紀元前753年、イタリア半島中部に、多部族からなる都市国家ローマが誕生した。
そして、次第に周辺地域へと領土を拡大し、「元老院ならびにローマ市民」という名の大帝国となって地中海世界全域を支配下に置いた。
エジプトの都市「アレクサンドリア」も紀元前30年以後、このローマの支配下に置かれる。その結果、一部に懐疑的な人々は存在したものの、バビロニアで誕生した占星術がローマの人々の間にも浸透していった。
天体と人間の結びつき
ローマ帝国の初代皇帝となったアウグストゥスの時代、宮廷内でも占星術が行われるようになり、時には政治的な意図にも利用された。その後継者であるティベリウスは、初めて宮廷占星術師を抱えたほど有用した皇帝として知られている。
アウグストゥス帝からティベリウス帝の時代、ローマの詩人で占星術師の「マルクス・マニリウス」が占星術に関する初期の理論書を記している。
それは『アストロノミカ』という5巻からなる教訓詩である。そこには人間の関心事を獣帯(じゅうたい)に結びつける占星術の体系が初めて著されているのだ。獣帯とは、天球上の黄道を中心とした太陽や月を含む惑星が運行する帯状の領域のことである。
つまり、マニリウスは天体と人間との結びつきを体系化したことになる。
占星術の斜陽
【※クラウディオス・プトレマイオス】
マニリウスが登場して以降、占星術に関する著作が数多く著されるようになった。なかでもアレクサンドリアの天文学者・地理学者であった「クラウディウス・プトレマイオス」の『テトラビブロス』は、西洋占星術の古典として後世に多大なる影響を与えた。この本のおかげで、ルネサンス期のヨーロッパではプトレマイオスを「最も神聖なプトレマイオス」と称したほどである。
このように占星術が利用されればされるほど、彼らが発する皇帝の死期に関する予言やホロスコープから読み解く次期皇帝の候補者といった事柄が、社会不安を呼び起こすと問題視されはじめた。そのため占星術師たちは、他の妖術師や占い師たちとともに、度々追放令が出されてしまったのである。
古代ローマ帝国が末期へと向かう中、占星術も長い衰退期に突入するのである。
キリスト教の国教化と反占星術
【※コンスタンティヌス1世の頭像】
306年にローマ皇帝の座に就き、帝国を再統一して専制君主制を発展させたコンスタンティヌス1世は、ミラノ勅令を発布してキリスト教を公認した。
それまで迫害されていたにも関わらず、強い組織力を持っていたキリスト教徒に目を付けたのである。コンスタンティヌス帝は、その組織力を帝国統治のために利用しようと考えたのだ。
こうしてローマ帝国がキリスト教化することでその権力が大きくなってゆき、やがて教会による反占星術的な態度が強まっていったのである。なかでも聖アウグスティヌス(354~430)による占星術への攻撃は、その後のキリスト教会の占星術に対する方向性を決定づけている。
それではなぜキリスト教会は占星術を目の敵にしたのだろうか。
理由のひとつは「占星術は人間の自由な意思を、宿命論的な側面から脅かす」とされたからだ。そして何より問題視されたのは、占星術と異端な宗教諸派が、しばしば結びついて考えられたことである。実際、当時の占星術及び占星術師に対する厳しい非難は「グノーシス主義」や「マニ教」などへの攻撃と対をなすようになっていた。
ローマ時代における占星術の消滅へ
グノーシス主義とは、私たちが生きている宇宙を「悪の宇宙」とし、原初には真の至高神が創造した「善の宇宙」があったと考える思想のことである。
このキリスト教と相反する考えが教会を脅かしたのである。そして、その思想をもとにして成立したのがキリスト教の最大のライバル、マニ教であった。
こうした教会による執拗な攻撃によって、それまでは盛んだった占星術にも陰りが見えるようになる。さらに476年に西ローマ帝国が崩壊すると、それ以降は学問も大きく衰退し、ローマにおける占星術は他のヘレニズム科学と共にほぼ消滅へと向かった。実際、西ローマ帝国地域においては5世紀以降、占星術に関する重要な動きはほとんど見られなくなる。
アウグスティヌスの後悔
【※アウレリウス・アウグスティヌス】
ローマ時代末期の最大の神学者にして思想家であったアウグスティヌスは、自伝『告白』の中で、自分がこれまでどれほど罪深く、道徳に外れた人生を送ってきたのかを大いに悔いていると述べている。
そこにはかつてマニ教を信仰してきたことや、占星術を信じていたことへの後悔も綴られており、いかに占星術が忌避されていたかがよく分かる。さらに占星術の有害性を説いてくれた友人の言葉も語られており、これらはその後、千年にわたりキリスト教作家に影響を与えたのである。
最後に
アレキサンダー大王が統一した地域がヘレニズム文化を生み出し、エジプトのアレクサンドリアで占星術も大きく花開いていた。
プトレマイオスもアレクサンドリア天文台で天文学に傾倒するほか、数学、占星術などにも業績を残したが、キリスト教により占星術そのものの火が消えてしまう。
しかし、天動説を唱えたプトレマイオスは、西洋占星術の世界に大きな影響を与え、後世のルネサンス期に再び脚光を浴びることとなる。
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