民間陰陽師
道満は播磨の出身ということもあり、その信用度も高かったが、その他の民間陰陽師が簡単に生きてゆける時代ではなかった。
そのため、中には詐欺まがいの陰陽師まで現われている。商家を相手に占いを行う必要もなく、もっぱら悪霊払いのような仕事しかないため、「この家の周りにはただならぬ妖気が蠢いております。すぐにお祓いをしなければなりません」などと脅して金を得る。
今で言う新興宗教みたいなものだ。
『今昔物語』にも民間陰陽師の話がある。
陰陽師を名乗る男が商家で「間もなくここに鬼がやってくる」といい、祈祷を始めた。その夜、門から入ってくる男を見て陰陽師が「あの男は人間の姿をした鬼だ」と言った瞬間、その家の息子が侵入者を矢で射たのである。
いきなり矢を射掛けられた男は慌てて逃げたが、何よりもその陰陽師が唖然としていたという。
男と陰陽師が共犯者であったのか、偶然で男がやってきたのかは不明だが、このような話がまかり通っていた時代である。
そのような中で、非官人の陰陽師として名を上げた道満の力は本物であった。
安倍清明との対決
※安倍清明
さて、蘆屋道満と安倍清明の対決にまつわる話はいくつかある。
有名なのは、
上京した道満が内裏で術を競い、負けたほうが弟子になるという勝負を持ちかけた。帝は大柑子(みかん)を15個入れた長持を占術当事者である両名には見せずに持ち出させ「中に何が入っているかを占え」とのお題を与える。道満はすぐさま「大柑子が15」と答えたが、晴明は加持の上冷静に「鼠が15匹」と答えた。あまりにとっぴな答えに大臣・公卿らが落胆しながら長持を開けてみると、晴明が式神を駆使して鼠に変えてしまっており、中からは鼠が15匹出てきて四方八方に走り回った。この後、約束通り道満は晴明の弟子となった
と言われているという。
いかにも、若い道満が血気盛んに清明に挑み、老獪な清明が一本取ったという感じが良く出ている話だ。
しかし、一番有名なのは藤原顕光に呪詛を依頼された蘆谷道満が、安倍晴明にこれを見破られたために播磨に流されたという話である。一説には、播磨から京へ向かう途中で道満は己の使鬼(使い魔)を井戸に封じてから京に入ったため、清明との呪術合戦に敗れたとも言われている。
最後に
陰陽師という職が宮中から消えた後も、その教えは民間信仰となって現在まで残っている。
例えば、清明が術の際に用いたとされる「五芒星」と道満の「六芒星」。五芒星と、縦4列横5列の格子状の印はセーマンドーマンと呼ばれ、お守りとされている。
※セーマンドーマン
なお、この格子状の印は陰陽道で「九字を切る」術の手の動きを表しており、セーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満の名に由来するともいわれる。
稀代の陰陽術師・安倍清明のライバルは1000年後の現代でもその足跡をしっかりと残していた。
※安倍清明については
を参照
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少し蘆屋道満のことについてわかったような気がします。ありがとうございました。