はじめに
「曽我兄弟の仇討ち」はかつては多くの日本人から支持された「日本三大仇討ち」の一つであり、近年では2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」などで取り上げられ、再び世間から脚光を浴びた物語です。
しかし、さっそくで申し訳ないのですが、恥ずかしながらこの記事を書いているfigaroは「日本三大仇討ち」に関しては全くの無知であり、「曽我兄弟」でさえ全く聞き覚えがありませんでした…(汗)
そんな「鎌倉時代」に疎い私でさえ、スラスラと曽我兄弟と鎌倉時代の出来事に見事に誘(いざな)ってもらうことが出来た良書が今回紹介させて頂く「曽我兄弟より熱を込めて」になります。
この本は曽我兄弟の仇討ちに至るまでの過程と鎌倉幕府内の複雑な背景を著者である坂口螢火(さかぐちけいか)氏が現代人にも解るよう、つぶさに読み解かれており、時には砕けた表現を作中にも取り入れてあるため、歴史と鎌倉時代に興味がない人でも、難なく読み進めることが出来ます。
坂口螢火氏が綴る曽我兄弟の躍動感溢れる熱き物語に関して今回はご紹介していこうと思います。
曽我兄弟の仇討ちとは
一応知らない人のために説明させていただくのですが「曽我兄弟の仇討ち」「日本三大仇討ち」に関してはこちらに詳細があるので、簡単に説明させていただきます。
父の仇である工藤祐経を討つべく子息である曽我兄弟が18年の歳月をかけて、工藤祐経を討ち果たすまでの物語である。鎌倉幕府成立時に実際に起きた事件であり、事件の背景には曽我兄弟の私怨だけでなく、幕府内の複雑な政治的対立なども関わっているとされている。
これだけだと、「まぁ歴史的によくある政権樹立時のゴタゴタか..。」ぐらいなのですが、本書は曽我兄弟の二人を魅力的な人物として書いているので、そういったものをあまり感じさせないようになっており、二人に感情移入して読み進めることが出来ます。
曽我兄弟の悲惨なほどの境遇
「二人に感情移入できる」と書いておきながらなんなんですが、この兄弟生い立ちが余りにも悲惨というか気の毒というか…(泣)
もともとは二人は伊豆の有力豪族である伊藤祐親の孫なんですが、この祐親と源頼朝がなかなか因縁めいた関係であり、これが結果的に曽我兄弟を不幸に追いやることになります。
その上、父親の河津三郎は殺され、頼朝が武士のトップに立ってしまったものだから、曽我兄弟は完全に時代に見放されてしまい、兄弟二人は曽我の家の「もらわれっ子」となって家禄もろくにない貧乏武士に成り下がる…。
「この兄弟は呪われてるんじゃないか?」と思うくらい悲惨な幼少期を送るのですが、この本では二人の幼少期を過酷に書きながらも、読み手側に悲壮感を抱かせないよう曽我兄弟の逞しさを上手く表現しています。
鎌倉時代の文化と曽我兄弟の伝説
本書は曽我兄弟の仇討ちがメインなのは題材からしてお分かりだろうが、それ以外にも鎌倉時代の政治制度や文化などの時代背景、兄弟の伝説が残る史跡などの挿話が多く盛り込まれています。
また、本書を読んでいて個人的に驚いたのは「鎌倉幕府が侍同士による「仇討ち」を禁止していた」という事実です。
仇討ちという行為が武士にとって一種の誉れであったというのはなんとなく知っていたのですが、そういった行為が厳格に禁止され始めたのは江戸時代に突入してからだと私は思い込んでいたので、この事実を知って驚かされました。そりゃ曾我兄弟も苦労するわと(汗)
史跡に関しても著者である坂口氏は曽我の里を訪れ、兄弟の墓所である城前寺に伺っているのだが、著者は真贋定かでない曽我兄弟の遺品を手に取りながらも、ここから当時の情景と曽我兄弟の活躍を見事に本書にて書き切っているのには、著者の才能の高さを思い知らされます。
最後にネタバレになるのであまり書けませんが、実は曽我兄弟が持つ名剣が源氏に因果めいた剣であり、それを手にした頼朝が何も発せなくなる場面は是非本書にてご覧いただきたいと思います。
曽我物語と日本人
さて、ここからは記事を書いているfigaroが本書を読んで感じた様々なことを描いていきたいと思います。
まず本書の題材ともなった曽我物語が、なぜ12世紀から20世紀に渡ってここまで日本人に支持されたのか?ということに関してです。まずこれに関しては日本人特有の「判官贔屓(ほうがんびいき)」が影響しているのは確実であると私は思っています。
「判官」の語源となったのは源義経であり、彼も曽我兄弟と同じく時代を超えて日本の民衆から人気を得ていた人物なのですが、両者に共通する部分として「弱者側に立っている」というものが見受けられました。
日本人はどうも「弱者側」を応援するのが好きらしく、江戸時代には曽我物語は「曽我物」として歌舞伎の演目に取り入れられて凄まじい人気となるのですが、江戸幕府の支配下に置かれていた民衆側としては、やはりこういった「弱者が華々しく活躍する」演目に胸を空かれるものがあったのだと思います。
それ以外に日本人は「潔さ」を重んじる民族であり、傲慢な人間や卑劣な人間を嫌う傾向が強いので、「仇討ち」というジャンルは日本人に広く受け入れられるテーマだったのだろうと私は思います。
また、曽我兄弟の活躍が当時の鎌倉武士たちから支持された理由の一つに「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の気質が備わっていたからではないかと私は考えています。
曽我兄弟を塗炭の苦しみに追い込み頼朝の寵臣となった工藤祐経はこの世の春を詠っていたが、それも長くは続かず哀れ兄弟に惨殺される。一方、兄弟の首を討った頼朝の将軍家も僅か3代にて断絶し、今は執権北条の世となった..。
「平家物語」のテーマでもある「諸行無常」の感は、鎌倉武士たちの心に深く刻み込まれ始めており、彼らは仇討ちに走った曽我兄弟に自らの姿を投影していたのかも知れません。
最後に、この曽我物語は第二次世界大戦中の日本では教材として取り扱われており、誰もが知る物語であったと言います。しかし、戦後にGHQが仇討ちは教育的に良くないと判断したため、この物語は世間から忘れ去られてしまったという経緯があります。
米国としては野蛮人の物語としか映らなかったのでしょうが、やはり長きに渡って日本人から支持された物語ですので、日本人の精神性に語りかける内容であると私は考えます。実際、私も坂口氏の本書を読んで、いろいろと心の琴線に触れる部分が多々ありました。
そういう意味では「曽我物語」という物語は日本人に色々と訴えかける物語なのではないでしょうか?
おわりに
いろいろと長きに渡って書いてしまいましたが、とにかく坂口螢火氏の「曽我兄弟より熱を込めて」は歴史好き問わず、多くの人にお勧めできる良書であることを改めてお伝えしたい。
最初に記述したが、私は曽我兄弟に関しては全く知識がなかったが、最後まで楽しく読了することができたし、鎌倉時代に関しての知識や日本人観という物に対して色々と考察することが出来たので大変感謝しています。
もし、この記事を読んでこの良書を手に取っていただければ、今回記事を書いたfigaroも大変嬉しく思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
最後に本書をご紹介して頂いた著者の坂口螢火氏と、紹介の場を提供して頂いた「草の実堂編集部」様には謹んでお礼申し上げます。
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