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1970年代、コンピュータと人々の距離
1970年代、パソコンの画面に表示されるのは、このような不思議な記号だけでした。
「RUN」「LOAD」「LIST」―。
まるで暗号のような命令をひとつずつ覚え、正確に入力しなければ、機械は動いてくれません。当時のパソコンは、まさに「コンピュータの専門家」だけのものでした。
しかし、この「当たり前」を覆す一人の若者がいました。
「なぜ、もっと直感的に使えないんだろう?」
書道を愛し、禅の教えに心酔した、一風変わった大学中退者であり、コンピュータ以外の分野にも造詣が深かった人物が、やがて世界を大きく変えることになるのです。
リード大学での「無駄」な学び
スティーブ・ジョブズは、高額な学費を払って通っていたリード大学をわずか1学期で中退しました。
それでも、正規の学生ではなくなった後も、興味のある講義に自由に参加し続けました。
当時は無駄に思えた大学での学びが、後にイノベーションの種となったかもしれません。
特に彼が熱中したのが「カリグラフィー(西洋書道)」の授業でした。
「将来の役に立つとは思えなかった」とジョブズ自身が語るように、実用的な価値がないように思われました。
しかし、マッキントッシュ(マック)の開発において、カリグラフィーで培った感覚が、革新的なアイデアの源泉となったのです。
東洋との出会い ~ カリグラフィーからデジタル表現へ
大学を去った後、ジョブズはインドへ旅立ちます。
そこで彼は、東洋思想や仏教に深く触れることになりました。
とくに禅の思想は、美意識や製品設計の哲学に大きな影響を与えました。
製品に対する「シンプルさ」への追求は、この時期の経験にあると言えるでしょう。
さらにリード大学で学んだカリグラフィーの経験は、多様なフォントの実装というアイデアにつながりました。
当時のパソコンは画一的な文字表示しかできませんでしたが、ジョブズは美しいタイポグラフィーの重要性を理解していました。
「もし大学でカリグラフィーを学んでいなかったら、マックに美しいフォントは搭載されていなかっただろう」。
スタンフォード大学の卒業式スピーチで、ジョブスはそう語っています。
シリコンバレーの文脈 ~技術至上主義との違い
1970-80年代のシリコンバレーでは、技術革新とともに、コンピュータをより使いやすくする試みも始まっていました。
たとえば、ゼロックスのPARC(パロアルト研究所)では、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)の開発を通じて、誰もが使えるコンピュータの実現を目指していました。
このような時代に、ジョブズは「技術と人文知の融合」というアプローチを商業的に成功させます。
多くの企業が性能向上や機能追加に注力する中、ジョブズは「使う人の体験」を最優先にしました。
「人々がどう感じるか」「どんな体験ができるか」を製品開発の中心に据えたのです。
マッキントッシュに美しいフォントを実装したのは、単なる文字入力機能を超えて「文字を書く喜び」という体験を提供するためでした。
フォントの実装には、大学でカリグラフィーを学んだ経験が活かされています。
また製品デザインにおいても、単なる機能の集合ではなく、使う人の感性に訴えかける美意識を追求しました。
ジョブズの革新性は「機能を作る」から「体験を作る」への転換を、大きなビジネスとして成功させたことにあります。
彼の多様な経験や出会い(芸術、デザイン、東洋思想など)が、Apple独自のアプローチを形作ったのです。
教養の「総合」がイノベーションを生む
ジョブズの事例は、イノベーションにおける「文系」の重要性を示しています。
単なる「教養」としてではなく、異なる分野の教養を結び付け、新しい価値を生み出す力となったのです。
現代のビジネスリーダーにとって、教養はさらに重要性を増しているかもしれません。
生成AIなど技術の進歩が加速する中で、真のイノベーションは「技術と人文知の融合」から生まれる可能性が高いからです。
「点と点を結びつける」。
ジョブズが好んで使った表現です。
異なる分野の教養や経験は、それぞれが独立した「点」のように見えるかもしれません。
しかし異なるジャンルの教養を結ぶ付けることで、誰も想像しなかった化学反応がー。
ジョブスの生涯こそ、まさにその証明と言えるでしょう。
宗教、カリグラフィー、禅思想など、一見すると無関係に見える教養。
しかし、これらの融合が人間とコンピュータとの関係性を改め、そして世界の在り方まで変えてしまったのです。
参考文献:ゆげ塾(2018)『組織で悩むアナタのための世界史:なぜ、指揮官は馬に乗るのか?』星海社
文 / 村上俊樹
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