落語ブームが到来だそうな。
映画「の・ようなもの のよようなもの」、ドラマ「赤めだか」「ちりとてちん」が人気の芸能人によって演じられ、漫画「昭和元禄落語心中」などが刊行されるなど、若い人にもとても身近に感じられる芸能になっているようです。
そんな落語の歴史について調べてみました
落語のルーツ
1500年代の室町時代末期~安土桃山時代に始まります。
浄土宗の教えを伝え、7つの寺を建立、再建し、文人で茶人でもあった安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は、60歳で清少納言や紫式部ゆかりの寺、誓願寺法主に就任します。
大名の話し相手である御伽衆(おとぎしゅう)を務めて、豊臣秀吉の前で滑稽話を披露して大変喜ばれていたとも伝えられています。
この策伝が書いた笑話集「醒睡笑(せいすいしょう)」は短い小咄が収められていますが、現在でも演じられている「子ほめ」「牛ほめ」「唐茄子屋政談」「たらちね」などの古典落語の元になっていると言われています。
策伝は「落語の祖」と呼ばれ、教訓的でオチのある笑い話を説教に含ませて説いたこのお寺、誓願寺は「落語発祥の地」として知られています。
落語の歴史
落語家の誕生
江戸時代の元禄期、落ちのある滑稽話「落とし噺」を京都の四条河原や北野などの大通りで話して聞かせる「噺家」と呼ばれる人がいました。
噺家は台に座って聴衆に向かって話して聞かせ、ゴザに座った聴衆から銭貨を得るという木戸銭のスタイルが確立しました。
この中で噺家として有名になった大阪の「米沢彦八」、京都の「霧の五郎兵衛」、江戸の「鹿野武左衛門」などが活躍し、寄席が誕生していていきます。
寄席の誕生
18世紀後半には、料理屋の2階などに噺家を集めて席料をとる寄席の原型が確立されます。
このころ人気を博した初代三遊亭可楽(からく)が下谷神社の境内で開いたのが寄席の最初とされ、寄席発祥の石碑が残っています。
江戸落語最盛期
19世紀、江戸落語が最盛期を迎えます。
江戸市中には125席もの寄席があったと言われています。
このころ初代三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)や初代林家正蔵(しょうぞう)が現れます。
老中水野忠邦の天保の改革によって「風俗取締令」が発せられ、江戸の寄席は一時期15軒まで減少します。が水野の失脚により、禁令がゆるむと170軒に増加しました。
幕末から明治
初代三遊亭圓朝が近代落語を完成させました。
三遊亭圓朝、三代目麗々亭柳橋(れいれいていりゅうきょう)、六代目桂文治の三人が中心となって「落語睦連」という組織を結成します。
明治20年代には落語は「柳派」「三遊派」の二大派閥に分かれ、二派が交互に寄席を行う興業形態が整えられて、大正時代まで続きました。
近代以降
1917年柳派と三遊派が合併。
四代目橘家圓蔵、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さんらが中心となり、「東京寄席演芸会社」を創設し、落語家の月給制が採用されます。
一方従来の給金制を推し進めたい「落語睦連」と対立していきます。
この後、両団体は離合集散を繰り返します。が1923年の関東大震災をきっかけとして団結し「東京落語協会」を設立します。
これが現在の一般社団法人「落語協会」のルーツとなります。
1925年ラジオ放送が始まり、ラジオ落語がブームになります。
戦後1960年代になるとテレビが普及し始め、テレビでも落語家は活躍します。
「笑点」の放送で広く落語が知られるようになりました。
平成5年(1993年)古今亭菊千代・三遊亭歌る多が落語四百年の歴史の中で初の「女真打」として誕生します。
平成7年(1995年)に五代目柳家小さん、平成8年(1996年)に三代目桂米朝が人間国宝に選ばれました。
寄席って何?落語を聞ける場所?
寄席とは、都市部の興業小屋で講談・落語・浪曲・漫才・マジックなどを見せる演芸場です。
毎月休むことなく開演する定席は、東京では鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4つです。
大阪では2006年に復活した天満天神繁昌亭、神戸には2008年開場した「神戸新開地・喜楽館」があります。
他に完成度の高い真打の独演会などを見ることができる、ホール落語もあります。
寄席の落語はホール落語と異なり、落語に成りたての新人たちの修行の場でもあり、観客にとっては、新たなご贔屓を見つける場でもあります。
落語の徒弟制度
落語家になるには目標となる師匠のもとに足を運び、入門を許されることから始まります。
入門を許されたからといって、着物を着てすぐ落語家になれるわけではありません。
高座でお客様の前で落語を演じるためには、厳しい修行と徒弟制度があるのが落語の世界です。
前座見習い
入門を許されると前座見習いとなります。この時点では所属協会への登録がされていないので、楽屋入りは許されていません。
師匠や兄弟子に付いてかばん持ち、雑用、落語の稽古、着物の扱い方、鳴り物の稽古に励みます。
師匠からある程度の実力を評価され、許可が出ると前座となり楽屋入りが許されます。
前座
寄席の番組の一番最初、一番前に高座に上がるので「前座」と呼ばれます。
前座の一日は、以下のようです。
