戦国時代

戦国時代のタブー、ゲン担ぎとは 「出陣前に女性に触れてはならない!」

戦国時代のタブー、ゲン担ぎとは

戦国時代は、現代以上に「験担ぎ」や「占い」が盛んでした。

少しの判断ミスによって敗北したり死に直結する状況で、戦国武将たちは勝利を祈るために「験担ぎ」や「占い」を頻繁に行っていたのです。

今回は、そんな戦国時代の「験担ぎ」や「占い」について掘り下げていきます。

三献の儀式

戦国時代のタブー、ゲン担ぎとは

画像 : 固めの儀式 publicdomain

現代でも広く知られる風習の一つに、「三三九度」と呼ばれるものがあります。

これは、主に和風の結婚式で見られる光景であり、新郎新婦が盃を交わす儀式です。 この「三三九度」には別名があり、「三献の儀(さんこんのぎ)」とも呼ばれます。

この儀式は、室町時代からある有名な験担ぎの一つでした。
現在では結婚式で行われますが、かつては験担ぎが必要な場面で行われた儀式であり、武士の出陣や式典、宴席などでも重宝されました。 実際、そのやり方については室町幕府幕臣・小笠原尚清が著した『随兵之次第事』に詳細な記載があります。

儀式の手順をざっくり説明すると、まず「打鮑」、次に「勝栗」、最後に「昆布」の順に3種類の食べ物を食べ、それぞれを食べた後に3回ずつ合計9回酒を飲むというものです。これが「三三九度」に繋がります。

この順番にも意味があります。
最初の「打鮑」は「打つ」、次の「勝栗」は「勝つ」、最後の「昆布」は「よろこぶ」という意味で、全部を繋げると「打って勝ってよろこぶ」となり、語呂合わせになります。 これは、命をかけた場所に向かう前の心構えを示すものであり、その本気度が伝わってきます。

なお、「甲陽軍艦」では食べる順番が異なり、「勝栗」から始まり、「打鮑」、最後に「昆布」となります。 その意味は「勝て討て悦ぶ」というものです。 こうした風習や手順は、地方によって異なるようです。

連歌(出陣連歌)

戦国時代のタブー、ゲン担ぎとは

画像 : 盛衰記連歌之図 publicdomain

戦国時代の験担ぎの一環として、「連歌」も挙げられます。

連歌とは、5・7・5の発句と7・7の脇句の長短句を交互に複数の人がつなげ、一つの歌に仕立てる伝統的な詩形です。 この形式は奈良時代に発生し、平安時代には短い連歌が流行し、室町時代には複数の人が関わる連歌が広まりました。

戦国時代になると、合戦へ向かう際の験担ぎとして、神社に連歌を奉納する「連歌会」と呼ばれる行事が行われました。
出陣に際して連歌を詠んで奉納すると勝利に繋がる」という験担ぎや信仰があり、武士たちの間で浸透したのです。

明智光秀が本能寺の変を起こす前にも、愛宕山で「連歌会」が行われ、この時の連歌は「愛宕百韻」として知られることとなりました。

しかし「連歌」は非常に難しく、高度なセンスや技法が求められました。 そのため当時はプロの連歌師が存在し、一部の者はこれで利益を得たり、スパイ活動にも従事しました。

北はNG

画像 : 方位磁石 イメージ

戦国時代においては、「北方」を忌み嫌う風習が存在しました。

これにはいくつかの理由がありますが、その代表的なものは以下の4つです。

① 「北枕」という風習があり、死者の頭を北に向けることが避けられた。これは死を連想させるとされた。
② 「敗北」という言葉には北が含まれており、北方と敗北を結びつける意味合いがあった。
③ 漢字の構造から、人同士が背を向けている状態を示しており、逃げることを連想させた。
④ 北には「にげる」という読み方があり、北方を逃避や不吉な方角とみなす傾向があった。

このような考え方から、戦国時代の武士たちの間には次のようなルールが広まりました。

① 甲冑を北に向けて置かない。
② 馬から降りる際には、北の方角を向いて降りないようにする。

このような験担ぎは、武士の生活のあちこちに存在していました。彼らがどれだけ運気を得ようとしていたのかがよくわかります。

女性はNG

戦国時代には「戦場に赴く前に3日間身を清める」という風習がありました。

しかし、この儀式の間は「女性」に触れることは許されていませんでした。

軍陣における心得を説いた兵法書『兵将陣訓要略鈔』には、「女性は血を連想させるので縁起が悪い」といった理由が記されています。
当時、女性は生理や出産などが血を伴うとして、不浄な扱いをされることがありました。 このため、出陣の日が近づくと、武士たちは女性と添い寝することさえも禁じられていました。

この風習は現代では理解しがたいものですが、当時の武士にとっては勝利を収めるために必要不可欠なものと信じられていたのです。

弓・馬・魚・旗棹・鳥・犬

戦国時代では「あらゆる出来事が吉凶を左右する」と信じられていました。

これはまさに「占い」のようなもので、数多くの事例が存在しましたが、その中からいくつかを抜粋すると以下のようなものがあります。

・出陣時に弓が折れた場合、握り部分より上は吉であり、下は凶。
・乗る前に馬が鳴けば吉であり、乗った後に鳴いた場合は凶。
・大将が乗る船に魚が飛び込んできたら吉(凶はなし)。
・旗棹が持ち手より上で折れた場合は吉であり、下で折れた場合は凶。
・出陣時に鳥が自陣から敵陣に向かう場合は吉であり、逆の場合は凶。
・出陣時に犬が隊列を左から横切る場合は吉であり、右から横切る場合は凶。

現代の私たちからすると一見ばかばかしいようなものも多いですが、科学が発展していなかった当時の人たちは、私たちとは比べ物にならないほどの不安定な現実の中、感覚を研ぎ澄まして生きていたのでしょう。

こうした「験担ぎ」や「占い」は、当時ほどではないですが今も多くの人が行っています。

どんなに科学が発展しても「偶然」や「運命」に関しては今後も謎のままなのでしょう。

参考 : 『甲陽軍艦』『兵将陣訓要略鈔』『応仁記』他

 

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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