石川啄木といえば、貧しさや家族愛の歌を多く残した天才詩人です。
100年以上前の作品ですが、今なお共感し現代に通じるものが多くあります。
しかしその詩の中に描かれた青年像とは違い、実際の彼の性格や生活態度はかなり破滅的だったようです。
今回はそんな啄木の素顔について、歌と対比させながら見ていきましょう。
石川啄木の生い立ち
石川啄木は1886年、岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に生まれました。
本名は石川一(はじめ)。
中学生の時に「明星」を読んで与謝野晶子らの短歌に感銘を受けて、文学で身を立てようと上京します。
20歳の時には「あこがれ」を出版し、天才詩人と評判されるようになり、その後も創作活動に没頭しました。
両親と妻子を養う困窮した生活の中で職を転々としつつ、処女歌集「一握の砂」を刊行しますが、その2年後、肺結核を患い26歳という短い生涯に幕を閉じました。
母を背負ったのは嘘?ワガママ坊ちゃんの素顔
「たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず」
これは「ふざけて母を背負ってみたら、あまりにも軽く母親が年を取ったことを実感し、涙がこぼれて、3歩も歩けなかった」という意味の詩です。
たったこの一文から、お母さん思いの素敵な青年の気持ちが感じ取れます。
しかし実際の啄木は、母親に対してかなり横暴だったようです。
啄木は母親にまんじゅうを食べたいと言って作らせましたが、出来上がった時には「待っている間に食欲が失せた!」と、母親にまんじゅうを叩きつけた、という驚愕のエピソードがあります。
普通なら𠮟るべきところですが、啄木は唯一の男の子だったため両親から相当甘やかされて育ち、お母さんも怒ることはありませんでした。
啄木がいろりの火をかき回したことで妹に火傷を負わせてしまったことがありますが、そのときも母親は啄木の方を心配して、妹を𠮟りつけたそうです。
また、父親も啄木にはかなり甘かったようで、家具のひとつひとつに「石川一所有」と書きつけていたほど。
そんな啄木が書いた母に関する短歌について、妹は「あのワガママな兄が母を背負うなんて絶対にありえません!あれは嘘です」と語っているそうです。
両親から溺愛を受けて育った啄木は、相当なワガママ坊ちゃんだったようです。
学校さぼり、カンニング、中退…爽やかな詩とは裏腹の学校生活
「不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸はれし 十五の心」
これは「不来方城(盛岡城)の城跡の草に寝転んで、空を眺めていたら、心が空に吸い込まれそうだと思った15歳の心よ」という意味です。
少年の心を爽やかに読んで、物思いに耽る様子が感じられる素敵な詩です。
しかし歌集の一つ前の詩を読んでみると、違った意味を感じられます。
「教室の窓よりにげて ただひとり かの城あとに寝にいきしかな」
これは「退屈な授業から抜け出して、自分はひとりで、(大きな戦いの要となる場所であった)城址に昼寝をしに行った」
という意味です。
つまりあの爽やかな詩は、学校を抜けだして授業をさぼっているときに書かれた歌なのです。
啄木の青春時代の素行の悪さは、これだけでは収まりません。
啄木は16歳のとき、奨学生の友人にカンニングに協力するよう強要しました。
ところがそれがバレてしまい、友人は奨学金の資格をはく奪されるという、信じられない大事件を起こしています。
一方で、啄木自身は欠席の多さや成績の悪さが重なり退学勧告を受け、落第する前に自ら中退しています。
子どもの頃から相当な破天荒だったことがわかります。
夫婦仲睦まじくは幻想?女癖が非常に悪かった啄木
「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」
これは「友達がみな、自分より優れ立派だなあと思う日もある。そんな日には花を買って帰り、妻と親しく語らうのだ」という意味です。
例え出世が出来なくでも、夫婦仲睦まじくささやかな幸せを噛みしめる…そんな妻思いの素敵な夫の姿が目に浮かびます。
しかし実際の啄木は非常に女癖が悪く、妻子がありながら他の女性にちょっかいを出しまくっていたことで有名です。
全国から短歌の添削が来て返事を書いていましたが、相手が美しい女性だとわかると添削が一転、恋文に。
「こんなにも君のことを恋しく思うのに、どうして会って語り合うことができないのか」といった内容の返事を出していたようです。
ちなみに啄木は平山良太郎という男性が「平山良子」と名前を偽って出した手紙にまんまと騙されて、熱烈な返事を送っていたことがあります。
このほかにも借金をして売春宿に通ったり、複数の芸者と交際したり…と女性関係はかなりだらしない性格だったようです。
終わりに
啄木はどうしようもない性格だったようですが、逆にその内面から生み出された短歌は素晴らしいものでした。
その矛盾が彼の文学的才能に奥深さを与え、今でも多くの人たちに共感され、大きな影響を与え続けているのかもしれません。
参考 :
「一握の砂」著:石川啄木
日本文学のススメ 著:関根尚
よちより文藝部 著:久世番子
石川啄木(いしかわたくぼく) |盛岡市公式ホームページ
この記事へのコメントはありません。