平安時代

菅原孝標女はオタク女子だった?『更級日記の作者』

菅原孝標女とは

菅原孝標女はオタク女子だった?『更級日記の作者』

※千葉県市原市・五井駅に立つ孝標女の像。上京の旅へ出た13歳頃の姿だと言われている)wiki GFDL Craford

菅原孝標女(すがはらのたかすえのむすめ・1008~1059?)は、平安時代の貴族の娘で、『更級日記(さらしなにっき)』の作者であるとされている人物である。

菅原孝標(すがわらのたかすえ)の次女として生まれ、数え年13までは上総の国(現在の千葉県市原市とされている)で育ったが、父の任期が終わったことで京の都へ上京することになった。

ちなみに、“本朝三大美人”とされる『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)は彼女にとって伯母にあたる存在である。

また、菅原という姓名からもわかる通り、父方の先祖は学問の神様として有名な、菅原道真(すがわらのみちざね)であり、なかなかのエリート一族の出身であることがわかる。

更級日記』は、平成女流文学の代表作として数えられ、特に江戸時代には多くの人々に愛読されたという。

今回は、そんな『更級日記』と、作者である菅原孝標女について追っていく。

『更級日記』について

菅原孝標女はオタク女子だった?『更級日記の作者』

※藤原定家の書写

更級日記』は、孝標女(たかすえのむすめ)が上総の国から上京することになった13歳の年から52歳になるまでの、計40年間の日々が綴られた日記文学である。(※制作形態としては晩年にまとめて書いたとされる

信心深くあるのが良しとされる平安貴族の社会の中で、孝標女はあまり熱心に信仰をせず、どうしても読みたいと願っていた『源氏物語』を人から取り寄せてもらい、日がな一日読みふけっては、光源氏のような男性が迎えに来てくれるのを待っていたという。

しかし、姉や乳母の死や、父の常陸国への赴任など、彼女にとっては不幸なことが続き、また、内親王の女房として出仕した経験などを重ね、彼女の心持ちはすこしずつ変化していく。

30代で夫・橘俊通(たちばなのとしみち)と結婚し、出産や夫の病死を経て、子どもたちが巣立っていったあとの時間の中で、信仰と向き合っていく姿を回顧録のようにして描いているのが特徴である。

また、この『更級日記』は、『源氏物語』についてもっとも早い段階で言及されている書物でもあり、『源氏物語』の研究家たちにとっても貴重な資料となっている。

孝標女が生まれた頃は、平安時代貴族文化の最盛期であり、彼女が成長するとともに、平安の世の栄華が少しずつ崩れていく。

彼女はそんな、時代の激動期を生き、晩年になるにつれて、人生の寂寥を噛み締めている描写が多くなっていくのも特徴のひとつである。

菅原孝標女はオタク女子だった?

菅原孝標女はオタク女子だった?『更級日記の作者』

※『源氏物語 宇治十帖』より。孝標女は2人の貴公子の間で悩むヒロイン・浮舟に特に憧れていたという。

そんな菅原孝標女であるが、『源氏物語』に深く傾倒し、寝ても覚めても光源氏のことを考えていた少女時代を指して、「平安時代のオタク女子だったのでは?」という説が多く見受けられる。

菅原孝標女の『源氏物語』愛は、地方にいた彼女がなんとしても『源氏物語』を手に入れようと奮闘していた様子からもよくわかる。

少女時代、彼女が過ごした上総の国は、かなりの田舎であり、文化的教養的なものを手に入れることがすこぶる難しかった。

そこで彼女は、都に出仕したことがあった義母から、『源氏物語』のおおまかなあらすじを話してもらい、まだ読んだこともない物語に胸を膨らませていた。

しかし、それだけでは飽き足らず、今度は「早く都に引っ越せるように…」と、自分と同じ大きさの薬師如来を作らせ、熱心に上京できるように祈っていたのだとか。

その祈りが通じ、めでたく上京することが決まると、次に実母に頼み込んで(義理の母と実母が居るのは、平安時代の一夫多妻制が関係していると思われる。この実母はなんらかの事情で、孝標女とは離れて暮らしていたらしい)、さっそく『源氏物語』を手にいれてもらい、昼夜家に引き籠って物語を読みふけっていたようだ。

そんな孝標女の描写は活き活きとしており、『源氏物語』のみならず、物語を書くことがいかに好きなのかが伝わってくるようだ。

「この極楽には、妃の位も及ばない」

『源氏物語』より、六条御息所の生霊によって殺されてしまう儚い女性、夕顔も、孝標女の憧れの登場人物であった。

京の都で手に入れた『源氏物語』は、それでもすべてが揃うということは夢のまた夢、であった。

何しろ、当時は印刷技術がないので、誰かが朗読した原本を数人が書き写し、複製をおこなっていたため、手軽に本が手に入るような状況ではなかったのである。

断片の『源氏物語』を手に、あれこれと空想にふける日々を送っていた孝標女だが、ある時、彼女を育ててくれた乳母が流行り病にかかって死んでしまう。

その悲しみに暮れ、あれだけ夢中になっていた『源氏物語』も読めなくなってしまい、気落ちしている孝標女を見かねて、伯母が持ってきたのは、なんと源氏物語』の全巻セットであった。

この時の孝標女の喜びは、いかばかりであろうか。

『更級日記』の中で、彼女は「これまで部分的にしか読めず、じれったく思ったこともあった物語を、最初の巻から、誰にも邪魔されずに寝そべって読んでいる。この極楽に比べたら、妃になって贅沢をするなんて、大したことじゃないわ」と記している。

物語を読むことを愛するひとりの少女の、みずみずしいまでの感性が伝わってくる言葉である。

孝標女の晩年

当時としては遅いと言える、30代で結婚をした孝標女は、空想的であった少女の頃とは違い、現実世界の辛酸をそれなりに味わうことになる。

『更級日記』の中にも「結婚生活とはあまりにも期待外れのものだったわ」と書いており、『源氏物語』のヒロインたちのような数奇な運命を辿ったわけではなさそうである。

しかし、18年間の夫婦生活は突然、終わりを告げることになる。

夫の俊通が、赴任先の信濃で病没したのである。

いかに期待外れの結婚生活と言えど、長年連れ添った夫を亡くした悲しみは耐え難いものであったようで、夫の死が『更級日記』を書くきっかけになったのではないか、と後年の研究で明らかにされている。

空想が大好きで、『源氏物語』のヒロインたちに自分を重ね、胸をときめかせていた少女は、夫の死を受け、信仰深い女性へと変化していった。

きっと孝標女は、「妃の位も及ばない」ほどにきらめいていた自分の少女時代を、なつかしさと羨望を込めて、日記文学の中にしたためたのであろう。

 

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