スプリンターズステークス (3歳以上オープン 国際・指定 定量 1200m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で毎年9月末から10月頭に施行する重賞競走(GⅠ)である。
3月に中京競馬場で行なわれる高松宮記念(GⅠ)と並ぶスプリンター決定戦だ。
このスプリンターズステークスについて、創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。
スプリンターズステークスの創設
スプリンターズステークスは1967年(昭和42年)に4歳(現 3歳)以上、1200mのハンデキャップの重賞競走として創設された。
当時の競馬界は天皇賞、東京優駿(日本ダービー)など2400m以上の長距離戦が重視されていた。
古馬(4歳以上の馬)が出走できる1200mの重賞競走は、同じ1967年(昭和42年)に公営の大井競馬場で創設された東京盃(JpnII)と、このスプリンターズステークスのみだった。
第1回スプリンターズステークスの優勝馬はオンワードヒル(牡4)。1800mや2200mの中距離でも勝っているので、彼自身はスプリンターではなく融通の利く馬なのだろう。
スプリンターズステークスの変遷
1969年(昭和44年)第3回は「英国フェア開催記念(第3回スプリンターズステークス)」の名称で行なわれた。
ここからスプリンターズステークスは1980年(昭和55年)第14回まで、9月末から10月頭に開催されている。
1984年(昭和59年)(第18回)グレード制施行によりGIIIに格付けされた。3月半ばに施行され、当時5月に行なわれていた安田記念(GⅠ)(東京競馬場 芝1600m)の前哨戦に位置づけられた。
1987年(昭和62年)(第21回)GIIに昇格。
1990年(平成2年)(第24回)GIに昇格し、12月末に行なわれる有馬記念(GⅠ)(東京競馬場 芝2500m)の前の週に移動して「暮れのスプリンター決定戦」になった。
2000年(平成12年)(第34回)短距離競走体系の改善のため、高松宮記念が3月の中京開催の最終週に移設されると同時に、スプリンターズステークスもその約半年後の9月末から10月頭に再移設され、現在に至る。
1989年(平成元年)(第23回)混合競走に指定されて外国産馬が出走可能になり、1994年(平成6年)(第28回)国際競走に指定されて外国調教馬が出走可能、1995年(平成7年)(第29回)特別指定交流競走となり地方競馬所属馬が出走可能になった。
2005年(平成17年)に創設された、スプリンターの世界チャンピオンを決定するために世界の主要スプリント競走をシリーズ化したグローバル・スプリント・チャレンジに組み入れられたが、2018年(平成30年)オーストラリアと香港の間の競走馬の輸送が困難になったため休止になった。
また2016年(平成28年)にアメリカのブリーダーズカップ(BC)チャレンジ競走に指定され、優勝馬にはアメリカ競馬の祭典ブリーダーズカップワールドチャンピオンシップのうちのBCターフスプリント(GⅠ・芝約1000m)への優先出走権が与えられていたが、2019年(令和元年)から指定を外された。
【快速娘 サクライワイ】
スプリンターズステークスを連覇した馬は5頭いる。
1974年(昭和49年)第8回・1975年(昭和50年)第9回を連覇したサクライワイ(牝)が第1号である。
2400mの優駿牝馬(オークス)で大敗したことで短距離路線に変更、3歳ながら古馬を相手にして日本レコードタイム(当時)で優勝した。
最強スプリンター サクラバクシンオー
第3号はGⅠ昇格直後の1993年(平成5年)第27回・1994年(平成6年)第28回のサクラバクシンオー(牡)である。
1994年(平成6年)第28回には、初めて外国調教馬3頭が出走した。そのうち前走がアメリカのBCスプリント(GⅠ・ダート約1200m)で2着だったソビエトプロブレム(牝4 アメリカ)の評判が高かった。迎え撃つ形になったサクラバクシンオーは断然1番人気に支持されて圧勝、連覇を達成した。
現在も史上最強スプリンターとしてロードカナロア(牡)(2012年第46回・2013年第47回連覇)ではなく、サクラバクシンオーの名を上げる人は多い。
1センチの差 フラワーパーク
1996年(平成8年)第30回はGⅠ史に残る死闘だった。
フラワーパーク(牝4)は先頭を逃げるエイシンワシントン(牡5)を3コーナーから追い込み始めた。
ゴールまで残り100mになっても追いついていなかったが、捉えたところがゴール線だった。
GⅠ史上最長(当時)の12分間の写真判定の後、「ハナ差」でフラワーパークが勝った。
ハナ差(約20cm)は着差を表わす最小単位だが、フラワーパークとエイシンワシントンの実際の着差は僅か1cmだったという。
1センチの差、再び ローレルゲレイロ
2009年(平成21年)第43回、2度とないと思われた死闘が再び繰り広げられた。
ローレルゲレイロ(牡5)は4コーナーから直線に入って先頭で逃げたが、2番手集団から飛び出して追い込んできたビービーガルダン(牡5)にゴール線で捉えられた。
12分間の写真判定の結果、「ハナ差」の発表だったがこれも僅か1cm差でローレルゲレイロが粘り勝った。
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