー作家となった。
虐待の描写があまりにも凄惨だったため、読者からは以下のような感想が多数、寄せられたほどだった。
「親からの虐待をこれだけ生々しく書かれた本は、他に読んだことがない。」
「自分で買って読み始めたのに、苦しくて吐き気がして途中で読むのを何度もやめようと思った。」
その後も、『”It”と呼ばれた子』は「幼年期・新訂版」「少年期」「青春編」「完結編」「指南編」と5部作としてシリーズ化され、いずれもベストセラーを記録。
デイヴは、世間の関心を集め、富と名声を手にして成功者となり、カリフォルニア州史上最悪といわれた虐待を生き抜いた「虐待サバイバー」として数々のメディアの取材を受け、講演活動やコミュニティ活動を精力的に行うようになった。
読者や支持者たちからは、「人生でこんなことを経験したのは私だけではなかった。理解してくれている人たちがいて嬉しい。」といった声が毎日のように届き、虐待被害者たちの救いの星となっていった。
ところが、同時にデイヴに批判的な声もメディアで取り上げられるようになる。
有名作家や多くのライターたちが、彼の回想の信頼性に疑問を抱き、新聞や雑誌に批判記事を寄稿したのだ。
「彼の両親はすでに亡くなっているため、実際の出来事を本人たちに確認することができない。
また、デイヴは自分の虐待の詳細は覚えているが、母親に関すること、虐待を証明するようなことはほとんど覚えていない。」
さらに、デイヴの実弟であるスティーブン・ペルザーも『ニューヨーク・タイムズ』でデイヴの著書に異議を唱えた。
「『”It”と呼ばれた子』は、相当な誇張や歪曲が入っている。
デイヴが母に包丁で刺されたことは事実だが、血は一滴も出なかった。
また、彼が里親に預けられたのは、放火し万引きで捕まったからだと考えている。」
デイヴは、弟スティーブンのコメントに対して、
「彼は半発達障害で、顔面神経麻痺を患っている。
彼は、母キャサリンを崇拝していた。
母はスティーブンを守ってくれたので、彼は寂しがっているだけだ。」
と反論した。
デイヴの母方の祖母(キャサリンの母)も、彼の著書の内容に眉をひそめた。
「デイヴは虐待を受けていたが、彼が書いているほど深刻ではなかったと信じている。
あの本はフィクションとして売るべき。」
しかし、後のメディアによる取材でデイヴの祖母は当時、彼らと同じ州には住んでおらず、ペルザー家と連絡が取れていなかったことが明らかにされた。
その一方で、デイヴ自ら著書を買い占めてベストセラーランキングを不正操作したり、デイヴの著書の初期の担当編集者が「本の内容は嘘だと思う。」と証言するなど、虐待の信憑性を疑問視する声が後を絶たなかった。
虐待エピソードから利益を得る「児童虐待実業家」「売名行為」などと揶揄する声が国内のメディアでセンセーショナルに取り上げられ、アメリカの一定層からはデイヴと著書『”It”と呼ばれた子』は白眼視され社会的信用を落としている。
アメリカ図書館協会によると、『”It”と呼ばれた子』 (原題『A Child Called “It”』)は、現在も頻繁に発禁処分や異議申し立てを受け続けているという。
虐待と憎しみのメカニズムを理解し、「助けを求める勇気」を伝えるサマリタン
デイヴは売れっ子作家として執筆活動や講演活動を行う一方で、私生活では「愛情と人間関係」の問題に常に向き合い続けていた。
最初の結婚相手、パッツィーとの間に息子をもうけるも、彼女はデイヴと同じく親子関係に溝を抱えており、お互いに信頼できる愛情関係を育むことができず夫婦生活は破綻した。
その後、『”It”と呼ばれた子』の出版社の副編集長、マーシャと仕事の関係を超えた信頼関係を築き、再婚。
マーシャは虐待の後遺症に苦しむデイヴを献身的に支え、彼は著書の中で妻をこのように表現している。
「ようやく理想の女性に出会えた。」
現在63歳になったデイヴは、自らを「サマリタン(困っている人を助ける人)」と称し、自らの経験を活かして各地の教護院や児童自立支援施設へのボランティア活動、青年援助プログラムや講演活動を続け、社会に大きく貢献している。
講演では、児童虐待だけでなく悩み多き若年層に向け、「あらゆる逆境から立ち直り、幸せな人生を送ること」をテーマに、困難に立ち向かう勇気、忍耐力、真の賢さを伴う自立心を養う方法を伝えている。
デイヴは2005年、日本の知的創造活動をサポートするウェブサイト『リンククラブ』のインタビューで、
「母もまた実母に虐待されて育った。
児童虐待は、後天的に習得された行為だ。
動物を蹴り続ければ、しまいには死んでしまうか、あるいは噛みつくようになる。
母は他者に噛みつく人間になった。
母は、若いころから家族や友人を憎んでいた。
母が教えてくれたことは、誰も憎んではいけないということだ。
憎しみがどうやって始まるかを見てみると、『あなたは私を傷つけるから、自分を守らなければならない。だから武装した上であなたに接する』というメカニズムがある。
他人に威張ったり、他人を遠ざけたり、いじめる人は、自分も誰かに痛めつけられてきたのだ。」
と虐待と憎しみのメカニズムを語り、35年の時を経て、母が自分に虐待した背景に深い理解を示している。
さらに、子どもを虐待しそうになってしまう日本の母親たちに対しても、助けを求める勇気を持つことの重要性を伝えている。
「日本社会では、こうした問題を家族の恥とみなして隠す傾向があるかもしれない。
でもお母さんが、自分ではどうしようもできない問題を抱えてしまったら、『私は未熟で、子どもといると気が狂いそう。助けてほしい』と声を上げるべきだ。
助けを求めることこそが、勇気ある行動なのだ。」
幼少期に母親から凄惨な虐待を受け地獄の底から生き抜いたものの、世界的ベストセラー作家として成功するとアメリカ中から「児童虐待実業家」「売名行為」と大バッシングを浴びたデイヴ・ペルザー。
それでも彼は、先の『リンククラブ』のインタビューで世間の批判の声をも包含し、許すことで人生が展開すると訴えている。
「結果的に本が売れたことで、児童虐待の認識の向上に貢献できて嬉しく思っている。
私たちには、憎しみという安易な道をとるか、許しという長く努力を要する道をとるか、二つの選択肢がある。
許すとき、私たちは自分を縛る過去の鎖を断ち切って、自らの人生を選ぶことができるのだ。」
参考 :
書籍『”It”と呼ばれた子 幼年期 新訂版』デイヴ・ペルザー著
書籍『”It”と呼ばれた子 完結編 さよなら ”It” 新訂版』デイヴ・ペルザー著
書籍『ペルザー家 虐待の連鎖』リチャード・ペルザー著
インタビュー『リンククラブ』
「あなたがあなたであるために『”It”と呼ばれた子』が切り開いたもの」
「サマタリアン」て?
せめて日本語にするならサマリタンでしょ。
そのくらいちゃんと調べましょう。
これ本当にプロが書いてる?!
ご指摘まことにありがとうございます。
修正させていただきました。