1.師匠の家での雑用を終えると、楽屋の準備(掃除、めくりの準備など)を行います。
2.寄席の入り口で一番太鼓を打ってお客様を迎えます。
3.先輩芸人のお世話をしつつ、二番太鼓を打ちます。
4.開口一番前座の演目です。10分程度の落語を演じます。
5.その後高座返し、鳴り物の仕事をこなしつつ、先輩へのお茶出し、師匠のお世話、ネタ帳をつけるなど大忙しです。
6.トリの師匠の演目が終了すると追い出し太鼓でお客様を見送ります。
毎日寄席に通い、このルーティンをこなして、空いている時間に師匠方にお稽古をつけてもらいます。
お休みは基本的には31日(1月、3月、5月、7月、10月、12月にしかありません)のみです。厳しい修行をこなして、約4年で二つ目になります。
二つ目
寄席の番組中2番目に高座に上がるので二つ目と呼ばれます。
実際の寄席の演目では間に奇術や太神楽、漫才などの演目が挟まれますので、落語の演目では2番目となります。
二つ目になると今まで着流しだった装いが、紋付、羽織、袴を身に着けられるようになります。師匠の家や楽屋での雑用もなくなり、時間に余裕ができるため、いっそうの精進によりライバルとの差が生まれる地位でもあります。
二つ目を10年務めると真打ちへの道が開けてきます。
真打
真打の語源は、かつて寄席の照明は蝋燭を使用していましたが、トリを飾る最後の出演者が蝋燭の芯を打って消していたことに由来します。
「芯打ち」から縁起を担いで「真打」となりました。弟子をとることを許されて落語家の中でも最上位の真打は誰もが目指しますが、そこがゴールではなく、常に修行、勉強が落語家の姿勢であります。
襲名
同亭号の中の最高位の名跡を「止め名」といいます。
「三遊亭圓生」「古今亭志ん生」「桂文枝」などがそれにあたります。
最近では三遊亭楽太郎が六代目三遊亭圓楽を、上方桂一門では桂三枝が六代目桂文枝を襲名しました。
落語の亭号(流派)
落語家の苗字に当たる流派の名前を亭号と言います。
落語は江戸で誕生した江戸落語と、京都・大阪で誕生した上方落語に大別されます。
江戸落語は三遊亭・柳亭・三笑亭、上方落語では桂一門、笑福亭一門から派生した様々な流派が生まれました。
三遊派
「三遊亭」
江戸時代、初代三遊亭圓生が開祖です。
門下には初代橘家圓蔵、初代古今亭志ん生、初代金原亭馬生、初代司馬龍生がおり、幕末から明治にかけて自作落語で注目された三遊亭圓朝が有名です。
戦後「笑点」の司会を務めた五代目三遊亭円楽などが活躍しました。
「古今亭」
初代三遊亭圓生の弟子初代三遊亭圓太が独立、初代古今亭志ん生を名乗ったのが始まりです。
五代目古今亭志ん生は戦後の落語会を精力的に立て直し「最高峰の名人」と呼ばれます。
柳派
「柳家」
江戸時代に人情噺の名人として人気のあった麗々亭柳橋が開祖です。
柳派の落語家は滑稽話を得意としています。
五代目柳家小さんは初の人間国宝となっています。
「春風亭」
柳派開祖の初代麗々亭柳橋の弟子が初代春風亭柳枝を名乗ったことから始まります。
戦後に新作落語で活躍した春風亭柳昇は80歳を過ぎても高座で活躍しました。
現在では春風亭小朝や「笑点」の司会の春風亭昇太が活躍しています。
「林家」
初代三笑亭可楽の門下であった楽我が可龍→笑三→林屋正三と名を変え、晩年林屋正蔵を名乗ったことから林家が始まります(※五代目から林屋→林家となった)
初代林家三平は「昭和の爆笑王」と称されました。
桂一門
「桂」
上方落語の名跡、初代桂文治から始まります。
三代目・四代目に桂一門は東西に分かれます。四代目桂文治の弟子は師匠が若くして亡くなったことから文治の名を継がず、初代桂文枝を名乗りました。
現在上方の桂一門、六代目桂文枝は「新婚さんいらっしゃい!」でおなじみです。江戸の桂一門では「笑点」で活躍した桂歌丸がいます。
「笑福亭」
初代は松富久亭松竹と言われていますが、定かではないようです。
二代目以降笑福亭に改められました。
戦後、上方落語は衰退しますが、六代目笑福亭松鶴や三代目林家染丸が復興に尽力します。
その功績で松鶴は上片貝の四天王と言われます。
現在は笑福亭鶴瓶や笑福亭仁鶴が活躍しています。
立川
立川の亭号は江戸や明治にも存在します。
昭和58年に落語協会の会長の柳谷小さんと真打昇進試験制度をめぐり対立し、落語協会を脱会して落語立川流が創設されました。
新たに立川流を創設したのが七代目(自称五代目)立川談志です。
現在は「ためしてガッテン」の立川志の輔や「ルーズベルト・ゲーム」「下町ロケット」、エッセイ「赤めだか」などで人気の立川談春が活躍しています。
平成の落語ブーム
現代の落語ブームを支えているのは女性ファンとも言えます
イケメン落語家が大人気
イケメン落語家ランキング2年連続1位「春風亭昇々」
二代目星の王子様「三遊亭王楽」
元暴走族という異色の経歴「瀧川鯉斗」
父は元大関かわいらしいルックスが人気「林家木りん」
玉川大学ラグビー部出身「柳亭市弥」
上方落語協会ナンバー1イケメン「桂あおば」
こんな若手イケメン落語家の方々が、ツイッターで女性ファンたちに騒がれているご時世であります。
昨今の落語ブームで居酒屋やカフェ、なんと都電の中など、さまざまな場所で落語会が行われています。
「笑点」でしか知らない。などと言わずに、きっかけはイケメンでも軽い気持ちで落語会や寄席に足を運んで、日本の伝統芸能に触れてみてはいかがでしょうか?
この記事へのコメントはありません。