戦国時代は、現代のように医師による死亡診断などは当然確立しておらず、死因が不確かな事例が少なくありませんでした。
加えて暗殺がはびこり、戦以外でも死の危険とは隣り合わせだったでしょう。
今回は、戦国時代における「毒殺」に焦点を当ててみましょう。
毒殺された噂のある人物たち
戦国時代は死因不明の人物が多く、毒殺に関しても文献に残されていないものも考慮すれば、数え切れないほどあったでしょう。
今回は、毒殺の噂が絶えない武将たちに焦点を当てていきます。
・蒲生氏郷: 伊達政宗、または本来は味方であるべき石田三成や豊臣秀吉による毒殺説
・加藤清正と浅野幸長: 政敵である徳川家康による毒殺説
・甲斐親直(甲斐宗運): 孫娘による毒殺説
・那須高資: 家臣の千本資俊による毒殺説
・足利義栄: 家臣の松永久秀による毒殺説
・足利義植: 伯母の日野富子による毒殺説
・長倉義興: 主君である佐竹義宣による毒殺説
・伊達政宗: 母親による毒殺未遂(死亡はしていない)
今回はこの中でも特に有名な、蒲生氏郷、加藤清正、浅野幸長、甲斐親直の毒殺説に焦点を当ててみましょう。
蒲生氏郷の毒殺説
蒲生氏郷(がもう うじさと)の毒殺説は2つあります。
一つは政敵の伊達政宗によるもので、もう一つは味方である石田三成や豊臣秀吉に毒殺されたというものです。
氏郷は非常に有能な武将で、信長や秀吉からも一目置かれる存在でしたが、1592年の朝鮮出兵前に体調を崩し、1595年に40歳で病没しています。この死亡に関して、『氏郷記』や『石田軍記』、『蒲生盛衰記』といった史料には秀吉や三成による毒殺の記述があります。
しかしこれらは二次史料であり、信憑性は薄いとされています。
秀吉が派遣した医師の曲直瀬玄朔は、死因を『医学天正記』で公表しており、それによれば直腸癌や肝臓癌、または肝硬変などの病気であったとされています。
また、秀吉はあらゆる手段を講じて氏郷が死なないように努めていました。したがって三成や秀吉による毒殺説は事実ではないでしょう。
一方、伊達政宗による毒殺説は、氏郷が葛西・大崎一揆の鎮圧に動いた際に政宗と会合しており、そのタイミングで毒を盛られた可能性があるとされています。
政宗には過去にも、清十郎という16歳の少年を氏郷の家臣の元に小姓として送り込み、氏郷を暗殺させようとしたという逸話があります。
加藤清正、浅野幸長の毒殺説
次は、加藤清正、浅野幸長が、政敵の徳川家康に毒殺されたという説を詳しく探ってみましょう。
この毒殺説は、徳川光圀に仕えていた佐々木助三郎が『大日本史』の編纂中に発見した史料『十竹斎筆記』に基づいています。
加藤清正は、豊臣秀頼に随行して上洛した1611年に、同席していた浅野幸長と共に毒を盛られたという説です。
事実、清正は1611年に亡くなり、幸長も2年後に死亡しています。 この毒殺説は死亡時期の近さから多くの人々に信じられ、大河ドラマなどでも毒殺シーンが描かれるほどでした。
しかし、家康の孫である松平忠明が記した『当代記』にはそれを否定する説が記されています。
それは「加藤清正や浅野幸長など、朝鮮出兵に参加した一部の武将は、女遊びなどで遊女を囲んでおり、そこで梅毒に感染した」というものです。
毒は毒でも、梅毒だったというわけです。
清正の死因は他にもハンセン病などさまざまな説があります。
甲斐親直(甲斐宗運)の毒殺説
甲斐親直(かい ちかなお)は、九州で非常に有名な武将で、出家後は宗運と名乗り、生涯60戦無敗の軍師として有名です。
享年75という長寿な生涯を送った親直の毒殺説は驚くべきものです。なんと、孫娘に毒殺されたというのです。
甲斐親直は阿蘇氏への忠節を貫き通した武将で、その忠義心があまりにも強かったため、裏切り者を徹底的に粛清していました。
この粛正の対象には自らの血縁も含まれており、なんと二男・三男・四男を追放または誅殺しています。
その厳しい姿勢が原因で、嫡男である甲斐親英(かい ちかひで)が親直暗殺計画をたてましたが、この計画は露呈。
結果、甲斐親直は嫡男である親英までも誅殺しようとしました。家臣達の嘆願により思いとどまったものの、この行動によって親英や彼の妻は、将来的な危険を感じるようになります。
毒殺を孫娘に命じた理由は、油断が生じやすいという利点と、親英の妻も父を宗運に殺されており、その際に「決して宗運に復讐を企てない」と親英同様に誓約させられていたためとされています。
本当に毒殺だったのか、あるいは病気で亡くなったのかは不明です。文献が乏しく、甲斐親直が高齢だったこともあり、意見が分かれているのが実情です。
おわりに
それぞれの死因に関する真相は曖昧であり、正確な情報や文献が限られているため、謎めいた要素は多く残っています。
当時の情勢も複雑であり解釈の幅は広がるばかりですが、いつ暗殺されるかわからない状況下で、戦国武将たちは力強く生きていたのです。
参考 :『当代記』他
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