行ってみた

『日本最古の本格的な都』藤原京と大和三山へ行ってみた「藤原宮跡のコスモス花園が圧巻!」

画像:持統天皇 public domain

694年、持統天皇により飛鳥京(飛鳥浄御原宮)から、新たな都である藤原京へ遷都が行われました。

藤原京は、日本で初めて唐の都城制度に倣った条坊制を本格的に導入した都であり、我が国最初の本格的都市計画によって築かれた都城として、重要な位置を占めています。

今回、藤原京の中心にあたる大極殿が置かれていた藤原宮跡を訪れる機会を得ました。大和三山を一望できるこの地に立つと、悠久の歴史が今なお息づいていることを強く感じます。

不思議な説も一部囁かれている大和三山についても紹介しながら、その魅力を紹介いたします。

藤原京の概要

画像:藤原京の復元模型 public domain

唐の都を模した都と聞けば、平城京や平安京を思い浮かべる方が多いかもしれません。

しかし、日本で最初に条坊制を本格的に採用した都は藤原京です。この時代は、律令国家としての仕組みが整えられていく重要な転換期でもありました。

藤原京の造営は天武天皇の時代に始まり、天武天皇の崩御後は持統天皇が事業を引き継ぎ、694年に遷都が実現しました。

その後、710年に平城京へ遷都されるまでの約16年間、持統・文武・元明の三代にわたって律令国家体制の確立が強力に進められました。

大宝律令はこの時期に完成・施行され、富本銭に続いて和同開珎の鋳造も始まっています。また、遣唐使が対外的に初めて「日本」という国号を用いたのも、この藤原京の時代とされています。

元明天皇の即位後、平城遷都の詔が発せられ、2年後に遷都が行われたことで藤原京は役割を終えました。

かつては「藤原京が手狭になったために遷都された」という説明が一般的でしたが、近年の発掘調査により、藤原京は大和三山を内包する広大な都市であり、面積は25km²以上に及んだことが明らかになっています。ちなみに、平城京は約24km²、平安京は約23km²です。

こうした事実を踏まえると、単なる都市規模の問題だけで遷都が行われたとは言い切れず、真相については現在もさまざまな議論が続いています。

現在の藤原宮跡

画像:大極殿南門の柱の復元 筆者撮影

藤原京の中心に位置した大極殿の跡地は、現在「藤原宮跡」として保存されています。

現地には、大極殿南門の柱の位置を示す短い柱が象徴的に復元されているのみで、周囲は一面に広がる広大な平地となっています。

併設施設として、近くに資料室が設けられている程度で、往時の壮麗さを伝える建造物は残されておりません。

しかしながら、大和三山を一望できるこの場所に立つと、ここがかつて日本最古の本格的な都の中心であったという事実を実感させられ、深い感慨を覚える方も多いことでしょう。

秋には一帯に植栽されたコスモスが咲き誇り、色鮮やかな花景色を求めて多くの人々が訪れます。

画像:藤原宮跡のコスモス 筆者撮影

大和三山の概要

藤原宮跡は、橿原神宮から北東に約2kmの場所にあります。

周囲には、北に耳成山(みみなしやま)、南東に香久山(天香具山 : あめのかぐやま)、南西に畝傍山(うねびやま)が位置し、三つの山が美しい三角形を描いています。

これが、いわゆる大和三山です。

大和盆地南部に点在するこれらの山は、いずれも連なる山脈ではなく、独立峰としてぽつりと立つ特徴的な地形を示しており、その整った円錐状の姿は古来より人々の信仰を集めてきた理由の一端を感じさせます。

画像:耳成山(みみなしやま) 筆者撮影

画像:香久山(天香具山 : あめのかぐやま) 筆者撮影

画像:畝傍山(うねびやま) 筆者撮影

この地域は、太古より神聖な地として崇められ、今も数多くの歴史遺産が残されています。

また、大和三山や周辺の風景は万葉集にもたびたび詠まれており、古代以来の精神文化と深く結びついた土地であることがうかがえます。

さらに近年、橿原市を中心に、飛鳥地域と藤原京を世界文化遺産として登録する取り組みが進められています。

「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は、2007年(平成19年)1月に日本の世界遺産暫定リストに記載され、現在は正式登録に向けた活動が続けられています。

大和三山ピラミッド説?

雑誌「ムー」などで取り上げられることのある説に、「大和三山ピラミッド説」と呼ばれるものがあります。

この説では、大和三山が整った円錐形をしており、奈良盆地の南部に独立峰として存在している点に注目しています。

さらに、畝傍山を頂点とする二等辺三角形の形状になっていると主張し、畝傍山から耳成山と天香久山を結ぶ線の中央に向けて直角に延長線を引くと、東北方向では三輪山から巻向山へ、西南方向では忌部山へと重なると説明します。

しかし、この説には科学的な根拠がありません。

橿原市の公式資料には、「香久山は浸食により多武峰山系から切り離された丘陵であり、畝傍山と耳成山は瀬戸内火山帯に属する火山である」と明記されており、地質学の観点から自然に形成された山であることがはっきりしています。

したがって、人工ピラミッド説は成立しないと言えるでしょう。

終わりに

画像 : 藤原宮の大極殿跡南側の約30,000 平方メートルに咲く約300万本のコスモス Naokijp CC BY 4.0

藤原宮跡では秋になると、一面に咲き誇るコスモスが大極殿跡を彩り、訪れる人々を迎えてくれます。

藤原京の壮大なスケールと、大和三山の美しい姿を体感できる場所ですので、季節の花々とともに、古代へ思いを馳せる時間を味わってみてはいかがでしょうか。

藤原宮跡
所在地:奈良県橿原市高殿町ほか
アクセス:
・近鉄「耳成駅」・JR「畝傍駅」・近鉄「畝傍御陵前駅」などから徒歩約30分
・近鉄「大和八木駅」から橿原市コミュニティバスで「藤原京資料室前」下車、徒歩約4分
駐車場:無料駐車場あり
見学:自由見学可能(入場無料)

文:撮影 / 草の実堂編集部

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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