
画像 : 八幡伝統的建造物群保存地区の八幡堀 663highland CC BY 2.5
近江八幡市は滋賀県湖東に位置し、水郷と歴史的な町並みが調和した町として知られています。
近江商人の拠点の1つとして発展したこの地には、今も江戸から明治にかけての商都の面影が色濃く残っています。
また近江八幡は、アメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが暮らし、多くの近代建築を手がけた町でもあり、それらの建物は現在も町の景観を形づくる大切な文化遺産となっています。
今回はそんな近江八幡を歩きながら、この地に刻まれた豊臣時代の歴史に目を向けてみます。
近江八幡市の地名の由来 日牟禮八幡宮

画像:日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)の拝殿 筆者撮影
近江八幡という地名は、この地の中心に鎮座する日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)に由来します。
1954年に市制が施行された際も、旧八幡町の名を継承して「近江八幡市」と名付けられました。
日牟禮八幡宮の由緒は古く、その起源については複数の伝承が残されています。
社伝によれば、成務天皇元年(131年)に武内宿禰が地主神である大嶋大神を祀ったことが始まりとされ、また応神天皇の行幸の際に日輪が2つ現れたことから「日群之社八幡宮」が建てられたとも伝えられています。
一方で、史料的に確認できる歴史としては、正暦2年(991年)に一条天皇の勅願によって八幡山に宇佐八幡宮が勧請され、さらに寛弘2年(1005年)に山麓に遥拝社が建立されたことが、現在の社殿につながっています。
主祭神は誉田別尊(ほむたのすめらみこと 応神天皇)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと 神功皇后)、比賣神(ひめがみ)の三柱で、日牟禮八幡宮は中世以来、近江国の守護神として長く人々の信仰を集めてきたのです。
日牟礼八幡宮の建造物と見どころ

画像:日牟礼八幡宮の楼門 筆者撮影
日牟禮八幡宮の境内に入ると、まず目を引くのが堂々とした楼門です。
この入母屋造の門は、近江の守護を務めた佐々木六角氏が延文4年(1359年)に建立したものを起源とし、その後、火災による焼失と再建を繰り返しながら今日に伝えられてきました。
現在の建物は江戸時代後期から昭和にかけて再建された姿ですが、八幡宮の歴史を象徴する存在であることに変わりはありません。
楼門の彫刻については、江戸時代以降「左甚五郎作」と伝えられており、「四方猿の御門」とも呼ばれるほど見応えのある意匠が施されています。
楼門をくぐると拝殿と本殿が建ち、その脇には老松の絵が印象的な能舞台があります。
この能舞台は明治32年(1899年)に建てられたもので、現在も神事や奉納芸能の場として使われています。

画像:日牟礼八幡宮の能舞台 筆者撮影
国宝建築こそありませんが、日牟禮八幡宮には安南渡海船額や八幡三神の木造神像など、国指定の重要文化財が伝えられています。
約4万4000平方メートルの広い神域にはエノキやムクの大木が茂り、楼門や拝殿、本殿、能舞台がゆったりと配置され、城下町の守護神にふさわしい落ち着いた雰囲気を今に伝えています。
近江八幡は豊臣秀次が築いた城下町
近江八幡の城下町は、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が、近江国の支配拠点として築いたものです。
天正13年(1585年)、秀次は八幡山に八幡山城を築き、その山麓に碁盤目状の城下町を整備しました。

画像:豊臣秀次像(部分)瑞雲寺所蔵 public domain
この地から直線距離で約5kmの場所には、織田信長が築いた安土城とその城下町がありましたが、本能寺の変後、安土は急速に衰退していました。
秀次の八幡城下町は、安土に代わる近江の政治・商業の中心として計画的に造られた町だったのです。
城下町の南側には、現在「八幡堀」と呼ばれる水路が掘られました。
これは城の防御用というよりも、琵琶湖と城下町を結ぶ水運路として整備されたもので、安土から移り住んだ商人たちが物流の要として活用しました。
さらに町の内部には、家々の背後に排水溝を通す「背割り」と呼ばれる仕組みが設けられ、当時としては非常に衛生的で計画的な都市空間がつくられていました。
こうした整備は、大坂や伏見と並ぶ、豊臣政権の都市政策の一端を示すものといえるでしょう。

画像:八幡堀の風景 筆者撮影
近江商人の中心地 近江八幡
この地に集まった商人たちが、後に「近江商人」と呼ばれる人々です。
近江商人は、天秤棒を担いで全国を巡る行商で知られていますが、その起源は秀次の時代よりも古く、室町時代から近江各地に広がっていました。
八幡の城下町は、そうした商人たちの活動拠点として大きく発展したのです。
天正18年(1590年)に秀次が尾張へ移り、さらに文禄4年(1595年)に失脚すると、八幡山城は廃城となりました。
しかし城下町は消えることなく、むしろ商業の町として生き続けました。城に依存しない商業都市であったことが、八幡の強さだったのです。
琵琶湖水運と街道網に支えられた八幡の商人たちは、江戸時代を通じて全国へ進出し、「三方よし」に象徴される近江商人の精神とともに、その名を日本中に広めていったのです。
筆者はこの風情に惹かれて何度も近江八幡を訪れてきましたが、今回あらためて城下町の歴史をたどることで、この地が歩んできた豊臣政権の光と影を感じました。
その記憶を抱えながら、町は商業都市として生き続け、現在の近江八幡へとつながっているのです。
日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)
所在地 : 滋賀県近江八幡市宮内町257
参拝時間 : 9時から17時
拝観料 : 無料
定休日 : なし
アクセス 電車 : JR琵琶湖線 近江八幡駅下車 近江鉄道バス「長命寺」行きに乗車「八幡堀」下車 徒歩約5分 または駅から徒歩約30分
アクセス 車 : 名神高速 竜王IC から約30分 観光駐車場あり
公式サイト : https://himure.jp/
参考 : 『日牟禮八幡宮公式サイト』他
文:撮影 / 草の実堂編集部
























この記事へのコメントはありません。