はじめに
2023年4月5日にアメリカで公開され、現在日本でも大人気公開中の「スーパーマリオブラザーズ・ムービー」は現時点で全世界興行収入1600億円を突破し、その人気は止まることを知らない勢いです。
「テレビゲームをプレイしたことがある人なら知らない人はいない」と言われるこのマリオ。
もともとは名も無き配管工のおじさんキャラだったのですが、任天堂とちょっとした関係のある人物から名付けられ、誕生したという経緯があります。
今回はそんな「ミスター・ビデオゲーム」誕生について調べてみました。
スーパーマリオとは?
もはや説明不要と思うのですが、一応説明させていただきます。
Mの文字がついた帽子と赤と青のオーバーオールを着用し、ユニークな口ひげを蓄えた我らがスーパーヒーロー。それが「マリオ」です。
イタリア系アメリカ人であり、本名は不明(マリオ・マリオとも)。年齢は26歳前後であり、弟のルイージと共にニューヨーク州のブルックリンに配管工として生活しています。
好きな食べ物は「スパゲッティ」で嫌いな食べ物は「毒キノコ」。身長体重ははっきりとわかっていないのですが、運動神経は抜群で得意のジャンプで様々な障壁を乗り越えます。
困ったときに発する「mamma mia(マンマミーア、「なんてことだ」の意)」が口癖。
ちなみに彼を主役にした作品の累計販売本数は全世界で4億1300万本以上となっており、過去数十年間のゲーム産業でこの記録を上回るものは存在していません。
登場までの経緯
さて、今でこそ知らない人はいないと呼ばれるマリオですが、初デビューまでには前途多難ないきさつがありました。
1980年当時、開発元である任天堂の米国法人NOA(Nintendo of Americaの略)はアーケードゲーム機の展開に失敗し、余った基盤を流用すべくアメリカの人気キャラクター「ポパイ」のゲームを作ろうとしますが、版権問題により開発は難航します。
NOAより助けを求められた任天堂本社は事態を打開すべく、開発部長であった横井軍平氏は、僅か入社数年の若者であった宮本茂氏をディレクターに抜粋し、新作ゲームの開発に当たらせます。
宮本氏はキャラクターを全て描き直した上でプログラミング以外の作業をほぼ1人で担当し、僅か4〜5カ月にてゲームを完成させます。そのゲームが「ドンキーコング」でした。
ドンキーコングは宮本氏のアイデアもあり、世界的に大ヒットするのですが、プレイヤーが操作するコミカルなヒゲの男性は、まだこの時は名前もない一つのキャラクターに過ぎなかったのです。
マリオ誕生
ドンキーコングに登場したヒゲの主人公は当初「ジャンプマン」や「救助マン」「ミスター・ビデオゲーム」といった通称で呼ばれていました。
また何故このようなキャラクターにした理由について宮本茂氏は
16×16という制約のある少ないドット数で少しでも特徴的にしたかったので、ヒゲや髪の毛の代わりに帽子を付けてみた。
筋骨隆々のキャラではなく、誰にでも親しみが湧くキャラクターにしたかった。
等の理由を挙げています。
さて、そんな宮本氏によって誕生したマリオですが、ちょっとしたことで名前が付けられることになります。
1980年当時、任天堂の米国法人NOAは現在ほど大きな会社ではなく、当初はワシントン州のシアトル郊外にある貸倉庫を本社にする小さな会社でした。
またドンキーコングがヒットするまで、NOAは資金のやり繰りに苦戦しており、貸倉庫の賃料も滞納するほどだったと言われています。
そんなNOAに激怒した貸倉庫のオーナーというのが、なんと「マリオ」という人物だったのです。
このマリオ氏があまりにも印象的な人物であったらしく、NOAの主要メンバーは1982年に発売した「ドンキーコングジュニア」にて、この名も無いヒゲのキャラクターを正式に「マリオ」を名付けます。
ここに我らがマリオは誕生した訳なのですが、このモデルとなったマリオ氏はいったいどのような人物だったのでしょうか?
マリオのモデルとは?
マリオのモデルとなった実際の人物についてご紹介します。
本名は「マリオ・セガール」と言い、イタリア系アメリカ人です。彼は1950年代からアメリカワシントン州シアトル一帯で様々な土地プロジェクトを行う不動産開発事業者だったのです。
彼はシアトル郊外で貸倉庫業も営んでいたのですが、1981年にニューヨークから本社を移設してきた任天堂NOAが彼の倉庫を本社として借り受けます。
しかし、任天堂NOAはアーケードゲームの事業展開に失敗。本社である貸倉庫の賃料を滞納し始めます。
大家であったマリオ氏はNOAに怒鳴り込むのですが、NOAの社長であった荒川實(あらかわみのる)氏が直々に支払いの約束をしたため、マリオ氏はしぶしぶその場を立ち去ります。
この時、荒川氏は秘書を雇うことも出来なかったので妻を代わりに秘書としていたほどNOAの財政は切り詰めていたようですが、ドンキーコングの大ヒットによりNOAは財政を建て直すことに成功。
また、このドンキーコングのプレイヤーキャラのヒゲ親父がマリオ氏とそっくりであったため、以後NOAの中でその名前が浸透し、宮本氏もこの名前を気に入ったため正式に「マリオ」という名前に決まったと言います。
セガール氏はこのことについてほとんど話さなかったらしいのですが、その後シアトル・タイムズ紙がおこなったインタビューで事実を認め、冗談交じりで以下のように答えています。
「いまだに私宛に任天堂から印税の小切手が届くのを待っているとも言えるね」
「マリオ」が世界的スターになった後も、マリオ・セガール氏は不動産事業にて活躍をしますが2018年に84歳でこの世を去っています。
おわりに
マリオの名前が正式に定着すると1983年に「マリオブラザーズ」が発売され、国内の売上だけで約163万本を達成。
さらに2年後に発売された「スーパーマリオブラザーズ」は社会現象を巻き起こし、全世界で約4024万本のメガヒットを叩き出します。
全世界に周知されたマリオの人気は凄まじく、1990年にはアメリカの子供たちを対象にしたアンケート調査でミッキーマウスを上回る票を獲得し、その人気をアメリカにおいても不動のものとします。
ニューヨークタイムズの社説によると
「宮本が約30年前に生み出した口髭を生やしたイタリア人配管工であるマリオはいくつかの調査によればこの星で最もよく認知された架空のキャラクターだ。匹敵するのはミッキーマウスだけだ」
と言われています。
マリオという世界的に有名なIP(知的財産)を掲げる任天堂はゲーム以外での使用に消極的でしたが、近年では方針を転換し積極的に活用するようになっています。今話題の映画化に関しても、宮本茂氏は7年間近くも製作に期間を設けており、その慎重さが伺い知れます。
今後もますます活躍が予想されるマリオに皆さん是非期待しましょう!
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