幕末明治

徳川埋蔵金は現代の価値に換算するといくらだったのか?

徳川埋蔵金伝説とは?

日本各地には、たくさんの埋蔵金伝説が残っています。
徳川幕府は260年続いたこともあり、さまざまな埋蔵金伝説が残されています。
そして徳川埋蔵金伝説は、小栗上野介が勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したのではないか? という説が元になっています。
慶応4年(1868年)4月に江戸城が無血開城されましたが、当時の新政府軍は、資金源として徳川幕府の御用金を当てにしていました。

しかし、城内の金蔵には期待していた御用金は残されておらず、幕府が隠匿したと判断した新政府軍は、御用金探しを行ないましたが、何も見つけられずに終わりました。
軍用金の額は、およそ360万両から400万両と言われています。
この金額は、勝海舟の日記に

軍用金として360万両有るが、これは常備兵を養う為の金で使うわけにいかない。

との記述が元とされています。

360万両は、2017年の価値に直すといくらか?

それでは、埋蔵金の額を360万両と推定した場合、その額は、いくらになるのでしょうか?
以下、記載したいと思います。
年末のTV放映「3000億円の徳川埋蔵金プロジェクト2016」では、3000億円とされていましたが、その数字に近いものは算出できるか調べてみました。

1. 平成29年1月の相対取引の数字から換算した場合

当時の貨幣価値を調べる場合、米一升との比較で計算するのが一般的です。
米一升は、約1500グラム1.5キログラムとされていますので、この数字を使います。

平成29年1月の相対取引価格は、全銘柄平均価格で、14,366円(玄米 60kg)であることから、
米一升の価格に換算すると、14,366円/60㎏*1.5㎏= 約359.15円 となります。

江戸時代の貨幣価値と物価表(京都故実研究会)によれば、
江戸時代の1両の価値は66,000円(換算年度表示なし、江戸時代平均値)で、米一升が100文、一両が4000文ですから、

        1両の価値
米一升 = 1.5キロ 1,650 1両=銭4000文(16.5円) 66,000円
     
統計数字より 359.15 1両=銭4000文(3.5915円) 14,366円

 

上記により、1両を14,366円と仮定します。
また、江戸時代後期の万延小判金1両は、約5万円とされていることから、江戸時代後期の数字に再換算すると、10,883円となります。

理由 : 66,000円と50,000円を比較すると、66,000円は50,000円の1.32倍となります。
計算式 14,366円/1.32*1=10,883円

埋蔵金の額は、360万両と推定するので、埋蔵額は江戸時代後期の基準だと、

10,883円×3,600,000両 = 39,178,800,000円

となります。

因みに江戸時代の平均値で換算すると、埋蔵額は、

14,366円×3,600,000両 = 51,717,600,000円

となります。

インターネットで検索すると、『埋蔵金の額は、500億円とも言われている』などの記事を見かけることがありますので、このような記事は、お米の価値から換算したものであると推測します。

2. 金や銀の取引価格から埋蔵金の額を推定すると (万延小判で換算)

ウィキペディアの万延小判(※金銀含有)のサイトに数字が掲載されていますので、この数字を使って、計算してみたいと思います。

2017年4/1の金の価格は、1グラム4,888円(店頭価格 三菱マテリアル調べ)となっています。
また、銀の価格は1グラム72.79円です。
小判の規定量目は、八分八厘(3.3g)です。

1両の金の価値の特定 : 4,888円×3.3g×57.25%(含有率) = 約9,235円

9,235円×3,600,000両 = 33,246,000,000円

1両の銀の価値の特定 : 72.79円×3.3g×42.35%(含有率) = 約102円
102円×3,600,000両 = 367,200,000円

金と銀の合計 : 33,246,000,000円 + 367,200,000円 = 33,613,200,000円

万延小判は、発行枚数を考えると徳川幕府の御用金として蔵に眠っていたと考えるのは少し無理がありそうです。(小判・一部判鋳造高: 625,050両)

3. 金や銀の取引価格から埋蔵金の額を推定すると (天保小判で換算)

徳川埋蔵金は、万延小判の鋳造枚数から推定すると、万延小判よりも前に鋳造された小判であると推測できます。

同じくウィキペディアの天保小判のサイトに数字が掲載されていますので、この数字を使って、計算してみたいと思います。

小判の規定量目は、三匁(11.24g)です。
1両の金の価値の特定 : 4,888円×11.24g×56.77%(含有率) = 約31,190円
31,190円×3,600,000両 = 112,284,000,000円
1両の銀の価値の特定 : 72.79円×11.24g×42.86%(含有率) = 約 351 円
351円×3,600,000両 = 1,263,600,000円

金と銀の合計 : 112,284,000,000円 + 1,263,600,000円 = 113,547,600,000円

天保小判は、鋳造高はクリアーしていますが、慶長小判と比較すると万延小判同様、金の含有率が低いものとなっています。

4. 金や銀の取引価格から埋蔵金の額を推定すると (慶長小判で換算)

2.及び3.同様、ウィキペディアの慶長小判のサイトに数字が掲載されていますので、この数字を使って、計算してみたいと思います。
慶長小判は、江戸時代初期に鋳造された貨幣ですが、国外流失量が最も多い小判です。
(小判・一分判4,100,000両が流失しています)

2017年4/1の金の価格は、1グラム4,888円(店頭価格 三菱マテリアル調べ)となっています。
また、銀の価格は1グラム72.79円です。
小判の規定量目は、四匁七分六厘(17.76g)です。

1両の金の価値の特定 : 4,888円×17.76g×86.28%(含有率) = 約74,900円
74,900円×3,600,000両 = 269,640,000,000円
1両の銀の価値の特定 : 72.79円×17.76g×13.20%(含有率) = 約 171 円
171円×3,600,000両 = 615,600,000円

金と銀の合計 : 269,640,000,000円 + 615,600,000円 = 270,255,600,000円

江戸時代において、市場を流通していたのは、小判ではなく、銀銭であったことから、小判は大名家の蔵に眠っていたと考えるのが妥当です。
更に、発行枚数も多いことから、徳川幕府が御用金として蔵に保管していた小判も純度の高い慶長小判であったという推理が成り立ちます。

残念ながら、金相場・銀相場は、日々変動するため、TV放映時の3000億円には届かない数字になってしまいましたが、考え方は悪くないと思います。

次ページでは小栗上野介について解説します。

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