「大井川を境として、西の遠州は貴殿が切り取られよ。東の駿州は我らが貰おう……」
盟友・今川義元(演:野村萬斎)亡き後、その家督を継いだ今川氏真(演:溝端淳平)の無能を見限った武田信玄(演:阿部寛)。
昨日は盟友とて、今日は敵なる戦国の習い。無能者と共倒れする前に、さっさと手を切って共に攻め込もうと徳川家康(演:松本潤)に持ちかけました。
果たして作戦は見事成功、それぞれ予定通りに領土を切り広げたまではいいのですが、ここで信玄の野心が暴走を始めます。
「今川滅亡の混乱に乗じて調略を仕掛け、徳川の遠州も切り崩してしまおう」
昨日の友も今日は敵。かくして信玄の毒牙は、家康に向けられたのでした。
家康、自ら出馬して秋山信友を撃退
「何、秋山伯耆が?」
家康の元に使者が舞い込み、遠州領内で武田家臣の秋山信友(あきやま のぶとも。伯耆守)らがうろつき回っているとの報告を受けます。
「どうやら今川旧臣を味方に引き込もうとしておるようですな」
さすがは信玄、いきなり力押しに攻め込めば抵抗が大きいことを知っており、最小限の犠牲で遠州を併呑するべく周到な根回しを欠かしません。
「約束が違うではないか!誰ぞ……いや、わしが出向く!」
武田の違約に対する本気の怒りを示すため、家康自ら軍勢を率いて出撃。その勢いにたじろいた秋山信友はすぐさま退却しますが、家康は執拗に追撃します。
「まだまだ……この遠州から出ていくまで、決して手を緩めるな!」
どこまでもどこまでも……ついに伊奈口から信濃国へ逃げ帰ったのを見届けてから、家康はようやく兵を引き上げました。
報せを受けた信玄、「三河の小童と思うておったが、なかなかにやるのう」と次の手を考えます。
果たして永禄12年(1569年)5月、家康が500~600ばかりの手勢を率いて国境を巡視していたところ、山縣昌景(演:橋本さとし)の大軍が現れました。
家康、危機一髪!本多忠勝たちの活躍で生き延びる
「……厄介ですな。進路を変えますか?」
「いや、ここで敵意を露わにしては後が面倒だ。向こうが手出ししてこない限り、こちらも冷静にすれ違おう」
さっそく山縣勢の横を通り過ぎようとしたところ、待ってましたとばかりに道をふさいで来ます。
「いかん。囲まれるぞ、退け!」
すぐさま踵を返した家康たち。もちろん百戦錬磨の山縣昌景が、それを逃すはずはありません。
「三河の小童を取り囲み、袋叩きにしてやれ!」
このままでは逃げ切れない……もはやこれまでかと思ったその時、本多忠勝(演:山田裕貴。平八郎)が再び踵を返します。
「御屋形様の下知だから大人しく逃げりゃあ調子に乗りやがって……竹(武田)だかヤマカガシ(山縣)だか知らねぇが、三河武士をナメるんじゃねぇ!」
活路は常に前へこそ開けるもの。もう逃げるのにうんざりした忠勝は、逆ギレしながら山縣の大軍へ突入。四方八方へ槍を奮い、迫り来る敵を滅多討ち。
「平八郎、無茶をするな!」
「者ども、平八郎を討たせるな!」
続いて榊原康政(演:杉野遥亮。小平太)と大須賀康高(おおすが やすたか。五郎左衛門)たちも踵を返して忠勝を援護。まさに三河武士団が一丸となり、死に物狂いの大立ち回りでした。
「ふん、窮鼠猫を嚙むとはよう言ったもの……これ以上の無理攻めは犠牲も大きい。おい三河の小童、勝負は預けてやろう!」
かくして山縣昌景は兵をまとめ、駿河へ引き上げて行ったということです。
終わりに
……信玄入道は駿府に攻入らんにハ。後を心安くせずしてはかなふべからずと思ひ。 まづ当家に使進らせ。大井川を限り遠州ハ御心の儘に切おさめ給ふべし。駿州は入道が意にまかせ給はるべしといはせければ。 君もその迄にまかせたまひ。さらば遠江の国を切したがへたまはむとて岡崎を御出馬あり。菅沼新八郎定盈がはからひにて。井伊谷の城はやく御手に属し。同国の士ども多くしたがひしに。信玄入道家士秋山伯耆守信友見付の宿に陣し。当国のもの共を武田が方へ引付んとはかるよし聞召。かくてハそのはじめ入道が詞たがひたり。はやく其所を退かずば御みづから伐て出で誅せらるべしとありて。はや御人数も走りかゝる様をみて。信友かなはじと思い信濃の伊奈口に迯こみたり。(信玄陽には当家に和して。大井川を限り遠州をば御心にまかせたまへと言ながら。陰には 当家を侵し遠州をも併呑せむ爲。信友遠州へ出張して遠州の人数をつのり国士をまねきしなり。この後山縣昌景をして御勢を侵さしめしも。みな爲謀のいたすところなり。)……
【中略】
……兼て信玄入道盟約のことなれば。この五月御領境を御巡視あるべしとて。五六百人の少勢にて御出馬ありしをみて。入道が家士山縣三郎兵衛昌景といへるもの行すぎがてに御供人といさかひし出し。それをたよりに御道をさへぎり留むとす。御勢いかにもすくなきが故いそぎ引退かんとしたまふ。山縣勝に乗じ是を追討せんとひしめく所に。御供の中より本多平八郎忠勝一番に小返しゝて。追くる敵を突くづす。榊原小平太康政。大須賀五郎左衛門康高等追々に返し来りて突戦すれば。山縣も終に勝がたくやおもひけむ。早々駿州へ迯入りたり……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」「信玄背約」
以上、武田信玄の裏切りと窮地を脱した家康のエピソードを紹介してきました。家康を殺し損ねた信玄は、今回の責任を山縣昌景にかぶせて蟄居させますが、かえって悪評を高めてしまいました。
……(これ入道兵略軍謀古今に卓絶し。世の兵家師表と仰ぐ所といへども。その實は父を追て家をうばひ姪を倒し国をかすむ。天倫たへ人道既に失へり。隣国の盟誓をそむく如きはあやしむにたらず。)世にも是を聞て入道が詐謀を誹りしかば。入道やむ事を得ず罪を山縣に帰して蟄居せしむといへども。天下みな入道が姦をそしらざる者なし……
【意訳】信玄は天下の名将として尊敬されているが、その実態は父(武田信虎)を追放して家督を奪い、国を掠め盗った人でなしである。かつての盟友であった今川を滅ぼしても不思議ではなかろう……(以下略)
※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」「信玄背約」
これに対して家康は、今川家の恩義を忘れず氏真を駿府に戻そうと努力した(ものの、武田の襲来につき頓挫する)エピソードが続きます。
さすが我らが神君・東証大権現(家康)様……しかしだったら最初から武田に誘われた時点で今川に義理立て(拒否)しなさいよ……と思ってしまうのは、きっと筆者だけではないはずです。
信玄も家康も、そうしなければ生き残れなかった厳しい戦乱の世。どっちが善い悪いと断じるのはナンセンス。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」ではこの場面をどう描くのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
- 経済雑誌社『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
- 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月
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