十字軍とは
十字軍とは、主に中世ヨーロッパにおいて、キリスト教諸国が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するために派遣された遠征軍のことを言う。
当時イスラム教徒に支配されていたエルサレムを奪回しようというこの遠征は1096年に第一回遠征が行われ、その後約200年にも渡って繰り返されることになる。
途中で何度も目的が変わりながらも繰り返された十字軍遠征は、どのような成果と影響をヨーロッパとイスラム世界に及ぼしたのだろうか。
今回はそんな十字軍遠征を簡単に追っていこうと思う。
十字軍本来の目的
すでに述べたように、十字軍結成の本来の目的は聖地エルサレムの奪還だった。
始まりは11世紀、東ローマ帝国のアレクシオス1世がローマ教皇ウルバヌス2世に援軍を乞うたことに起因する。
当時、イスラム王朝のセルジューク朝が勢力を増し、東ローマ帝国を脅かす存在にまでなっていた。勢力を増すイスラム教徒の存在に困ったアレクシオス1世は、ローマ教皇に助けを求めたのだ。
そしてローマ教皇は「聖地エルサレムを奪還する」と宣言し、十字軍を結成するに至った。
第一回十字軍遠征は、1096年から1099年の間3年間に渡って行われた。第一回十字軍はフランス諸侯と神聖ローマ帝国の諸侯たちが中心となって結成された。
この第一回十字軍は多大な犠牲を払いながらも、見事エルサレムの奪還に成功する。
計9回も行われた十字軍遠征の中で、唯一「聖地奪還」という本来の意義を果たした遠征となったのである。
なぜ9回も行われたのか
見事聖地奪還を果たし後も、十字軍遠征はたびたび行われた。
聖地エルサレムを奪還した後、シリアを中心とした地域にエルサレム王国が建国され、その周辺地域には十字軍国家が建国されることになる。
そうしてしばらくはキリスト教徒とイスラム教徒が中東地域に共存する状態が続くのだが、英雄サラディンの台頭などにより再びイスラム勢力が勢いを増してくるようになるのだ。
そして勢力を強めるイスラム教徒に十字軍国家のいくつかは占領され、「聖地エルサレムにて虐げられているキリスト教徒をイスラム教徒から守る」という大義名分のもと再び十字軍が結成されることになる。そうして再び行われた第二回十字軍遠征は、あえなくイスラム勢力に敗北して終わった。
このように、イスラム教徒とキリスト教徒の争いが繰り返され、十字軍遠征は三回、四回と続いていくことになるのである。
四回目ともなるとすっかり当初の目的は失われていた。「イスラム教徒から聖地エルサレムを奪還する」という宗教的目的はとうに失われ、十字軍の目的はイスラム教徒との領地争いという国際的闘争に発展していたのである。
本当の意味で十字軍遠征が目的を果たし得たのは、最初の一回だけだったのである。
十字軍が与えた影響
十字軍遠征はその過程において多大な犠牲者と莫大な財政支出をもたらした。
そしてキリスト教徒とイスラム教徒の残虐ともいえる争いは、現代に至るまで両者の間に根深い禍根を残すことになる。
しかし、十字軍遠征が与えた影響はそれだけではなかった。度重なる支出に各地の諸侯・騎士が没落することになったのである。そして中世ヨーロッパの封建制度は次第に崩壊していき、王権が強化、中央集権化が進むのである。そして力を強める国王に対し、教皇は力を失った。
しかし、ヨーロッパ圏とイスラム圏において苛烈な戦いを繰り返したとはいえ、その影響は決してマイナスなものだけではなかった。互いの文化が交流し、そのことがお互いの商業活動に影響を与えることになる。
十字軍の影響で盛んになった東西交流は、その後のルネサンスを作り上げる下地ともなったのである。
本来の目的から大きく逸脱してしまった度重なる十字軍遠征は、中世ヨーロッパの一つの終わりと、新たな時代を迎えるきっかけの一つともなったのである。
最後に
ヨーロッパ世界とイスラム世界、双方に影響を残した十字軍は一方の目線からだけ見るのではなく、双方の目線から見ることでまた違った光景が浮かび上がってくる。
十字軍遠征はキリスト教徒にとっては聖地奪還のための聖戦だったが、イスラム教徒にとってはキリスト教徒による一方的な侵略行為であった。
また視点を変えて眺めてみるのも面白いかもしれない。
参考文献 : 十字軍:ヨーロッパとイスラム・対立の原点
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